「1日3万歩」を歩いて気付いたこと
ゴールデンウィーク明けの仕事にも、
ようやく慣れてきたところ😌。
今年のゴールデンウィークは、
物価高やガソリン代高騰もあり、
世間は、わざわざ疲れてまで遠出せずに近場で楽しもう、
というご家族が多かったように思います。
我が家も例外ではなく、
連日の部活でお疲れ気味の第一子と
親との外出を恥ずかしがるようになった思春期の第二子を家に残し、
私と夫で、近場の低山に登ったり、普段なら車で移動する道を、
あえてウォーキングしたりして過ごしました。
結果、1日に歩いた歩数は「30,629歩」
普段、車でよく通る道でも、歩いてみると、
「こんなお店あったんや。」
とか、新たな発見もあって、
ふらっと立ち寄ったりもできたりして。
そんなこんなで寄り道しながらも長い道のりを黙々と歩いていると、
夫がふと言ったのが、
「なんか、お遍路さんみたいやね」と。
たしかに、
お遍路さんって、「なんのためにあんなに歩くんだろう」って、
正直あまり理解できてなかったんですが、じゃあ今なんで自分は歩いているんだろうと改めて考えた時、
少しだけお遍路さんの気持ちがわかった気がしました。
ウォーキングしようと思ったのは、単に健康や体力維持のためでもあるのですが、一番は「精神衛生面的」側面が大きいかなと。
黙々と目的地に向かって歩いている最中は、不思議と「邪念」や「不安」が頭から消えていくような感覚があるんですよね。
ただ歩いているだけだと、逆に「邪念」や「不安」が頭に浮かんでくるんじゃないかと思われがちですが、
いざ目的地を定めて、そこに向かって歩く最中は、なぜか頭の中がリフレッシュされていきます。
「人生」と同じで、夢や目標がないと「不安」に苛まれがちですけど、夢や目標があって、そこに向かって無我夢中に突き進んでいる最中は、「不安」が消えるわけではないんですが、目を逸らすことができる気がしますよね、紛れるというか。
それと同じ感覚ではないかと。
私には信教はありませんし、今後もお遍路をするつもりはありませんが、ウォーキングは、「無料」でできて、「健康的」で、「精神衛生面的にも良い」と、
一石二鳥ならぬ三鳥にもなりますので、特に、夢や目標が一段落した中年世代にはオススメです。
ところで、話は飛躍しますが、私が最近「推し活」を考察した中で、
↓
「宗教」にも考えが及んでしまったのですが、
「宗教」って、元々は、
知能が発達してしまったがために、皮肉にも「自分に必ず訪れる死」を知ってしまった人類が、「死への不安」を紛らわすために、作り出したものだと思うのです。
それが、時代を経て、人間が抱える「不安」が、「死」のみならず、多岐にわたるようになるにつれ、人々がそのあらゆる「不安」から逃れようとして、
「宗教」が発展したのではないかと。
ただ、近年の日本では、オ○ムや統一○○の影響で、
すっかり宗教全体への印象が悪くなり、
日本人の宗教離れが起こりました。
でも、人々の「不安」が消えたわけじゃないわけで。
じゃあ宗教の代わりにどこに救いを求めるの?ってなった時、
現代の日本人が見つけたのが、
「推し活」だったんじゃないかと。
「推し活」に夢中になってる時って、たぶん「不安」から目を逸らすことができるんですよね。
「推し」が単にいるだけではなくて、推す「活動」のほうを重視するようになったのはその為かと。
「活動」には、例えば、「推し」をみんなに知ってもらうための布教活動など、「推し」に貢献したいなどの「目的」のために集中して活動している最中は、「不安」から逃れられるので、ついのめり込んでしまうのだと思います。
「ウォーキング」からずいぶん話が飛躍してしまいましたが、話が飛躍してしまうのはADHDの特性でもあるのでお許しください😅
先ほども言ったように、私には特に信教がないので、基本、初詣もお墓参りも行きませんし、神棚も仏壇も持ってません。(誤解の無いようにですが、他者の信教は尊重しますし、合わせます😌)
そんな私だって、度々「不安」に苛まれることはあります。
じゃあ、その「不安」をどうやって紛らわせているのかってことですが。
たとえば私は、アートや音楽、エンタメ全般大好きですし、特定の「推し」はいませんけど、適度に好きな「推し」ならいっぱいいますし、あります。
ただ、いわゆる「活動」はしていないので、出費はほぼありません。例えば、音楽だったら月額数百円のサブスクや、エンタメだと、気になった書籍をたまに買ったり、地上波のテレビを見るぐらいで充分楽しめてますし。
あとは、ウォーキング、ジョギング等で、適度にリフレッシュするようにしています。
屋内だと、ついついだらだら見てしまって時間を溶かしてしまうSNSからも、自然と遠ざかることができますし。
(ただ、ウォーキングやジョギングも、体を壊すほどにやり過ぎてはいけないと思います。それはそれで依存ですから。)
無理に出費しなくても、短期的なら「不安」を紛らわしたり、「不安」から目を逸らす方法はあると思います。
それで短期的に心身を回復できたら、再び、「自分自身の人生においての新たな目標」に向かうモチベーションも、湧いてくるはずです。
まあ、要するに、結局のところ、出費を気にするのは、私が「ケチ」なだけ、なんでしょうけど😅
「宗教」は、別に外に求めなくても、自分の中に作れば良いんじゃないかと思っています😊
ふと、「AI」は、死への恐怖もないから宗教も必要ないし、もしかして最強?
もしそんな存在が教祖になりでもしたら・・
また、考えが飛躍するクセが出ました😅。
今日はこの辺で😉。
