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【閲覧注意】何故私たちは 「愛」 に権力を与えるのか【推し活と倫理】


【追記:2025/9/14】いただいたマシュマロに返答した記事を追加

初めて出会った自分

noteを書き始めて、もう一年半になります。ほぼ毎日書いてきた中で、バンタンについても、自分についても、たくさんの発見をしました。
その中で、自分の中にある「価値観(譲れないもの)」の1つがはっきりしたので、一度書いてみたいと思います。

ただ、テーマ的にものすごくセンシティブな内容になります。
正直、ロックをかけるため、初めての有料記事にしようかと悩みましたし、多分公開してからも悩むと思います。
目次を見て、OK!と思った方だけ読み進めてください。

何で私これが引っかかるんだろう

私は物事を色んな方向から見るのが好きなタイプです。それなりに経験もしてきたので、大体のことは「そういう人もいるよね」に着地しがち。

何かあっても、まず「どうして?」と思い、「私ならどうだろう」と考え、「世の中色んな人がいる(私も含め)」で納得する、が大抵のラインです。
時々着地が「納得」に至らないケースもありますが、「オチ」に行けるなら自分の中で解決はしています。

ただ、中には納得や解決に至らないものもあります。

記事を書いていく中で、時々「何で私これが引っかかるんだろう」って思うことがありました。
パッと見ただけでは他の数多あるケースと変わらないのに、何故か自分のアンテナに強く引っかかって忘れられない、そういう案件があったんですね。これが気になっていました。

どういうものが引っかかったのか、いくつか例を挙げてみます。
あ、ちなみにこれは私が勝手に引っかかってるだけなので、書いた方を晒したいわけでも、同じ意見の方を責めたいわけでもありません
私は自分の価値観を述べたいだけであり、それは他の人の価値観を侵害するものではないという点だけ、よろしくお願いいたします。

他人を燃料にして怒る

自分の中にある引っかかりを自覚したのは、テテ迫害論についての記事を書いていた時でした。

「テテがこんな嫌がらせを受けている」という通説(?)を1つずつ検証した内容だったのですが、「最も印象に残ってる」として書いたのが、誕生日ケーキの件だったんですよね。他にあるだろ、と我ながら思いましたが。

⑭テテだけ事務所からのケーキが一番少ないよ
ちなみに、私が見た中で最も印象に残ってるのが、これです。

テテの誕生日は、12/30です。
センイルまとめや公演記録を見てもわかりますが、年末は授賞式や音楽番組の特番ラッシュです。バンタンはしょっちゅう夜中まで収録してますし、デビュー後初めて年末年始を家族と過ごせたのが2021年の年越し、というくらいの忙しさです。
早く帰ってゆっくりしてね、が普通の感想ではないでしょうか……。

ポストを見ながら、ああこの人今会社を非難するためにテテを使ったわ……って思いました。
「7 Moments」の時も「会社はヨンタンとの思い出を踏みにじった」と言及するポストがありましたが、それも会社を非難するためにヨンタンを使っていると感じました。

私個人の倫理意識として、このパターンは受け付けられません。発言する前に、状況を考えるべきだと思います。

「【検証編】推しは会社に迫害されているのか」より

これは最推しに関する記事なので、私は何度も自分の反応を振り返りました。

ケーキやヨンタンの場合、彼らへの愛、感傷、死を悼む気持ちまでが怒りの燃料にされ、事務所を非難する口実として使われているという印象を受けました。
推しのために怒るのがファンとしての感性だろうかとも考えましたが、考えてる時点でそう思ってないなと思って止めました。

推し活の在り方はそれぞれの自由ですが、私はそこで訴えられていた感情を愛だとは感じませんでしたし、一緒に怒ることが愛だとも思いませんでした。
愛を名乗りながら愛でなく、彼らを思うようでいてそうでない、それはまるで毒親のような接し方だと受け取りました。

誰かを想う気持ちは、それが怒りであっても悲しみであっても、とても強いものです。
情緒的な興奮は脳内物質の放出を誘発しますし、特にファンダムの場合、仲間と共に憤る行為は連帯感を呼び起こします。一度報酬回路が開くと、それは習慣化され依存しやすくなります。推しを守るための怒りは脳内で変質し、怒りのための怒りを生みやすくなるのです。
ここまでは理解します。

しかしその快感を人前に晒すのは無分別ではないか、とも感じます。
平たく言うと、こういう話を聞いた時、「確かにひどい!」と怒る前に、「推しを使って人前で興奮するのはどうか」と感じる感性が自分にあった、ということです。
言うまでもありませんが、ここのポイントは「人前」であり、見えないところでする分には何を考えようと自由だと思います。

これと似た感情を覚えたのが、9/7のライブ配信です。

さっき何とも言えない投稿を見たんだけど
(中略)
何の話だっけ。ああ、さっきシャワーして出て来て、ここを見たら「テヒョンア、今日はヨンタンのお誕生日だから、ライブして歌って」って。
タニの誕生日はわかるし、ライブも分かるけど、歌を歌って何の関係があるの。

2025/9/7「요」より

率直に言って、彼を気の毒だと思いました。
私は「推しを消費(搾取)する」という言い方が好きではありませんが(本人が選んでいる職業ですから)、ヨンタンを理由にしてテテを動かそうとする行為は、その言葉に当てはまると思いました。

テテはまだずっとヨンタンの写真をアイコンにしており、彼の中にその存在があることはわかります。そこにどんな感情があるかは彼だけのものなので、そっとしてあげておいて欲しいと感じます。
無視することもできるのに言及したテテの胸の内を思うと、何とも言えない気持ちになりました。

他人のベッドの下に怪物を住まわせる

他に引っかかったのが、チョン・バビの件で見かけた「性犯罪者が関与した曲を聴いたら、性暴力への加担になる」論でした。

「NO MORE SILENCE」のQ&Aに、「Q. チョン・バビ氏が参加する楽曲を聴いたら性暴力への加担になるのですか」「A. HYBEが対処しない以上、性暴力への加担につながります」という文言がありました(この回答には賛成しません)。

これは純粋に音楽を楽しむファンに過度の責任を押し付け、ボイコットを示唆しているようにも取れるため、主張を通すためにバンタンを使うなという反発が予想され、ファンダムの混乱や分裂を招きかねません。

個人的には、情緒を人質に取る説得の仕方は倫理的でないと感じます。
目的は手段を正当化しません。被害者の権利を訴える過程で他の人(加害者含む)の権利を無視すべきではなく、多様な見方を許容せず「反対する人は悪サイド」と決めつけるべきでもないと思います。
社会の改善を訴える場合は、より適切な方法がないかを一緒に考えていく必要があります。ファンダムの一員として声を上げるなら、猶更です。

「【HYBE】楽曲制作者による犯罪をどう捉えるか【チョン・バビ事件】」より

これは論理的には成立していないのに、上手く反論できない人に負うべきでない罪悪感を抱かせ、情緒的にダメージを与えるタイプのロジックだと思います。
こういうことを言われた時、私は「そんなわけないでしょ」と思いますが、言い返せない人は傷つき、楽曲を心から楽しめなくなるかもしれません。
発言者の意図とは関係なく、私はこういう論の組み立て方を適切だとは感じません。

テテの迫害論について書いた時、Xでもnoteでも色んなご意見をいただきましたが、その中に「他推しだが、やはり同じような話があり、怖くて調べられないままモヤモヤしている」というものがありました。
投稿主さんはそのポストをすぐ消されたようで、どなたかも覚えていないのですが、この意見は忘れられず、私の中に残りました。

このモヤモヤはベッドの下の怪物と同じで、一度巣くうとずっと住み着いてしまい、電気をつけて確認しない限り恐怖で人を縛ります。
その不自由さを、私は気の毒だと感じます。できることなら、電気をつけてあげたくなります。

目的は手段を正当化しません。人のやわらかい感情を利用して、自分の意見を通すべきではないと思います。その説得の仕方は、私には不道徳だと感じられるのです。
NewJeansを利用したミン・ヒジンにも同じものを感じます。それが、私がずっと彼女をウォッチしている理由の一つなのかもしれません。

愛の名の元に、他の愛を踏んでいく

遡ると、私が自分の価値観に気付く大きなきっかけになったのはユンギの免許取り消し事件だと思います。
あの時を契機に、私はセンシティブな件でも必要なら書くべきだと思うようになりました。
書くということは言語化し考えるということですから、要するにスルーするラインが変わり、自分の反応をそれまで以上にじっくり観察するようになったんですね。

うちの猫はバンタンに必要な子です!( ゚Д゚)
つーか抜けても影響ない子なんかいません!!

「私が、“SUGAはBTSに必要だ”と考える、6の理由」より

この記事を書いた時、私を突き動かしていたのは憤りでした。
大事な推しを粗雑に扱われ、最高の餌だとばかりに飛びついて、頭の数行しか変わらないコピペ記事を「続報」として見境なく出す韓国メディアにも、周回遅れのそれを無精査に載せる日本メディアにも、腹が立ちました。

これについては、自分が無意識に期待していたメディア倫理があっさり崩壊したので、異文化遭遇による驚きがより大きな怒りに繋がり、動くエネルギーに変わった面もあるような気がします。

更にこの時はファンダム内も荒れたので、ARMY側からも本当に色んな記事が出ました。
中には、これは無理だと思ってブロックしたものもあります。さすがに、それにイイネした人まで全員ブロックするのは止めましたが、賛同される方も多かったことに改めて衝撃を受けました。
必ずしも「イイネ=同じ意見」ではなく、記事のどの部分に反応したかは人それぞれだと、冷静になれば判断できるのですが、そうなれない時ってありますよね。

一年が経ち、当時ブロックまでした記事の何がダメだったのかを振り返ると、その人が愛を理由にしたからだと思います。
感情的になり、混乱した感情を吐露するだけなら読み過ごしたでしょうが、それを「推しへの愛が言わせた義憤」として発言したのがダメでした。
実際に非難したのはその人です。愛に責任を取らせることはできません。

ユンギの事件は、色んな方面から私を揺さぶりました。まだファンダムにも傷跡は深く残っていますが、結果としてその経験が、自分の中の価値観を明確にした、とは言えると思います。

余談ですが、この経験を通して、基本的にブロックは相手に取り返しの余地を与えない行動だなと思いました。
縁を切る行為ですから、例え相手が反省しても届きませんので、慎重に行うべきだという意見はあるかもしれません。

でもまあ、仕方ないと思います。チャンスをもらえないのは、お互い様。ネットは一期一会の世界ですからね。
できれば最初の出会いでブロックよりイイネをもらえるよう精進したいところですが、そうならなくても仕方がないと思います。

何でもブロックすればいいとは言いませんが、自分のメンタルケアは自分でやる、がネットのお約束。そのためには、「ブロック」は便利な機能です。
Xを見ても「ミュート」「この会話に興味がない」「報告」など他にも類似機能があって、ニーズの高さが窺えますね。子供にスマホ与える時も、ブロックの使い方は絶対教えようと思います。

「【音楽生成AI】見たくないものはブロックしていい歌【SUNO】」より

結局何が引っかかるのか

これらの件に共通するキーワードは、「倫理」です。

今までモラルや倫理感について考えたことはあまりなかったのですが、引っかかりを表現しようとした時に「倫理的でない」という言葉がヒットしたので、自分にとっての「倫理」はそういうものなのだということを、初めて意識しました。

誰が「愛」に権力を与えるのか

自分にとっての「倫理的でない」案件を振り返り、共通点を考えた時、私は「愛という感情を利用する」やり方が好きではないのだと思います。それが自分のものであれ、他人のものであれ。
(メディア倫理はまた別の問題なので、今回は横へ置いておきます)

愛は人に正義や権力を与えません。
愛しているから何を言ってもいい、ということにはなりません。
推しが大事だからといって、他人を非難し、不当に貶めることが正当化されるわけでもないと思います。

例えばこういう言葉があったとします。

「あなたは事務所に迫害 (搾取)されてるんでしょう? かわいそう。私たちが守ってあげる」
「メンバーがあなたに迷惑をかけてるんでしょう? 本当にひどい、私が代わりに怒ってあげる」

この言葉そのままでなくても、結果的に同じ意味になる言葉を、よく見かけます。

私はいつも不思議に思います。
バンタンの前で、そんなことが言えるのでしょうか。あれほどスタッフを信頼し、共に働き関係を作り上げ、家族のようにメンバーを愛している彼らに。

言えるのかもしれない、と思います。
「あなたのために」という言葉で子供の人生を支配する親がいるように、「あなたを愛しているから」という言葉は人に信念を与え、見える世界を変えることがあるように感じます。

でも私は、自分の愛をそこまで絶対的なものだとは思いません。
私たちと推しは、「あなたの代わりに怒る」「愛しているからこそ言う」という関係ではありません。相手の人生に責任も持てませんから、選択や決定に干渉すべきでもありません。
好きなら推す、そうでなくなったら離れる。それ以上を求めると、自分も辛くならないでしょうか。

また、自分の中にある整理できない感情を「推しへの愛」を理由にかき立て、更にそれを他人に見せてもいいと判断するのは誤りだとも思います。
普段の生活でできないことは、ネットでもすべきではありません。愛しているからという理由で衝動に身を任せ、境界線を踏み越える前に、一度振り返るべきです。

ファンダムは「推しが好き」という情緒的な絆で結びついたコミュニティですから、「愛」に支配されがちです。
でも、そうなってはいけません。感情は、行動を正当化する理由にはならないのです。私はそう信じており、それが私の倫理観です。
私たちの主人は私たちです。「愛」に権力を与えるべきではないと思います。

インターネットはチラシの裏か

人は色んな感情を抱きます。そのこと自体は、自由だと思います。ただ、何故それを人前で書いてしまうのか、というのはしばしば疑問に感じます。
それが、もう一つの引っかかりでした。

インターネットは地続きです。一度発信したものは手を離れ、どこまでも漂っていきます。その先には、バンタンのスマホも繋がっています。

「私なんかがつぶやいても伝わるわけがない」と感じている人もいるかもしれません。
しかしGrokはXのテキストを拾って回答に使用しますし、他のAIも検索結果や会話内容から学習しています。その場合、フォロワー数や使用言語は関係なく、拾えてしまうんです。

自動翻訳の技術は進んでいますし、バンタンはエゴサしています。
ドキュメンタリー映画「I AM STILL」でも、活動の度にエゴサして反応を確認していたグクがいましたし、彼らはそうしていることを隠していません。

会社の市場調査では韓国の掲示板からきつい言葉も拾っていましたが、同じものに彼らもアクセスできます。
バンタンは、ペアレンタルコントロールされている子供ではありませんし、私たちの言葉は、愛も非難もすべて、彼らの元へ届く可能性を持っているのです。可能性があることはいつか実現します。

自分は推しを非難したりしない、彼らを守るために会社や事務所やスタッフを正している、と感じている人もいるかもしれません。

しかし、持ち株の件を取っても、HYBEにおけるBTSの立ち位置は特殊です。どう考えても彼らの発言権は強く、理事会承認を必要とする規模や内容の契約を結んでおり、望んだことをしています。ジン君の発言を見ても、彼らは自分の意思でCM契約を選び、ソロツアーを行っています。
バンタンは立場の弱い、デビューしたてのアイドルではありません。自ら交渉し、要求できる、私たちから見れば運営側の人間です。

彼らを思って運営を非難する時、投げた石がバンタンに当たっていないか、冷静に考える必要があります。
私が見てきた短い経験の中でも、実際ハラハラする件はありましたし、特にジンペンさんは会社を庇う発言をするジン君を目撃したことがあると思います。発言の裏で彼が何を見ているのか、想像は容易につきます。

ナムさんが5秒で書かれた言葉について5日考えたと言い、グクがあえてアンチの書き込みを読んで己を叱咤することがあると言ったことを、私は忘れません。

インターネットは、感情の吐き捨て場ではありません。読む人がいますし、AIが拾っていきます。
混乱した思いを吐き出したくて、そのまま書いて送信ボタンを押して、それで自分の気持ちをスッキリさせて忘れる前に、ハッシュタグをコピペして憤りを世界へリポストする前に、一度立ち止まってほしい。

それが、私の願いです。バンタンだけでなく、私やBaby ARMYも読んじゃいますしねw

あ、できたら吐き出す時はちょっと気をつけてもらえたら、ビックリしなくてすむかもです。
今吐いてるの、家のトイレじゃなくて他の人も歩いてる道だってこと忘れないでね。かわいい新規が引いたらかわいそうだから、皆国土をキレイにしよう🤣

「ミラノジン君を見ながら、推し方の多様性について考えた」より

推しに見せられない言葉を書きたい時は、鍵のかかるところでそうすることができます。下書き保存機能もあります。訴えたいなら公式の通報窓口もありますし、Weverseの苦情報告もわりと返信が来ます。
方法はたくさんあり、最終的にどれを選ぶかは、自分の決断だと思っています。

余談ですが、このへんはネットに入った世代の違いもあるんだろうかと思っています。
私はネットにバカなことを書くとすぐ「ggrks(訊く前に検索しろ)」「チラシの裏にでも書いてろ(ネットに書くな)」「半年ROMれ(勉強不足は自己責任)」って言われた世代なので、余計そう思うのかもしれませんが、自分が世界に向けて発信している意識のない文章を見ると、ものすごく違和感を覚えます。届いてる、届いてるよ……!( ;∀;)

好きなら大事にしたい

私はまだ短い期間しかバンタンを見てきていませんが、その中にはネガティブなものも多くありました。
ストーカーに付きまとわれ、苛立ちや恐怖を露にするグクの姿を見るまでもなく、「愛」を理由にした時、人がどこまでタガを外せるかという事実を考えると、恐ろしいものがあります。

しかし、私たちが「愛」を理由に荒れる時も、バンタンは常に愛情を示し、はっきりと意思を表すことで互いの領域を守ってくれています。

会社を責めるARMYに、それは自分が悪いのだと庇ったジン君や、「そういうこという人は出て行ってください」と手を振ったユンギ。「ARMYにはわかってほしい」と釘を刺すテテ。
それは、バンタンの優しさであり、愛だと思います。私は、そうできるバンタンの強さが好きです。時々震えますが( ;∀;)

個人的に、グクは最も若い上にライブ配信頻度が高く、人気が高いが故にファンも色々いる、と心配な要素が揃っていたのですが、DAZEDのインタビューでファンとの関係についてはっきりした指針を持っていることがわかり、ホッとしました。
Weverseライブも、事務所の人がいないとダメだそうです(たまに怒られるって言いながらやってるの見ますが……😇)。最初は引いていた私も、こういったことを知ったおかげで、その後は楽しめるようになってます。

これは私の勝手な想像ですが、こういう自他をきっぱり分ける視点は、アイドル自身の中からだけだとファンへの愛着に流され、なかなか出てこないように思います。
ファンに対しても自分に対しても第三者であるカウンセラーから、「こういう考え方もある」と提示された経験があるのではないか、と想像しています。

「【BTS】アイドルとメンタルケア【BIG HIT】」より

自分が外から応援する存在だからこそ、バンタンに「7人で良かった」「一緒にいるだけで幸せだ」と言える家族のような仲間がいて、彼らを愛するスタッフや良い環境に囲まれていて、本当に良かったとも感じています。
それらを踏み越えてまで、傍に行きたいとは思いませんし、自分がファンで彼らを愛しているからそうできる権利を持っているとも感じません。

好きなら大事にしたい。ただし相手に伝わる形で。そう思います。
子どもの頃よく、「自分がされたくないことを他人にしてはいけない」と言われましたが、これは自分がされて平気なことでも相手が嫌がるだろうと思うならしない、というのが前提だと思います。
それが相手への思いやりであり、人としての想像力であり、愛なのではないかと、私は考えます。

一緒に海を越えて行きたい

バンタンは、今後も共に海原を越えていくと心を決めて帰って来たように思います。

7/1のライブ配信でくっつきあい、互いに触れ合って笑い声を上げる防弾少年団は、ようやく故郷に辿り着いた人のようで、あまりにも自然にそこにいました。何度もユンギの肩を抱くナムさんの手には、この関係は何があっても守るという決意を感じました。

私も、彼らと同じ旅路を行きたいと願いますし、できれば自分の起こす波はバンタンに凪をもたらすものであるよう、願ってやみません。

そのためには、自分がどんな船であるのかを知り、自らの行く手を決める羅針盤を持たなければなりません。
愛を理由にせず、言葉や行動を自分なりのモノサシ(倫理)で点検する姿勢こそが、愛を支配者ではなく豊かな世界を歩むための伴侶とするための道なのではないかと思っています。

こんなところまで読んでくださってありがとうございます。
あなたの推し活が楽しく、幸せに包まれたものでありますように。


いただいたマシュマロと回答

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いただいたマシュマロに返答した記事がこれ。

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