里帰り2025 亡き父に捧ぐ
(センシティブな内容を含みます。)
今年の帰郷、旅の最後に。
今回も行きたいところに行き
見たいものを観て、
地元の岩盤浴&温泉にもたっぷりと入った。
ヌーソロジー関係の方にも幾人か会うことが出来、上々の里帰り。
母も70代半ばになり、まだまだ元氣ではあるが
お互いが人間的平均寿命を迎えて肉体自我生活を終えるとしたら、あと何回会えるかな、という感じになってきていると思う。
親父の墓参りもしたけど、親父はもうここには居ないなという実感がある。
親父は定年退職後、自律神経がおかしくなり、心臓がおかしくなったり呼吸が上手くできなくなって、自分で死という道を選んだ。
前の日は雪かきをして元氣だった、その翌日、窓に紐をかけて首をくくった。(それからもう10年以上の月日が経った。)
それは、いったいどういう事だろう。
親父は魂の位置とかけ離れてしまったのだろうか。自我的感情と思考の迷路にはまり込み、光を見失ってしまったのか。
かつてフランスにて人間の存在や精神、時間、世界そのものについて深く思考した哲学者、ジル・ドゥルーズも呼吸が苦しくて窓から飛び降りて、現世で生きる事を終えたらしい。
呼吸が苦しくて窓で死ぬなんて
ドゥルーズみたいだな、親父。
親父は富士山が好きだった。
晩年、よく写真を撮りに富士山まで出かけていた。ぼくが富士山にこだわるのもそういう事があったからなのかもしれない。

写真は親父が撮った写真だ。この窓の下で親父は死んだ。
ヌーソロジーや幾人かの哲学者は場に記憶があるという。この部屋や窓は親父が生きていたことと自分で死を選んだということを覚えているだろうか。墓には親父はもういないが、この部屋では親父の存在を感じることが出来る。
今年はやっと親父がこの写真を撮った場所に行けた。
ぼくが学んでいるヌーソロジーでは地球は人類の集合意識だという。精神としての地球。その射影としての物質的な地球。
それならば富士山は日本人の集合意識なのではないかと、ぼくは思う。
連綿と折り重なった死者たちの記憶が富士山を創り、地球を創る。親父もその死者の記憶に含まれている事だろう。ぼくら肉体的自我存在はその上でやいのやいのしている。
また、ぼくは鹿児島に帰り普段の生活をする。
時に富士山を思い出し、時に地球と人類の行く末を慮り、自分の力のなさを実感しながら。
ご一読ありがとうございました🌟
里帰り編以上です。🗻🐉🐍🌸✨
ナマステ🙏




スペイン料理店にて(新百合ヶ丘)


山梨県北杜市にて
ヌース界隈の古株のご自宅にて。
以上です。
ナマステ✨🐉🐍
追記
鹿児島到着。
帰りは富士山が見送ってくれました。
富士山の向こうに河口湖が見えるような💫

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