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富士山の記憶

記憶。
ヌーソロジーをしているととても重要なキーワードだ。ここで言う記憶とは本来思われてるような「脳の中にある記憶」というものではなく、我々自体の世界が存在論的他者の記憶、ものの記憶、の中にいるという事だ。

のっけから理由がわからんと思われることを書いてしまったが、自分はこの辺りまだまだ理解が曖昧なところだ。

そんな事を意識しながらの里帰り。
そしてその間の小旅行。

映画「倭文 旅するカジの木」を観た翌日、早朝家を出発し、ぼくは富士山、河口湖へと向かった。


小田急線、JR、富士急行と乗り換えて河口湖駅へと列車は着いた。


富士見橋展望台より


富士山に纏わるぼくの記憶。
神奈川の実家で生活していると移動の所々で遠くに見えた富士山。
その姿は電車の中でも自転車に乗ってる時でも、ぼくははっと息を飲んだ。
20代前半、レールの上からドロップアウトした頃、近隣に縄文の土笛を造っていた元パンクバンドの織物さんというご夫婦がいた。ぼくは農業研修生をしながら、面白い人達と出会っていった。そのご夫婦もその中のうちのお二人だった。

織物さんご夫婦の家にいろんな人が集まってまっていた。春・夏・秋・冬、夏至や冬至、春分と秋分の前日夜から織物さんの家に集まり食べたり飲んだり話したり、寝たい人は寝ていた。

鷺沼の織茂さん宅から日の出の前に家を出て、それぞれ音の鳴るものを携えて近くの富士塚に登る。日の出とともに織茂夫妻は竹笛を鳴らし、太鼓を叩き、皆々思い思いに踊り狂う。
そんな事を年4度していた。




25歳のとき、友達と4人で富士山に登った。
八合目で泊まり、夜中の2時に起きて頂上を目指す。流れ星が舞い落ちる中、ゆっくりと登っていく。今ほどではないが蟻の行列だ。
そして山頂。寝袋を体に巻き付けても凍えるように寒い中、太陽が昇り始める。

その後、ぼくは神奈川を離れ沖縄で暮らし結婚をし、鹿児島に住んだ。富士山は遠くなったが、織茂さん夫妻と富士塚で過ごした冬至の日も友達と登った流れ星と日の出も、ぼくの記憶が色褪せることはなかった。


富士山とモネフィラ。
河口湖湖畔、大石公園にて。


ここが富士であるという事は場が記憶しているという。富士山という存在はかなり多くの人々、日本人なら全員知っているだろうし、外国人にもかなり知られている。
それだけ富士山という存在は強力なのだ。

富士山綺麗。

この五文字だけで多くの人々が美しい富士山の姿を思い起こすことが出来る。
記憶というものはぼくだけのものではない。
そして脳の中にあるものではないとヌーソロジーや幾人かの哲学者は言う。

ここにぼくがいると思っているけれど、
富士山がぼくをここに現しているのかもしれない。富士山という記憶がぼくをここに呼んでいるのかもしれない。


日の出の頃の富士。


またここに来れる日が来るだろうか。
また富士はぼくをここに現してくれるだろうか。

ふと見上げると富士山がある。
富士山が見えない所に住んでいると、目に入ってくる度に驚き、笑い、涙が出る。



河口湖浅間神社



河口湖浅間神社参道入口近く。
丸石道祖神。
山梨特有の道祖神のカタチ、


河口湖浅間神社、諏訪社。



ほうとう不動にてランチ。
野性的な麺と大地に繋がるような味わい。


ドミトリーの宿にて。
富士山の日本酒と富士水。
浜松餃子、アサリご飯は河口湖駅近くの
スーパーで買った。



温泉にも勿論入る。
バナジウムの湯がとても効く。
富士麓より湧く温泉はビリビリ来た。


ご一読ありがとうございました🌟🗻🐉☀️



ヌーソロジーが教えるところによると
見ている背景は
感性空間なのである。
つまりは本来的自己なのである。
こうして見ている桜と富士のある景色が
ぼくの本来的位置。無限遠点。
こちらから見ているぼくは想像的自我。
そんな事を思いながら見ていたら
顔が真っ赤に日焼けしていた。


以上です!

ナマステ✨🗻🐉🐍










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