THE ALFEEデビュー物語・その4 ~『青春の記憶』と桜井さんのベース~
前回、デビューに関する有名なエピソードについて書いたので、足踏み状態でした。
今回は先に進みます😅
これまでのお話↓
→ その2 ~長いものに巻かれた状態~
→ その3 ~理想と現実の乖離~
1974年8月25日、“コンフィデンス”はAlfie(アルフィー)として、高見沢さんヴォーカルのデビュー曲『夏しぐれ』を発売しました。
これが今でも誕生日(デビュー記念日)として、THE ALFEEにとって特別な日とされています。
大きな期待を背負ってのデビューでしたが、結果はというと…
ぼくらは何かすごく過大評価されてたみたいでね、「君たち、大丈夫だよ。絶対30万枚は売れるから」なんて言われて、今ならそんなに売れるわけないでしょうって言えるけど、当時は何もわかってなかったから、「へえ、そんなもんかなあ」って半分信じていたところもあったんです。
~途中略~
ぼくらはそれなりの希望を持ってやりはじめたんだけど、30万どころか、デビュー曲はまったくの不発。そういう結果が出た時、それまで漠然と感じていた不安が頭をもたげてきて、ああ、自分たちは違う所に完全にはまり込んじゃったんじゃないかと思いはじめたわけなんです。
p.75, 1982年
本人たちが何となく感じていた感触どおり、上手くいくことはありませんでした。
この当時の高見沢さんはというと、精神的にまいってしまっていた様子。
期待に応えられない自分たちが歯痒くてね。とにかくこれだけ期待されて、これだけ売るためのセッティングがなされている以上、なんとしてもそれに応えなきゃいけないって気持ちだけは、ぼくだけでなくみんな持っていたんです。だけど、それが出来ない。実力も行動も伴わない。気分だけあっても努力しない。そんな悪循環を繰り返していたわけです。
p.82-83, 1982年
いきなりリードボーカルとなってしまい、しかも明らかに空回りじゃ、誰だって凹みますよね。
1974年秋には、高見沢さんが東京・原宿で一人暮らしを始めました。
しかし安月給の貧乏暮らしで、食べるものも、実家の埼玉・蕨へ帰るための電車賃も無く…
たまたま部屋を訪れた桜井さんに、ラーメンをおごってもらって命拾いしたことも。
桜井さんは下宿だったし、坂崎さんも実家が近かったし、もう1人のメンバーは実家暮らしだったので、金銭的に厳しくても何とかなっていたんでしょう。
それぞれがそんな生活を送る中、続いて2枚目のシングルを発売することになります。
今度は坂崎さんヴォーカルの『青春の記憶』。
ヴォーカリストの桜井さんが、またしてもメインで歌えず…
ただ、ここで桜井さんにとっての転機が訪れました。
最初の頃はリーダーも当番制。その上、リード・ギター弾くのもベースを受けもつのも曲によって違う。
~途中略~
当時アルフィーでは、グレコのジャズベース・モデルっていうエレキベースを使っていたんだけど、その頃からベースに興味を覚えはじめてね。練習の合い間なんかに「ねえ、ベースってどう弾くの?」なんて坂崎にベースのコードの作り方の一覧表を作ってもらったり、教えてもらいながら、まあいたずら半分、ベースをいじりだしていたんです。
そしたらそのうち「じゃあおまえ、ちょっとベースやってみたら?」「そうだね。ちょっとやってみるか」ってことになってね。ビクター時代の2枚目のシングル『青春の記憶』という曲のベースをぼくが完全にコピーしちゃって、「この曲を演奏する時はオレがベースを弾くよ」ってことになり、まずはこの曲をキッカケにして、ベースに片足をつっこむことになったわけなんです。
p.86-87, 1982年
そう、ベーシストの桜井さんが誕生したのは、ちょうどこの頃だったんです。
“結成物語”の方で触れていない話なんですが、桜井さん、実はずっとドラムがやりたかったそうで。
ドラムセットを自分で買いたいという夢は、ビクターから一応プロとしてデビューした頃もずっと続いていて、ぼくはコツコツ、ドラムを買うための貯金をしていたくらいなんです。
プロといってもなりたての頃はほとんどプロ意識なんてなかったし、仕事といってもカラオケをバックにテレビカメラの前で口をパクパクしてりゃいいってことが多かったからね。ぼくの場合、その頃は一応12弦ギターを持ってやっていたんだけど、何かというとやっぱりドラムのことばかり考えていたんですよ。
p.29, 1982年
当時フォークアイドルだったAlfieには、ドラムは必要ありませんでした。
だから、上手くなくても否応なしにギターをやっていて。
「当時の桜井さんは“元祖エアギター”だった」と坂崎さんがよくネタにしていますが…w
中学3年の頃に友達から借りたギターで弾き語ったこともあって、まったく弾けないわけじゃないんですよ。
(ちなみに、2011年のスペシャルDVD『I Love You』のスペシャルトーク企画「“I Love You”なモノを持ち寄ろ~!!」で、桜井さんが坂崎さんのアコースティックギターで『禁じられた遊び』を弾いている姿が見られます)
ドラムを叩きたいという夢を持ち続けつつ、ベースに興味を持ち始めた桜井さんは、その頃の様子をこう話しています。
自分でベースをやりはじめたら、レコードを聴いていても自然にベースの音が耳に入ってくるようになった。「えっ! これがベースなの? カッコいいなあー」って思うことが多くなってきたわけですよ。といっても、それだけだったらその程度の興味で終わっちゃったと思うんだけど、時代が時代だった。音楽界全体に、ベースが音作りの上でだんだん重要視されてきたというか、目立ってくる時代とぶつかってしまった。
~途中略~
その辺の連中のやっていたいわゆるチョッパー・ベース(その頃はまだファンク・ベースって呼び方されていたんだけど……)が注目されだした時代にモロぶつかっちゃった……それからなんですよ。とにかくベースもカッコいいなって、ぼくが本気でベースに取り組みはじめたのは……。
p.87, 1982年
坂崎さんや高見沢さんのギターと違い、桜井さんはデビューしてからベースを始めて今に至ります。
ベースもドラムも、音楽の土台となる部分ですし、きちんとしたリズムを刻める人じゃないとできないこと。
そういう意味では、桜井さんに向いていたんでしょうね😎
こうして、1975年5月25日に発売されたシングル『青春の記憶』なんですが…
それでもデビューの翌年5月、2枚目のシングル『青春の記憶』という曲を出したんだけど、これまた泣かず飛ばず。こんなことでいいのかなって思ってるうちに、7月に初めてのLPを出そうということになってね、さっそくその制作にとりかかることになった。
「オッ、いよいよアルバムが作れるのか」って、その時はそれでもそれなりに張り切って、自分たちで何曲もオリジナルを作っていったんだけど、結局収録してもらえたのは3曲だけ。あとは筒美さんの作品とか、昔誰かが歌っていた曲とか、構成もいい加減、適当にそこらの作品を集めて埋めたって感じのLPになってしまった。ジャケットもひどいものだったし、なんか出すことが逆に恥ずかしいものになってしまったんです。
p.77, 1982年
Alfieとして唯一のアルバムは、シングルと同名の「青春の記憶」。
1975年7月25日発売でした。
収録してもらえたオリジナルの3曲というのが、
一年目の春 (坂崎さん作曲。なお、作詞はもう1人のメンバー)
卒業 (高見沢さん作詞作曲)
ロマンス・レイン (高見沢さん作詞作曲)
になります。
このアルバムもまったく売れませんでした。
だけど不思議なことに、それぞれの思いは、デビュー直前よりも良い方向に向いていたんです。
まずは、完全に割り切っていた坂崎さん。
それじゃ悩みも多くて大変だったんだろうねと言われると、少なくともぼく個人はそうでもなかったんですよ。「何か違う、どこか違う」って思いながらただ流されていただけでね。それが証拠に、その頃はホント、練習もロクにしませんでしたから。まだアマチュア時代の方がはるかにやっていたくらいで。
とにかくこんなふうに何も語るべき前向きの話がないというか、泣かず飛ばずの状態がデビューしてから約1年間、翌年の9月頃まで続いていたんですが、ただ、どうでしょうか。
~途中略~
すべてを結果論で判断するのは正しくないとは思うけど、そういう時代を乗り越えて、自分たちの選んだ道をやり続けていくエネルギーと情熱だけは、結局ぼくらが一番あったんだと、今となれば、これだけは自負してもいいんじゃないでしょうかね。
p.78-79, 1982年
次に、諦めちゃダメだと自分自身に訴え続けた高見沢さん。
歌が下手だの、このバカだのって屈辱的な目にあっても、ぼくが決してやめようとか、逃げようと思わなかったのは、あのバスケットのことをいつでも思い出していたからなんです。ここで逃げてどうするんだ。また逃げたらあの時の二の舞いで、おまえは一生何かやっちゃ逃げ、また何かやっちゃ逃げるということの繰り返しになるぞ。そんな気持ちが常に後から追いかけて来るっていう感じでね。とにかくやるだけやってみないことには結果なんてわからないんだぞって、いつも自分にそう言い聞かせていましたからね。
~途中略~
今、あの不本意なデビューを悔んでいるわけでもないし、アイドル時代を過ごしたことも決して無駄なことではなかったと思っているわけ。あの時代はあの時代でぼくらはそれなりに生きてきたんだし、ぼくらに与えられた試練の時代だったんだって思いたいんです。その後、ぼくらはあの失敗を反面教師にして、十分プラスに転化させてきたと思っていますから。
p.83-84, 1982年
最後に、人とのつながりから前を向き始めた桜井さん。
当時所属事務所が同じだったせいもあって、ぼくらはガロの前座の仕事もよくやっていたわけ。だから自然に彼らと話す機会も多くなり、特に大野さんとはよくいろんな話をするようになったんですよ。そうやっていろいろ彼らの体験談など聞いているうちに、ぼくらの意識も少しずつ変わってきた。何だか急激に気分が高揚してきて、だんだんやる気が出てきたんです。
~途中略~
バックであろうが、何であろうが、こうやって頑張っていけば、やがてこの世界で認められることもあるだろう。
p.89-90, 1982年
お三方とも、心は腐っていなかった。
こんな状況でも、辞めてしまおうとは思わなかった。
それだけが救いですよね。
ここで終わってしまったら、今のTHE ALFEEは存在しないんですから。
さて、ここまで綴ってきて、気づいた方はいるでしょうか…
“コンフィデンス”がAlfieになってからも、メンバーは4人のままだということを……
その、もう1人のメンバーが関わってくるエピソードは、続きの記事へ↓
