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THE ALFEEデビュー物語・その2 ~長いものに巻かれた状態~

前回は1973年10月まで綴りました。
その続きになります。


前回のお話↓


1973年の秋から冬にかけて。
グループとしての活動は皆無に近かったものの、高見沢さんは映画音楽の仕事を一緒にしたことで、“コンフィデンス”との関係が深くなりました。

『二十歳の原点』をきっかけに、自然と坂崎や桜井と付き合うようになり、練習にも参加するようになって、ぼくはいつのまにかコンフィデンスのメンバーになってしまっていた。
しかし、ぼくの意識としては、あくまでバック・メンバーというか、サポート・メンバーとして彼らと一緒にやっているというだけでね。遠慮もあったし、練習に参加しても、どうしようこうしようと積極的に発言することもなかった。しばらくの間、自分がグループの一員であるという意識すらなかったんです。
まあ、練習といっても、当時はガロとかCSNYなどのコピーをしてるだけ。むしろ4人集まって麻雀やってることの方が多いくらいでしたけど。
~途中略~
ぼくが坂崎や桜井をはじめ、コンフィデンスのメンバーとあんなにあっという間に仲良くなれたのは、最初彼らがすごく健康的に見えたからなんですよ。というのも、高校時代ロックをやってて付き合っていた連中が、もう悪ばかりだったものだから。
だから余計、いいやつらだなあ、オレもこういう連中と付き合わなきゃいかんなって気分になって、コンフィデンスの連中と付き合いはじめていたんです。音楽がどうのこうのという以上に、当時は友達として付き合っていきたいという思いの方が強かったっていう気がしますね。

[引用書籍] ALFEE「オーバー・ドライブ」
p.63-64, 1982年

高見沢さんとしては、大学で良き友人ができたという感覚だったようです。
そんな付き合いのまま、つながりがまだわずかにあった音楽業界の“あちら側”から声がかかりました。
坂崎さんがこう語ります。

ぼくらも、グループを続けるにしろやめるにしろ、そろそろ態度の方をはっきりさせなきゃいけない。と、そんなふうに考えはじめていた頃、ビクターの方から「早くレコード作ろう」という誘いがまたきたんです。
まず日音の恒川さんを紹介されて、タナベ・エージェンシー(田辺エージェンシー)のオーディションを受けることになった。それが大学1年の冬のこと。場所はビクターのスタジオでした。
スタジオに行ってみたら、なんと、あのスパイダースの田辺昭知がいるじゃない。その頃、エージェンシーの社長が田辺さんだなんて知らなかったから、何をしに来たんだろうな、なんて思いながら眺めていたら「恒川の紹介ってのは、おまえらか?」って言う。えらく緊張してね……。まあ、それでもオーディションはなんとなく無事に終わった。
結果を待っていたら、ぼくら自身何も知らないうちに、プロダクションはタナベ、原盤は日音、レコード会社はビクターという、音楽界ではいわば非常にメジャーな三大企業(?)をバックにデビューすることが決まっちゃっていたんですよ。

[引用書籍] ALFEE「オーバー・ドライブ」
p.72-73, 1982年

演る側が乗り気でなくとも、あちらには相当の期待があったんです。
坂崎さんに音楽熱があったからこそ、こうして話が進んでいったのかも知れません。
だって、誰かがやろうと言っていることを基本拒否しない皆さんですから😅
船頭がいる状態なら、付いていきますよね?
“コンフィデンス”としての話し合いの場ももたれました。
これも坂崎さんの話です。

実はビクターから誘われた時、どうするかって4人でかなり深刻にミーティングしたことがあったんです。
やろうというのと、やめようというのと意見が分かれたんだけど、どっちにしろ学校も中途半端になっているし、いつまでもこんなふうにウダウダしててもしょうがないから、ここはひとつ任せてみるかって最終的にまとまってね。だから4人とも、自分達をスタッフ側に任せることに納得してはじめたことは事実なんです。

[引用書籍] ALFEE「オーバー・ドライブ」
p.74, 1982年

すべてを委ねるような状況でデビューが決まった“コンフィデンス”。
1974年6月に、事務所(田辺エージェンシー)と契約しました。

そうして大学2年の6月タナベと正式に契約し、8月にデビュー曲『夏しぐれ』を発表したんだけど、契約のあとデビューまで、まあなんと早かったこと。知らないうちに筒美京平さんの曲が何曲か用意されていて、すぐにレコーディングってことになった。
~途中略~
いつのまにか、“アルフィー”って名になっていてね。要するに着せ替え人形みたいなもの、ぼくら自身はその辺のことすら何もタッチできなかったんです。
制作段階で音楽的なことはもとより、何もかもすべて決定されていて、アルフィーはこういう方針で、こういう路線で売って行くというような扱い……言ってみりゃ15、6歳のアイドルタレントとまったく同じだったんですよね。

[引用書籍] ALFEE「オーバー・ドライブ」
p.73-74, 1982年

坂崎さんはそう話していて、高見沢さんも、

アマチュア時代のぼくらっていうのは結構有名だったし、うまいグループって言われていたものだから、さしたる努力もせず、とんとん拍子でプロになってしまった。

[引用書籍] ALFEE「オーバー・ドライブ」
p.83, 1982年

と自己評価。
敷かれたレールの上を走り出した“コンフィデンス”なんですが…
続きです↓

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