THE ALFEE結成物語・その1 ~桜井さんと坂崎さんの出会い~
2024年末のテレビ「紅白歌合戦」にTHE ALFEEが出演してから、ご新規アル中さん(アルフィー中毒=ファン)がとっても増えたそうで。
嬉しいことです。
そしてベテランアル中さんは、リアルタイムで経験してきているので、まさに何十年も共に歩んで来たと言えると思います。
尊敬しますし、羨ましいです。
テレビ等で触れられるTHE ALFEEの歴史は、だいたいが“明治学院大学の同級生で結成”→“9年目に『メリーアン』でブレイク”、と一気に省略されます。
その省略された部分は、お三方が何度も語ってきていて、ベテランアル中さんなら、知っていて当たり前に近いような情報だったりします。
でも私自身は1990年代後半からのアル中なので、ファンになった時点で既に、デビューから20年ほどが経過。
歴史は語り尽くされた後でした。
ファンになりたての頃、私は詳しく知りたくて、結成やデビュー当時のことをいろいろと調べたんです。
その時は情報源のほとんどが書籍だったんですけど、幸いにも、古本屋だったり、ちょうど再版の時期に当たったりして、一部だけながら自分で入手できていました。
それも現在はどれも絶版でプレミア価格。
今ではネットの情報を見れば、過去を調べるのも容易な方ではありますが…
実は、そのへんの詳しい話ってそこまで載っていないんだな🤔と、最近になって感じています。
できれば電子書籍なんかで復刊してもらえるといいんですけどねぇ。
せっかくなので、私が知っている範囲で、結成に関する情報を綴ってみようかなと思います。
大袈裟ではなく、ドラマにしてもいいんじゃないかと思うほどの歴史です。
最近になってTHE ALFEEを知った、という方々の参考に少しでもなれば😊
THE ALFEEの過去を調べていく中で、必ず出てくるキーワードが“コンフィデンス”です。
“コンフィデンス”とは最初、明治学院高校で桜井さんが同じF組(クラス替えが無いため、3年間一緒)だった2人と組んだ、アマチュアのフォークグループ。
桜井さんがヴォーカルで、他の2人はギターとコーラスでした。
このへんのエピソードは、1982年に出版された、“THE”が付く前のALFEE名義の書籍「オーバー・ドライブ」が一番詳しいです。
桜井さん自身が語っています。
高校2年の夏休み明けの9月初め、たまたま3人で音楽の話をしていたら、偶然3人ともサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』を買ったばかりで、「あのレコード最高だね!」ってことで意見が一致したわけ。
そのうち「じゃあ、S&Gの歌、なにか3人でやってみないか。このLPの中から選んでさ」
「いいね。オレ、B面の一曲目に入ってる『ボクサー』が一番好きなんだけど、これやらない?」
「じゃあ『ボクサー』からまずやってみるか」と、そんな具合になってね。
放課後3人集まって学校でハモッたりしているうちにだんだんのってきた。
「こうなったら本格的にどこかに集まって一緒に練習してみないか」ってことになり、みんなでS&Gのコピーを真剣にやりはじめたんです。
3人でやったら結構いい感じでハモるし、どんどんのめり込んでいって、もうS&Gのそれまでに出ているLPを全部買ってきて、彼らの歌とギターを片っぱしからコピーしていったんです。
そのうちレパートリーも増え、音楽的にもかたまってきて「よし、これならどこに出たって大丈夫」ってレベルまできた。
「じゃあ、今度の秋の文化祭でやろう」ってことになって、やったらこれがまた受けましてね。
そのうち「グループの名前をつけて、しばらく一緒にやっていかないか」という話になった。
こうして「コンフィデンス」が誕生したというわけなんですよ。
p.33-34, 1982年
高校2年生なので、1971年の秋に誕生ということですね。
《追記:2026/2/12》
※このエピソードには諸説あるので、補足しておこうかと思います。
近年、語られているのは「高1の2学期、夏休みのあと」という1970年説。
書籍「THE ALFEE 終わらない夢 Vol.2」の第100回/2015年4月22日放送分(p.328)や、2025年末より「AERA」で連載されている【奇跡の軌跡】第1回にも同じエピソードが出ているのですが、どちらも1970年(高校1年生の秋)で語られています。
最新のものを以下に引用します。
桜井 高校に入った年に、サイモン&ガーファンクルのアルバム「明日に架ける橋」が出て、「これはすごいな」って。同じアルバムを買った友達が2人いて、「おまえも買ったのか!」「じゃあコピーしようか」となって3人で始まったのが、アルフィーのもととなるコンフィデンスというグループです。11月の文化祭で何やろうか、って話になって。
高見沢 桜井たちはすごくうまかったんですよ。僕は1年D組で、3年間同じメンバーでロックバンドを組んでいました。文化祭では教室を暗くしてロックをやったんだけど、誰も入ってこないんですよ(笑)。
2025年12月29日・2026年1月5日合併号
連載【奇跡の軌跡】第1回 p.36-37
サイモン&ガーファンクルのアルバム「明日に架ける橋」が日本で発売されたのは1970年4月(アメリカでのリリースは1970年1月)で、オリコンのランキングで1位になったのは翌年1971年2月1日からの7週連続。
時期としては確かにおかしくはないんです。
ただ、一番古い=エピソードがあった時期に一番近い1982年の情報である書籍の「オーバー・ドライブ」には、こう書かれています。
なぜか異常なくらい“オレは田舎もん”って意識が強くってね。
その上、埼玉県の荒川村から出てきたなんてことを隠そうとするから余計よくなかった。
自分のコンプレックスを隠そうとするからますますいじけちゃって……なんかの拍子にそういうことがポロッとバレちゃうたびに、必要以上に恥じたりしてもう悪循環。
そんな状態が高校に入ってからほぼ半年以上続いたんです。
だから高校1年の頃は、淋しさとコンプレックスで、なんか引っ込み思案のいじけた暗い少年という感じだったんじゃないかな。
もうみんなで歌ったり、ギターを弾いたり、ワイワイ音楽やって楽しむなんて気持ちにはとてもなれそうにない雰囲気だったんです。
あの頃ぼくの感じていたコンプレックスって、ちょっと今考えると不思議なくらい強いものだったんですよ。
もちろん今はそんな時期があったなんて、自分でも信じられないって感じなんですけどね。
そんな高校1年生が音楽をやるようになったのは、もうじき秋の文化祭という頃のこと。
後に一緒にコンフィデンスを結成することになる同級生が音楽が好きで、ギター弾いていろいろやっているというのを知ってね、彼の家に遊びに行ったのが始まりだったんです。
なんとなく彼と2人で、その頃ヒットしていたソルティシュガーの『走れコウタロー』とか『ああ大学生』とか、いわゆるフォークソングを一緒にやりはじめたんです。
じゃあ今度の文化祭で、2人で何かやってみようか、という話になって、初めて人前で『走れコウタロー』を歌ったわけ。
彼がギターを弾き、ぼくは歌うだけだったんですけどね。
その文化祭の時、ぼくら以外にもうひとり、ギターの弾き語りでフォークを歌った同級生がいたわけ。
そいつがコンフィデンスのもうひとりのメンバーとなった男なんだけどね。
その時は別にそれだけのこと、一緒にバンド組んでやろうとか、そんな話にまではならなかったんだけど。
p.32-33, 1982年
この話だと、高校1年生の時点では、まだ3人が集まっていません。
漫画「ドリームジェネレーション」も同様の描写でした(こちらは「オーバー・ドライブ」の内容を基にしていると思われます)。
この内容を照らし合わせた限りでは、私は「オーバー・ドライブ」の方が正しいんじゃないかと考えているんです。
記憶が混じってしまっているのかも?ということで、ここに注記しておきます。
もともとは、サイモン&ガーファンクルのコピー(他の人の曲を模倣して演奏すること)を遊びでやっていたグループでしたが、転機となる出来事が。
3人の中では一番積極的だったやつが「ビクター主催のフォーク・コンテストがあるんだけど、応募して出てみないか」って言い出したわけ。
人前で多少やったことはあるけど、そんなコンテストには出たことがなかったし、専門家の人たちにどんなふうに評価されるのかという興味もあって、軽い気持ちで「じゃあ、どんなもんかやってみるか」と、ぼくらもその気になって応募することになったんです。
そのコンテストに出るには、1曲は何でも好きな曲をやればいいんだけど、もう1曲オリジナル作品をやらなければ駄目だってことだったんでね。
もうコンテストの前日に3人集まって、1曲デッチあげたんです。
以前に作ってあったメロディーに、ぼくがこんなシチュエーションの詞にしようぜって、今思うと「なんだこりゃ、小学生の日記よりひでえや」って鳥肌の立つような詞をつけた。
それが『風の唄』という歌だったんですけどね。
もう一曲、S&Gの曲にするか、それともCSNYの曲にしようか、夜遅くまでケンケンガクガク3人で懸命に練習したんだけど、結局無難な線でいこうよということになって、歌い馴れてる『ボクサー』で出場することになったんです。
これが図に当たったというか、知らないうちに優勝トロフィーをもらっていた。
p.35-36, 1982年
このコンテストが、東京・銀座の山野楽器で開催されたのは1972年4月、高校3年生になって間もない頃です。
“コンフィデンス”は、コンテスト初出場で優勝。
そこに坂崎さんも1人で出場していました。
坂崎さんはこう語ります。
学内には、本気でグループまで組んでやろうという仲間はいない。
なんとなくだんだん欲求不満を覚えるようになってきたんです。
もしどうしてもグループを組んでやりたいというなら、積極的に外に出ていって仲間を求めるしかないだろうなって、そう漠然と考えるようにもなってきていたわけなんです。
ぼくらと同世代の他の高校生やアマチュア連中は、一体どんな音楽をどんなふうにやっているんだろうか。
でも、ぼくは学内で活動しているだけ。
外部との交渉はまったくなかったんでよくわからなかったんだけど、ただ噂で聞くところによると、都内でも私立高校などにはフォークソング・クラブの活動が盛んなところも多く、うまい連中、進んでる連中も大勢いるらしい。
そういう連中と知り合いになるにはどうしたらいいんだろうか……そうだ!
そのためには、アマチュアのフォーク・コンテストに応募してみたらいいんじゃないだろうか、とまず思うようになったわけです。
~途中略~
そんな理由で高3に進級したばかりの4月、ぼくは銀座山野楽器で行なわれたビクター主催のアマチュア・フォーク・コンテストにソロで初めて応募してみたんです。
p.20-21, 1982年
坂崎さんが通っていた東京都立隅田川高校は進学校で、高校2年生の3学期には皆、受験へと向かっていたそうですが、坂崎さんはギターに夢中。
コンテストでは入賞しませんでしたが、ここで一緒になった、早稲田実業の同学年の2人とグループを組みました。
実はぼくが加入した時点から「へそ下三寸」というグループ名を名乗るようになったのだけど、それから生ギター2本にウッドベース、時々パーカッションなども入れるという、その当時の典型的なフォーク・グループのスタイルで、もう初期のRCサクセションのような音楽を主なレパートリーにして、アマチュア団体の主催するコンサートなどに呼ばれて出演し始めるようになったんです。
p.22-23, 1982年
そう、この時の坂崎さんは、まだ“コンフィデンス”には参加していないんです。
その時の様子がわかるのが、FMラジオ「THE ALFEE 終わらない夢」の第23回/2013年9月18日放送分、桜井さんと高見沢さんのトークから。
2017年出版の書籍より引用しています。
高 坂崎と最初にあったのは桜井だから、どうですか?
桜 そう、えーっと高校3年の……。
高 どこであったの?
桜 4月に、銀座の某楽器店でのコンサートですね。
高 あーあの、優勝したコンフィデンスの。
桜 僕らが優勝したとき、コンテストに坂崎が1人でエントリーしていました。
高 その時に初めて話したの?
桜 いや、俺は話してないと思うね。メンバーが坂崎と話したの。下町同士で話が合ったのかもしれない。
p.166, 2017年
桜井さんと坂崎さんは、まだ出逢っただけで、会話もしていなかったみたいですね😅
ここまででだいぶ長くなったので、続きは別の記事で↓
