THE ALFEE結成物語・その2 ~“コンフィデンス”と坂崎さん~
前回、桜井さんと坂崎さんが出逢った1972年4月まで綴りました。
その続きです。
前回のお話↓
今回は1972年、高校3年生の夏の出来事から。
4月に初めてのコンテストで優勝した“コンフィデンス”は、それから積極的な活動を始めた、と桜井さんは語っています。
そうこうしているうちに夏になって、例のコンフィデンス唯一のオリジナル『風の唄』を、どうにかしようじゃないかっていうことになったんです。
ビクターのディレクターには全然評価されなかった曲なんだけど、一応作品として出来上がっているんだし、このまま放っておくのはもったいないと。
「これ、なんとかしようよ」ってことで、新しく録り直したテープ作ってね。
もう締め切り期限は過ぎていたんだけど、文化放送の「三ツ矢フォークメイツ」に持っていったんです。
その頃、同じ文化放送の「ハロー・パーティー」というアマチュア参加番組にも、ぼくらはよく出入りしていて、ディレクターの江川さんを知っていたんで「こんな曲あるんですけど、聴いてくれませんか」って、直接手渡して頼んだんですよ。
それでテープ審査も無事通過、8月の決勝大会に出場することが決定したわけなんだけど、その前日、練習のためメンバーのひとりの家に行ったら、そこになぜか坂崎がいるじゃないですか。
p.38, 1982年
坂崎さんが“コンフィデンス”にやって来ました。
この時のエピソードは、漫画「ドリームジェネレーション」に描かれているほか、書籍「オーバー・ドライブ」でも坂崎さんが触れています。
夏休みのある日、確か8月10日前後だったと思うんだけど、たまたま銀座の山野楽器にギター見物に出かけたら、そこで偶然「コンフィデンス」のメンバーのひとりに出会ったんです。
「やあ、今日は何しに来たの?」なんて聞いたら「実は明日、文化放送でやっている三ツ矢フォークメイツのコンテストがあってね、その決勝大会に出場するんで弦を買いに来たんだよ。今日これからオレん家に集まって練習することになっているんだ」って言うわけ。
「へえ、そう。じゃあ桜井も来るの?」
「もちろん来るよ」
「じゃあオレ、遊びに行こうかな」ってね。
そのまま彼にくっついて、のこのこぼくも彼の家に行ったんです。
家に着いたら桜井も、もうひとりのメンバーもまだ来ていない。
~途中略~
明日のコンテストだけでもいいから、なんか無性に彼らと一緒にやりたくなって、軽い気持ちで言ったわけ。
「ねえ、オレ、ギターならバッチリだから、一緒に出演させてよ。オレ、リード・ギターやるからさ」
そしたら「やりたいなら別に一緒にやってもいいよ」って彼も言う。
~途中略~
2人で勝手に決めてしまっていたら、桜井たちも「あっ、そう」と言うだけ。
誰の反対もなく翌日4人で出場し『風の唄』というオリジナル曲を歌ったら、これが3位に入賞しちゃった。
p.23-25, 1982年
飛び入り参加のような形で、坂崎さんも一緒にコンテストに出場して3位という結果に。
FMラジオ「THE ALFEE 終わらない夢」の方では、桜井さんがこう話していました。
前回載せたエピソードトークの続きになります。
高 へえー、その次はいつ会った?
桜 その次はね、うちのバンドに入るっていうとき。
高 あー、違うコンテストに出る前。
桜 違うコンテスト。今度は夏だったんだけど。一夜漬けで練習をしているところに来て。“あっ、久しぶりだよね、坂崎くん”みたいな感じで。そしたら帰らないんだよね、夜になっても。“もう終電だよ”とか言ったら、“いや、明日一緒に出るって話なんだ”って言われて、“ああ、じゃあ、明日一緒に出よう”ってことになって、そこの家に泊まって。で、次の日、新宿の厚生年金会館、もう今はありませんけどね。そこでコンテストがあって、それに坂崎が入ったんで4人で出た。
p.166-167, 2017年
桜井さんと坂崎さんは、1972年4月のコンテストで初めて顔を合わせ、次に会った夏休みには一緒のグループで演奏しているという…
そして、これも不思議な縁なんですが、その時、高見沢さんはというと……
勉強しながらラジオで「三ツ矢フォークメイツ」を聴いてたら、パーソナリティーの小室さんが「今度の曲は明治学院高校の3年F組の皆さんの歌です」って言うじゃない。
あれーっ、うちの高校の生徒じゃないの、なんて思いながら聴いてたら、もろフォークソングって感じだったけど、きれいなコーラスで結構うまいじゃありませんか。
その曲っていうのが、例の『風の唄』だったんだけどね。
その時からコンフィデンスのことも多少気になり出して、その年の秋の文化祭に向けて彼らが学校で練習しているのをなんとなく見ているうちにね、生ギターとコーラスということもあってか、彼らがガロのイメージとダブッてきたんです。
結構あいつらもうまいなあって。
p.61, 1982年
坂崎さんが入って最初の“コンフィデンス”の演奏を、高見沢さんもラジオで聴いていたんです!
この時期の高見沢さんは、クロスビー・スティルス&ナッシュ(CS&N)やガロに興味を持っていました。
高校時代ずっとロックに夢中で、同じD組の仲間ともバンドを組んでいたという高見沢さん。
F組の“コンフィデンス”の存在も、桜井さんのことも知っていて、敵対心が剥き出しだったのに、ここにきて風向きが変わり始めています。
さらに、4人になった“コンフィデンス”にも、一気に追い風が。
坂崎さんがこう話します。
そしてそのままぼくは、正式加入もへったくれもなく、当然のごとき顔をしてコンフィデンスに居ついちゃったわけだけど、そのコンテストのすぐあと、その時の審査委員長だった小室等さんから、いい話が舞い込んできたんです。
ちょうどその頃小室さんが、東宝の「愛よこんにちは」という映画の音楽を担当していて、レコードも作るんだけど、そのレコードに君たちを使いたい、どうだ、一緒にやらないかって誘われたんです。
p.25, 1982年
急展開ですね。
“コンフィデンス”がレコードデビューです。
今度は桜井さんの話。
コンテストの後、すぐに小室さんから「君たちを自分のやっている映画音楽に起用したい」という誘いがあってね。
9月になったらすぐレコーディングをはじめて、12月頃には発表したいという話が舞い込んできたわけです。
実はぼく、そのコンテストが終わったあと秩父の実家の方に帰っていて、その話があった時には東京にいなかったんです。
そしたら田舎に電話がかかってきて、かくかくしかじか、「おまえ、そういうレコーディングの話があるんだ。だから早く戻ってきてくれ」って言う。
夏休みが終わる頃帰ってきたら、もう既にメンバーの手元に小室さんの作った歌のテープが届いていて、他の3人はもう歌も覚えている。
要するにもう話は決定していたんです。
「おまえも急いで覚えろ!」って言われてね。
とりあえずぼくが、どうにか1曲マスターしたかしないかって時点で、レコーディングが始まっちゃったんです。
まいりましたよ。
p.40-41, 1982年
気づいたらメンバーが増えていて、気づいたらレコーディングの話が決まっていて…
何とも桜井さんらしいというか😂
そんな感じで“コンフィデンス”としては、1972年12月に『昼下がりの夢』というシングルレコード、1973年2月に「小室等の作曲でおくる スクリーン・フォーク・アルバム 東宝映画『愛こんにちは』オリジナル・サウンド・トラック盤」というLP(レコードのアルバム)を東宝レコードから発売。
ただ、その発売の頃には、“コンフィデンス”は再び3人になっていました。
当時を語る桜井さん。
だんだん秋もおしつまってきて、そろそろみんな大学受験の準備をしなくちゃってフンイキになってきた。
坂崎以外はみんな明治学院高校だったんだけど、実はこの学校、附属は附属でもエスカレーター式じゃなくてね。
大学に進学するためにはやっぱり試験受けなくちゃ入れなかったんですよ。
だから、普段ウダウダ遊んでばかりいた分だけ、受験勉強しなくちゃならない。
それでまずメンバーの1人が、もう大学受験だし、大学に入ったらオレはグループ続けるつもりないよって言いだして、自然にぼくらから遠ざかっていっちゃったんです。
ぼくにしても本気でやっていこうというか、将来音楽で飯を食っていきたいなんて気持ちはなかったし、他のメンバーもみんな同じようなものだったと思う。
もうそれぞれ考えていることもバラバラ。
大学に入ってすぐ高見沢が参加してまた動き出すまで、しばらくの間、コンフィデンスもあるような、ないような状態になってしまっていたんです。
p.42-43, 1982年
“コンフィデンス”に残っているメンバーは、桜井さんと坂崎さん、それにもう1人。
もうすぐTHE ALFEE結成の瞬間になろうとしていますが、話の続きはまた別の記事でということで…↓
