古墳の蓋まで石垣に!?――石の声を聞く職人たちが築いた、400年崩れない石垣
夏に紀伊半島ぐるっと一周旅をした時に、時間がなくて通り過ぎてしまった松阪。
週末に思い立ち、ふらっと行ってみることにしました。
松阪は、確かお城と昔ながらの街並みがあったはず!道中、スマホで調べながら行き先を決めていきます。いつも行き当たりばったりです。
五郎さんも大満足、松阪市のソウルフード・松阪鶏
ちょうどランチタイムに松阪に着いたので、まずは地元で愛される鶏焼き肉の名店に行ってみました。
松阪と言えば松阪牛が真っ先に浮かびますが、鶏焼き肉も有名らしいです。

人気店なので待ち時間あるかな?と思ったのですが、回転が速いのですぐ席に案内されました。

五郎さんも来てた
どうやら、『孤独のグルメ』で五郎さんが訪れたことがあるようです(2021年の大晦日スペシャルに登場)。これは期待MAXです。

お肉のメニューは、若どり、親どり、きも、せせり。濃厚な味噌だれがお肉に合います。ご飯が進む、進む。

カウンターで頂いたのですが、右の席でも左の席でも「とり野菜」というメニューを注文してたのが気になりました。
なんだろう?と思って見守っていると、運ばれてきたのは大きな器に入ったスープ。どの席にも、野菜をたっぷり煮込んだスープが並んでいます。
せっかくなので食べてみたかったのですが、店頭で販売されていた「持ち帰りのタレ」を購入し、次の目的地へと向かいました。
築城の天才、蒲生氏郷による傑作

松阪鶏を堪能した後は、松坂城跡に向かいます。

公園として整備されているので、「何かしら面影があるだろう」くらいの軽い気持ちで訪れたのですが、その光景は期待を遥かに超えるものでした。

惚れ惚れする石垣の美しさ。素人目にも「これは立派だ」と分かるほどの存在感を放っています。
松坂城は1588年、蒲生氏郷(がもう うじさと)によって築かれました。氏郷は織田信長の娘婿であり、安土城の築城にも関わった人物。その経験を活かし、当時の最先端技術を投入して造られたのがこの城だそうです。
戦国時代の歴史を裏側から支えたエンジニア集団「穴太衆」の石垣

松坂城の石垣は、近江の石垣職人集団「穴太衆(あのうしゅう)」によって積まれました。
穴太衆は、現在の滋賀県大津市「穴太」を拠点としていた技術者集団です。もともとは比叡山延暦寺の土木工事を担っていましたが、織田信長が安土城を築く際、その高い技術力を見込んでスカウトしたことで全国にその名が知れ渡りました。


氏郷は、「自分の城を造るなら、最高の石垣職人を呼び寄せたい」と考え、同郷である穴太衆を呼び寄せたといいます。

彼らの極意は「石の声を聴き、石の行きたいところへ持っていけ」だそう。かっこよすぎる。

穴太衆は、必要とあればそこにある材料を最大限に活用して、最短期間で最強の城を造り上げるプロフェッショナルでした。
驚いたのは、石材不足を補うために、近隣の古墳から持ってきた「石棺の蓋」が石垣の一部として使われていること。歴史の重層性を感じる、嘘のような本当の話です。

向かって右:旧伊勢街道の常夜灯、
向かって左:旧櫛田川渡し場の常夜灯
歴史情緒あふれる御城番屋敷
城跡のすぐ隣には、松阪の歴史をより深く知る施設が並んでいます。 まずは、江戸時代の国学者・本居宣長が過ごした家を眺めつつ、その先にある御城番屋敷へと向かいます。

江戸時代の国学者・本居宣長が過ごした家
御城番屋敷は、松坂城を警護していた武士たちの住居(武士の社宅的なもの?)で、今も実際に子孫の方々が暮らしています。

石畳の通りと槙(まき)の生垣が続く景観
石畳の通りと槙の生垣が続く景観はとても美しいです。これだと、両側に家があるのは全く見えませんが、ところどころ槙が切れていて、そこが入口になっています。目隠しと防風防火、すごく機能的です。

一棟は内部が無料公開されており、当時の生活の様子を伺い知ることができます。



江戸末期の武家長屋が、これほど良い状態で残っているのは全国的に極めて稀だそうです。


明治維新により、武士たちは突然失業し、城を守るという仕事も給料も失いました。
そこで、1879年(明治12年)に設立されたのが、苗秀社という合資会社です。苗秀社は、銀行への出資や山林経営など、先見性のある投資を行いました。

この御城番屋敷も苗秀社が管理しているそうなのですが、普通に賃貸して住むこともできるとのことでした。全国的にも珍しい武家屋敷に賃貸契約で住めるって、すごすぎです!
豪商のまち、松阪を散策

背中がつるつるになっています(みんな乗ってるんですね)
続いて、城下町エリアへ。世界的な三井グループの家祖・三井高利を生んだ松阪は、多くの豪商を輩出した商業の都としても知られています。
三井高利は52歳で日本橋に呉服店「越後屋」(後の三越)を開業したと聞くと、人生まだまだなんだと勇気が出ます。



歴史の面影を残す建物を見ながら歩いていると、松阪駅に到着しました。

駅前にはなぜか鈴のモニュメント。なぜ鈴?と思ったのですが、すぐに答えが分かりました。

これは本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴」の一つ、「驛鈴(えきれい)」を模したものだそうです。
本居宣長が鈴好きだったことから、鈴はまさに松阪のシンボルになっているようです。街のお土産屋さんにも鈴があふれていました。
国宝の埴輪たちが迎える「はにわ館」

最後に訪れたのは松阪市文化財センター。敷地内にある「はにわ館」には、松阪が誇る歴史の宝物が眠っています。

公園内には埴輪のレプリカがたくさん飾られています。

国宝級の埴輪が近くで見れるのですが、入館料110円でした。

最大の見どころは、2024年に国宝へと昇格した宝塚1号墳から出土した埴輪の数々です。
宝塚1号墳と2号墳という二つの古墳は、当時の伊勢地方を治めた有力な首長たちの墓と考えられています。

全国でも数えるほどしか存在しないと言われる貴重な船形埴輪。全長140cm、高さ94cmで、高さにおいて日本最大だそうです。船の上に「蓋(きぬがさ)」や「杖」などの飾りが立てられた非常に珍しい姿をしています。
他にも、聖域を守る盾形埴輪や、当時の住まいを模した家形埴輪、そして古墳の周りを囲んでいた円筒埴輪などが並びます。





驚いたことに、ホールに展示してある本物の土器や埴輪は実際に触ることができるようになっていました。
え、いいの?太っ腹すぎません?触っちゃいますよ?全部の土器を触って、手触りを確かめました。

戦国時代の強固な石垣、江戸時代の豪商の知恵、幕末の武士の絆。そして、さらに時を遡った古墳時代の埴輪。これらが全部徒歩圏内につまっていて、松阪は歩くほどに発見がある街でした。
城跡の石垣に使われていた石棺の蓋が、もしこの宝塚古墳から運ばれたものだとしたら…。古代の石が戦国の城を支え、現代の私がその上を歩いている。
歴史の不思議な繋がりと余韻を感じながら、松阪を後にしました。
