織田信長はイベントプロデューサーだった。
【お城】
主に戦国時代から江戸時代にかけて、日本で築かれた軍事・政治的な拠点となった建物。
単に敵の攻撃を防ぐための要塞としてだけでなく、領主が権威を示すためのシンボルであり、政治・経済の中心地でもあった。

これまでお城に対して特に深い興味は持っていなかったのですが、友人と姫路城に行き、お城の奥深さを知りました。
敵の侵入を防ぐために様々な工夫が凝らされていたり、瓦が歴代の城主の家紋になっていたり、何人も歴代の城主がいることに驚きました(一人の人の家みたいなものだと思っていた)。

廃城になったお城の材料は、別のお城の材料として再利用されることを知りました。まさにSDGs。

大津城は役割を終え、1601年(慶長6年)に廃城となりましたが、城の石垣や建物の多くは、膳所城の築城のために転用されています。
広島城、大阪城、彦根城、金沢城、新宮城も見ました(金沢城は通りがかっただけなのでリベンジします)


熊野川を見下ろす、天空の城跡

そんな感じでいくつかお城は見てきたのですが、安土城は行ったことはなかったんです。「山の中にお城の跡がある」くらいのイメージだったので。

今回、たまたま安土城に行く機会があり、改めて見てみたら全然そんなことなくて、安土城すげぇ、と思いました。安土城は、織田信長の驚異的な「イベントプロデューサー」としての才能を物語る、壮大なプロジェクト跡だったのです。
いざ、安土城址へ

安土城は、織田信長が天下統一の拠点として、1576年(天正4年)から3年の歳月をかけて築城した城です。
滋賀県近江八幡市にある安土山に、石垣や礎石などの城跡が残されており、国の特別史跡に指定されています。

戦略的なロケーション選定
信長は、イベントプロデューサーが最高の会場を選ぶように、極めて戦略的に安土山を選びました。

「中間点」の優位性
安土山は、都である京都と旧本拠地の岐阜のほぼ中間点に位置し、かつては琵琶湖に面した水陸交通の要衝でした。この立地は、天下統一を目指す信長にとって、政治・経済・軍事のすべてにおいて理想的な拠点でした。
琵琶湖の活用(水上アクセス)
干拓によって、現在の安土山は湖岸から離れていますが、当時は郭が琵琶湖に接していたそうで、そのまま船で京都近くまで目指すこともできました。
水路を通じて京都付近まで直接アクセス可能であったことは、当時の物流と情報伝達において圧倒的な優位性をもたらしたはずです。
琵琶湖周辺には重臣のお城を配置し、坂本城(明智光秀)、長浜城(羽柴秀吉)、大溝城で琵琶湖を跨ぎ四角形を形成していたそうです。

この道を登っていくと上まで行くことができます。暑い日だったので、今回は上まで行くのはやめました。えぇ、本当に暑かったんです。

個人的にツボだったのが、「頑張って草刈り中」の立て札。

頑張って草刈りロボットが草刈りをしていました。お城×ロボット。お城もハイテクの時代なんですね(なんか意外)


空前絶後の高層建築
安土城天主は、当時の常識を覆す地下1階、地上6階(外観5層、内部7階)の空前絶後の高層建築でした。さらに驚くべきは、そのデザインです。
1992年のセビリア万博で復元された天主の最上部(5階と6階)は、現在「安土城天主 信長の館」で見ることができます。
今回は行けなかったのですが、安土城址地の横のところにミニチュアがあったので、そのミニチュアを見せてもらいました。受付の方が色々解説をしてくれました。「手を伸ばして撮影していいよ!」と言われたので、手を伸ばして写真を撮っています。内部まで見せて貰えました。

斬新なデザイン(驚きの演出)
外観は5層、内部は7階という複雑な構造で、最上階は八角形の豪華な望楼。単なる軍事施設ではなく、信長の権威を象徴する宮殿としての役割も果たしていたとされます。信長は、従来の常識を覆す建築で、人々を圧倒しました。

豪華絢爛な装飾(ブランドの確立)
安土城は、豪華絢爛な装飾でも有名でした。特に、天主の内部は金箔で飾られ、仏教や儒教の教えに基づく障壁画が描かれていたと伝えられています。



「信長の面白いところは、こういう絵もお城に描いているところだよ。」と解説してもらいました。城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されています。

いや、ほんとにすごい。現代なら意匠権取ったほうがいいと思いました。


幻想的で圧倒的な光のショーの演出

安土城がイベント会場であったことを最も象徴するのが、光のショーの演出✨️です。
天正9年(1581年)、ヴァリニャーノを安土城に招いた際、信長は城下の明かりを全て禁止し、周囲を黒闇にした上で、安土城の天主に無数の提灯を吊るし煌々と輝かせたそうです。まさに現代のライトアップイベントそのものです。視覚に訴えるブランディング戦略の巧みさに圧倒されました。
安土城は壮大なプロジェクト跡だった
正直、私はこれまで戦国時代に対して特によい印象を抱いていませんでした。しかし、安土城址を訪れ、石垣や礎石を見、そして豪華な天主のミニチュアを通じて、信長の発想力やプロデュース能力を知りました。
信長がこの城を「天守」ではなく「天主」と呼んだことにもこだわりを感じます。勝手な想像ですが、漢字一つの印象を考えたところはコピーライターにも通じるものがある気がします。
安土城は、織田信長の驚異的な「イベントプロデューサー」としての才能を物語る、壮大なプロジェクト跡でした。安土城に興味を持ったので、次は、「安土城天主 信長の館」にも足を運びたいと思っています。

