『一者のうちにある二者』-ハンナ・アーレントにおける「孤独」の概念

🇩🇪1906–1975
ユダヤ系ドイツ人で政治哲学者である、ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』(The Origins of Totalitarianism)の中で、一人であることの状態を「孤独(solitude/Einsamkeit)」、「孤立(isolation/ Isolierung)」、「見捨てられていること(loneliness / Verlassenheit)」=孤絶という三つの概念によって使い分けています。
『全体主義の起源』という書が、ナチズムやスターリニズムなどの全体主義体制がどのようにして誕生したのかを分析批判した内容となっているため、政治色が強い概念となっていますが、僕たちの日常生活的レベルでも普遍的なこととして妥当しています。
アーレントによると「孤独」とは、一人になって思考している時の様態を指し、孤独な人間は独りであるが、自分自身と対話する思考ができるのだと言います。
孤独においては私は「私自身のもとに」、私の自我と一緒におり、だから〈一者のうちにある二者〉である。
「孤独」というのは確かに独りですが、自分自身と対話ができるのです。それをアーレントは<一者のうちにある二者>という言葉で表現しています。
そしてその対話はしっかりと世界に開いてもいるとも言っています。
思考は孤独のうちになされ、私自身との対話である。しかしこの(一者のうちにある二者)の対話は、私の同胞たちの世界との接触を失うことはない。なぜなら彼らは、私がそれを相手に思考の対話をおこなう私の自己に代表されているからである。
僕の周りにも多いのですが、ほとんどの人が孤独を避けているように感じます。漠然と寂しいからということなんでしょうが、自分自身と向き合うというのはある意味危険なことでもあるので、無意識的に避けているのだと思います。
なぜなら自己というものは同一性をもつ、ひと繋がりの一者ではなく複数的で断続的である、ということがわかり混乱に陥るからです。しかしこのことはなんら異常なことではありませんし、むしろとても人間的なことだといえます。
アーレントは「孤立」をみずからとともにあることができない、自身の生活や仕事に熱中している状態と言っていますが(別に悪いことではない、むしろこれが普通なんだろう)、逆説的に聞こえるかもしれませんが、多くの人は「孤立」している状態が多いからこそ、表面的で安直な繋がりを求めたがるのではないでしょうか。
さて、ここでこのアーレントの「孤独」を見事に表現しているアーティストを三名紹介したい。
この三名に共通してるのは、分裂気質であるということです。気質とは性格的傾向のことであって何か病的なものということではありません。
特徴としては感受性が強く、自分の世界を持っている孤高の天才肌という感じでしょうか。
もう一つの共通な点は親密な人(親類)の壮絶な死を経験しているということです。
「心」の葛藤を描くのに優れた音楽アーティストは沢山いると思いますが、キルケゴールが「人間は精神である」といったように、「精神」の葛藤を描くことができるアーティストはごく一握りのように思えます(心と精神は対応はしているが全く別)。

まず一人目は宇多田ヒカルさんです。
約九年の精神分析(ラカン派)の経験を経て、特に復帰後の曲の歌詞には顕著に自己との対話の場面が描かれています。
自我=僕、超自我=君、としたり他我(他者)=あなたとしたりと、意味をずらすことによって、深層で行われている壮絶な自己(他者)との対話を、あたかも表面的な男女の恋愛ソングを装うことによって覆い隠しています。
宇多田さんの楽曲については、他で詳しく考察しているので、是非そちらも読んでいただきたい。

二人目は三人からなるラップグループ「舐達麻」の一人、バダサイクッシュです。
彼は若い頃の覚醒剤の常習により、右の耳がほぼ聴こえないというハンデをもっています。
バダサイは読書家でもあり、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』に影響を受けたというずば抜けたリリックの表現力、映画的構成力は、他とは一線を画しています。
2009年、仲間と金庫強盗をしてパトカーから車で逃走中、140kmというスピードで壁に衝突し(運転手はデルタナイン)後部座席に乗っていた仲間の一人が窓から放り出され、全身強打により亡くなっています。
彼は生き残ってしまった側の人間として、十字架を背負っている。自身がいうように彼が書くリリックはレクイエム(鎮魂歌)なのです。
俺は俺だが お前と俺で 俺になる
他と同じはず
妬み嫉妬ましてや 羨望など蚊帳の外
もう1人の俺と 昔話で先を見てるところ
何を言えども 口すら聞けないお前と
一緒に居ると思うと 女々しいから何も言わない
声が小さくて聞こえねえ意見
傾ける耳 考える意味 続ける明日 明後日
一者のうちにある二者、自己と徹底的に向き合い、さらにそれを俯瞰することができないかぎり、このような言葉は決して出てこないでしょう。
じっと 考えてるLyricを それは一人でも大勢でも変わらない事
このリリックもアーレントの「孤独」が見事に表現されています。
一人の中で行われる、孤独な状態においての思考というのは多であり、そして多であるということは一であるということです。
だから変わらないのです。

バダサイだけでなく、G-PLANTS(ジープランツ)とDELTA9KID(デルタナインキッド)のリリックも文才が爆発していて、彼らの楽曲は一冊の完成された小説(哲学書)を読んでいる感覚を与えてくれます。
G-PLANTSは幻想的、夢想的なリリックが多く、
DELTA9KIDのリリックは願いと共にある信念が色濃く表現されているように僕は感じます。

そして3人目はJJJです。
JJJも自身の生について深く悩んだ人だったようです。Fla$hBackS時代に仲間であり、親友だった一人を亡くしています(死因は不明)。
そして今年2025年4月にJJJは病院で息を引き取ります。(享年35歳 死因は不明)
周りがよく見える
複数の声
俺もその1人
だから曲を作る
–「心 feat. OMSB」
精神的葛藤を乗り越え制作されたアルバム、「MAKTUB」に収録されている楽曲で、アーレントの「孤独」、自己の中の対話がかなり鮮明に描写されたリリックです。
ジョンナッシュと戦うウォーリアー
俺の言葉
Beautiful mind
Beautiful mind
こちらも「MAKTUB」に収録されている楽曲です。

🇺🇸1928-2015
ジョンナッシュは実在したアメリカの天才数学者です。三十代の頃に強い妄想型の精神病を患い闘い続け、その中1994年にノーベル経済学賞を受賞し、2000年代には数学界の最高賞「アーベル賞」も受賞しています。映画化もされていて、その題名が『A Beautiful Mind』です。僕もとても好きな映画で、人の精神の美しさは知性だけでなく、苦悩と真っ向から向き合う勇気にあるということを教えてくれます。
JJJももちろんこの映画を観たでしょうし、ジョンナッシュに自分自身を重ね合わせ、似ている部分があると感じたのだと思います。
俺の言葉はこの「Beautiful Mind」(美しき精神)から紡ぎだされているんだぞ、と。
では最後はドイツの哲学者、ショーペンハウワーの言葉で締めくくりたいと思います。
人間は孤独であるかぎり、
彼自身であり得る。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
