標準化のスキマ#2|人はデータを改ざんするのではなく、翻訳する
前回は、鳴り物入りで導入された「統一フォーマット」が、現場の手によって備考欄や独自の色塗りで改築され、あっという間に原型を留めなくなっていくプロセスを覗き込みました。
経営層やシステム部門からすれば、決められた通りに入力しない現場は「ルールを守れない人たち」に見えるかもしれません。
しかし、現場の人間は決して、悪意を持ってデータを壊しているわけではありません。
彼らはデータを改ざんしているのではなく、遠く離れた会議室に向けて「文脈」を翻訳しているのです。
無機質な数字と、熱を帯びた「現場の事情」
現場で日々発生する事象には、必ず「文脈(コンテキスト)」という熱が伴っています。
例えば、ある案件の売上見込が「50万円」だったとします。
システムにとっては、ただの「500,000」という数値データに過ぎません。
しかし、現場の担当者にとっての50万は、ただの数字ではありません。
「本来は100万で売りたかったが、競合の動きが激しく、血を吐くような交渉の末にようやく死守した50万」かもしれない。
あるいは「今はまだ10万だが、顧客との感触としては絶対に50万まで伸びるという確信がある数字」かもしれない。
現場の人間は、その数字の裏にある泥臭いストーリーや、顧客との関係性をすべて知っています。
しかし、標準化されたシステムは、そうした文脈を一切受け付けてくれません。入力できるのは、冷たく乾いた「500,000」という結果だけです。
遠く離れた会議室への「防衛本能」
ここで、現場の担当者は入力をためらいます。
このまま、文脈を削ぎ落とした「500,000」という裸の数字だけをシステムに入力して、上層部へ送信してしまって良いのだろうか、と。
もし、この数字だけを見た上司が「なぜ当初の予定の100万から半減しているんだ。君の怠慢ではないのか」と誤解したらどうしよう。
あるいは「すでに50万で確定しているなら、来月の見通しに組み込んでしまおう」と、現場の肌感覚を無視した先走った判断をしてしまったらどうしよう。
彼らは、遠く離れた会議室にいる人々が、裸の数字を見て「間違った解釈」をすることを本能的に恐れます。
だからこそ、彼らはシステムに入力する前に、頭の中で高度な翻訳を行います。
上司に突っ込まれないように、少しだけ数字を丸めて入力しておく。
あるいは、システムが想定していない「備考欄」を勝手に作り、そこにびっしりと経緯を書き連ねる。セルの色を変えて「これは普通の50万とは違う」というシグナルを送る。
これらはすべて、組織の中で自分の身を守り、同時に、上層部に状況を正しく理解してもらうための、切実な「生存戦略」なのです。
「優秀な翻訳者」だからこそ、標準化に失敗する
私たちは、この翻訳プロセスを「忖度」や「データの濁り」と呼んで嫌います。
しかし、空気を読み、相手の反応を予測し、相手の文脈に合わせて情報を調整するというのは、人間が持つ極めて優秀な能力そのものです。
人間が優秀な翻訳者であるからこそ、純粋で標準化されたデータを作り出すことにおいては、最も不適格な存在になってしまう。
これが、標準化というしくみのスキマに潜む、最大の矛盾です。
人が介在し、人がその業務のために数値を打ち込む構造である限り、データには必ずその人の立場や保身というバイアスが混入します。ルールをいくら厳しくしても、人は必ず新しい抜け道を見つけて、データに文脈を乗せようとします。
では、この現場の「翻訳」を経たデータが、システムというパイプを通ってさらに遠く、経営層のダッシュボードに辿り着いたとき、何が起きるのでしょうか。
次回、第3話では、現場から遠く離れた場所で静かに進行する、組織の致命的な「難破」についてお話しします。
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(※私たちが無意識に行っている「文脈の翻訳」について触れています)
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・疎結合と密結合のはざまで
