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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第六十四話 背中の傷

味方の顔をした誰かに、背中を刺された。

その傷を見たとき、私はようやく気づいた。

この禁区では、正面から来る敵よりも、笑って近づく敵のほうが怖い。

エラとヨル 第六十四話
【背中の傷】


空気を焦がす熱が伝わる。

苦痛に顔を歪めながら、ハーミットは詠唱を続けていた。

その周囲から、無数の火球が浮かび上がる。

指し示した方向へ、高速で放たれる火球。

だが、それらはタワーの持つ黒い大楯の前で激しく爆ぜるだけだった。

爆炎が広がっても、タワーの体には一つの傷もついていない。

私たちが目の当たりにしたのは、横腹から血を流しながら、女帝の前に立つハーミットの姿。

そして、その前で大剣を抜くタワーだった。

ハーミットの傷は、明らかに正面から受けたものではない。

背中から刺された傷だった。

激しい息を繰り返しながら、ハーミットはタワーを睨みつけている。

その顔は、血の気を失っていた。

サンはすぐに剣を抜いた。
二人の間へ滑り込み、タワーに剣先を向ける。

俯いていた女帝の顔が、一瞬だけ上がった。

その直後だった。

女帝に向かって、一本のナイフが飛んできた。

フォーチュンが剣を振る。
乾いた音とともに、ナイフが床へ弾き飛ばされた。

「おや。援軍かい?」

軽口を叩きながら、暗闇の奥から吊るし人が現れる。

「やはり、裏切っていたのね」

仮面の奥で、サンの体が震えた。

怒りを抑えているのが、私にもわかった。
私たちも剣を抜き、女帝を守るように間へ入る。

「おーおー。頼もしい限りだな」

吊るし人は、私たちを見渡して嘲笑った。

「ジャッジメントのジジイも老いたもんだ。女ばかり寄越しやがって」

わざと煽るように、言葉を続ける。

「味方なの……?」

ハーミットが、掠れた声で呟いた。

片膝をつき、今にも倒れそうになる。
私は慌ててその体を支えた。

流れた血が、ローブを赤く染めている。
そこで、私はもう一度傷口を見た。

やはり間違いない。
傷は背中から腹へ向かって伸びていた。

「あなたたちが、後ろから刺したのね!」

私の声が強くなる。

吊るし人を睨みつけると、彼はナイフを持った両手を小さく上げて笑った。

「まともにやりあったら厄介だからな。そのババアは」

吐き捨てるような言葉だった。

サンの剣先が、わずかに揺れる。

「マジシャンはどうしたの!」

サンが怒鳴った。

その声が禁区に響く。
暗闇の奥から、もう一つ人影が現れた。

女帝の姿だった。

違う。

あれは、姿を変えたラヴァーズだ。

「マジシャンなら、今頃寝てますよ」

女帝の顔のまま、ラヴァーズは微笑む。

「二度と起きませんが」

そう言うと、女帝の姿のまま剣を抜いた。

私は倒れそうになるハーミットを床へ寝かせ、布を傷口に強く押し当てた。

オトがすぐに駆け寄り、傷口を確認する。

「深いですが、致命傷ではありません」

そう言うと、鞄から小さな瓶を取り出した。

中の液体を、傷口へ振りかける。

「ううっ……」

ハーミットが、苦悶の表情を浮かべた。

「少し痛いですが、我慢してください」

オトは慣れた手つきで、傷の手当を始めた。

ガァン、と大きな音が響いた。

いつの間にか飛び出していたエラが、大きく跳び上がり、タワーの大楯へ蹴りを叩き込んでいた。

「硬いな」

エラは盾で防がれた反動のまま宙返りし、床へ着地する。

「おいおい、話の途中でしょ?」

吊るし人が、笑うように言った。

「どこの野生児、連れて来たんだぁ?」

その言葉が終わる前に、サンの鋭い突きが吊るし人の服を裂いた。

「あなた、喋りすぎです」

サンは間を置かず、続けざまに剣を繰り出す。

鋭い突きと斬撃が、吊るし人を襲った。

吊るし人は、無数の刃をぎりぎりで躱しながら距離を取る。

「やっぱり、あのじじいの弟子かぁ?」

吊るし人はサンを見ながら、服に空いた穴を横目で見つめた。

シルベが、握る手の熱を吸うように熱を帯びていく。

金属音とともに、剣が弾かれた。

ラヴァーズの剣を、フォーチュンが防ぐ。

私も剣を抜き、それに加わった。

「この人……剣も盗みます」

並びながら、フォーチュンが呟く。

夜ではない。
共鳴が使えるわけでもない。
それでも、この暗闇の中では、私の目は影を追えた。

ラヴァーズの動きが、一瞬ぶれて見える。

上段から来る。

そう思った瞬間、体が動いた。

半歩下がり、振り下ろされた剣を躱す。

その隙を狙い、フォーチュンの剣が前へ出た。
ラヴァーズはそれを躱す。

そして今度は、私へ向かって剣を振った。

目の前に剣先が横切る。
寸前のところで躱すと、私はシルベを突き立てた。

それを悠々と躱すラヴァーズ。

フォーチュンの金色の目が、淡い光を灯す。

彼女は見ている。

数歩先の剣撃を。
そして、私の動きを。

「合わせ……ます」

その言葉が合図になり、私は前に出た。

突き、払い、躱す。

その合間に、フォーチュンの剣が入る。

ラヴァーズの動きは正確だった。
どこかで見たことがある。

そうだ。

祭りの夜に見たサンの動きに近い。

ーーあの時、盗んだの!?

当たった剣の反発を利用して、次の一振りを加速させる。
こちらの一太刀に、三太刀を返してくる。

シルベが、さらに熱を帯びていく。

息を呑むような攻防が続く。

止まったら負けだ。

私は、エラの言葉を思い出す。

前へ。

前へ。

前へ。

足を動かし、突き続ける。

ラヴァーズには届かない。
しかし、近くから声が聞こえた。

「上。上。下。中」

フォーチュンの声だ。

その声に合わせるように、ラヴァーズの剣が振られていく。

私はフォーチュンの声を頼りに斬撃を躱す。

「中。中。払って、しゃがむ」

その言葉を聞いて、私は最後にしゃがまなかった。

代わりに、シルベを前へ突き出す。

ラヴァーズの剣が、私の頭上を通り過ぎた。

シルベの切っ先が、ラヴァーズの肩へ深く刺さる。

「……っ!」

ラヴァーズが初めて驚いた表情を浮かべた。

肩を押さえ、一歩だけ後ろへ下がる。

その隙に、私の顔を狙ったラヴァーズの剣を、フォーチュンが弾いた。

「ヨルさん、性格悪い……です」

口元を上げながら、フォーチュンが言った。

地鳴りのような衝突音が、禁区に響いた。
石塵の向こうで、タワーが壁へ叩きつけられている。

その手前では、エラが拳を振り抜いていた。

ーー派手にやってる。

私も口元が上がった。

「フォーチュン、行くよ!」

そう言うと、ラヴァーズに向かってシルベを構えた。


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