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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第六十五話 お姉さん

ニコとサーシャ。

二人の物語と、二つの名前が。

戻る時が来た。

エラとヨル 第六十五話
【お姉さん】


シュン、と空気を裂く音がする。

これまで旅の中で、何千回と繰り返した動き。

エラに教わって、オトが直してくれた動き。

手の中のシルベが、語りかけるようだった。

前へ。

その言葉が頭に響いた時には、ラヴァーズの胸に剣が届いていた。

無意識に近い。

手の中に、確かな感触が残っていた。

次の瞬間には、フォーチュンの剣先がラヴァーズの喉を突いた。

「ゴフッ……」

口から血を吐き、喉元を押さえながら倒れ込む。

その顔は女帝ではなく、一人の女性に戻っていた。

「あなたの顔……初めて見ました」

フォーチュンは、その顔を見つめながら呟いた。

離れた場所から、吊るし人の声が響く。

「ほら、どうした。お嬢さん」

私が振り返ると、女帝を庇うように立つサンの姿があった。

吊るし人は離れた位置から、女帝めがけてナイフを投げる。

サンがそれを剣で払う。

その隙に、吊るし人は位置を変え、またナイフを投げた。

ーーどこまで卑怯なの。

シルベを握る手に、力が入る。

「フォーチュン。女帝をお願い」

私が言うと、フォーチュンは黙って頷き、女帝の前へ駆け出していく。

「おっ? まずいか」

その動きに気づいた吊るし人が、慌てたように何かを投げた。

床に当たると、黒い煙が上がる。
まるで煙幕のように、周囲を覆った。

「じゃあ、またな」

吊るし人の、馬鹿にしたような声が聞こえる。

「逃しません」

そう言うと、オトの歌うような詠唱が響く。
辺りのミニアが、歌声に反応するように揺れ始める。

徐々に、煙の向こうにある輪郭を浮かび上がらせた。

直後に、サンが動く。

真っ直ぐに。
そこに浮かぶ影へ向かって。

「待て、待て、ちがっ……」

吊るし人の声だけが響く。

一瞬の静寂。

人の倒れる音がした。

少しずつ晴れていく煙の先には、地面に伏せる吊るし人と、剣を持ったサンの姿がはっきりと現れた。

サンは振り返ると、女帝を見つめる。

女帝もその姿を、黙って見つめ返す。

私は、決着が近いと感じた。

ーーエラは?

辺りを見渡すと、タワーの巨体に向かって拳を振るい続けるエラが見えた。

エラは叫びながら殴る。

「いい加減!」

タワーの鎧にヒビが入る。

「壊れろよ!!」

エラの一発一発の拳が、鈍い音に変わる。

「私は、ニコと話すんだ!!」

ミシミシと音を立てて、鎧が崩れていく。

「邪魔するな!!!」

最後の一撃が鎧を砕くと、タワーは両膝をつき、その場で動かなくなった。

静寂。

目の前の戦いには、決着がついた。

私はシルベを鞘に収めて、エラに歩み寄った。

エラの拳から血が流れている。
力任せに殴り続けたはずだ。

私はエラの手に布を巻きながら、語りかけた。

「ニコが待ってるよ」

エラは泣きそうな顔を、両手で覆った。
そのまま、自分の頬を叩く。

パチン。

「うん。行って来る」

無理して笑っているのがわかる。
エラは女帝に向かって歩き始めた。

エラとサンと女帝は、互いに向き合うように立った。

サンがゆっくりと仮面を外し、その赤い瞳を覗かせた。

「ニコ。忘れ物、返しに来たよ」

サンがゆっくりと話す。

それまで表情ひとつ変えることのなかった女帝の頬が緩む。

「サーシャ。ごめんなさい。上手くできなくて」

女帝という仮面を外したニコの瞳が揺れた。

サンは小さく首を振ると、ニコを抱きしめた。

「逃げたのは私。あなたの名前を奪ったのも私。待たせてごめんね」

そう言うと、サンの頬に涙が伝った。

「姉さんの場所を取ったのは私。姉さんの名前を奪ったのも私」

ニコはそう言うと、静かにサンを抱き寄せた。

「名前、返すね。ニコ」

サンが言う。

「名前、返していいの? サーシャ」

ニコがサンを見つめて聞いた。

「うん。お姉さんって呼んでいいよ」

そう言うと、サンは泣きながら笑った。
サンの胸に泣き崩れるニコを、エラが黙って見つめる。

それに気づいたニコは顔を上げて、エラに向かって口を開いた。

「……」

言葉が出ない。
ニコの手だけがエラを求めてる。

ニコはその手を握りしめると、胸にゆっくり置き俯く。

ゆっくりと息を整えるように。
深呼吸するように。

顔を上げたニコが、絞り出すように声を出した。

「エラ……」

その一言だった。

エラは両手を広げてニコとサンに抱きついた。

「ニコ。ごめん」

エラもその一言だった。

ニコは何度もエラの名前を呼ぶ。
エラも何度もニコの名前を呼ぶ。

三人の声だけが禁区の中に響いている。

私は思う。

彼女たちに必要だったのは、
名前を返すことだけじゃない。

こうやって、
もう一度笑い合える時間だったのだと。

「エラ……」

気づくと私も、その名前を呟いていた。



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