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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第六十九話 縛る石


私は、人を殺した。

止めるために刺した。

それでも、息の仕方さえわからなくなるほど、胸が苦しかった。

エラとヨル 第六十九話
【縛る石】

視界が揺れる。
自分の息をする音だけが、耳に聞こえてきた。

ハァ、ハァ、ハァ。

吸っているはずなのに、胸が苦しい。
私は胸を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。

「ヨル……大丈夫。終わった」

フォーチュンが顔を覗き込みながら、声をかけてくれた。

終わった……。

その言葉が、ぽたりと胸の奥へ落ちる。
体が熱くなり、急に震えが止まらなくなった。

フォーチュンはゆっくりと私の背中を叩きながら、静かに呟いた。

「慣れなくて……いい」

気づくと、涙が頬を伝っていた。

止めるためにやった。
間違いではない。

そう言い聞かせても、それを否定する気持ちが溢れてくる。

もっと上手くできたんじゃないか。
もっと方法があったんじゃないか。
もっと……もっと……。

「他の方法はなかった……」

フォーチュンが優しく言う。

わかっている。
わかっているけれど、そうじゃない。

私は初めて、自分の剣で人の命を止める怖さを知った。

禁区が静まり返っている。

剣を握っていた右手は、まだ小さく震えていた。
その静寂を打ち破るように、ディアの声が響く。

「シーズ!!」

ディアの剣が炎をまとった。
剣先を向け、怒りを露わにしている。

シーズは足元に転がる竜石を拾い上げると、ディアを見つめた。

私は黙って、その光景を見つめることしかできない。

ディアが剣を振り上げようとした時、もう一つの人影が現れた。

白いローブ。
髪も口髭も真っ白な、老齢の男性だった。

男はゆっくりとフードを下ろす。

ディアが目を見開いた。
そして、口にした。

「父上……」

ディアにそう呼ばれた男は、ゆっくりと口を開いた。

「ディア。終わったんだ。全て終わった」

柔らかな表情だった。
けれど、その目には深い疲れが滲んでいる。

「どうして父上がここへ!?」

ディアの剣から、炎が消えていく。

「守護者はどうしたんです。父上まで、こんな場所に来るなんて……」

「ここに他の守護者はいない」

男は静かに答えた。

「竜祀教は、もう崩れた」

ディアの顔が強張る。

「……どういうことですか」

「シーズが、私のもとへ来た」

男は隣に立つシーズへ目をやった。

「主教の日記。シーズへ出されていた命令書。そして、教団に隠されていた本来の経典を持ってな」

シーズは、竜石を握る手に力を込める。

「主教を問いただした」

男は一度、目を閉じた。

「奴は全てを認めた。そして、自ら命を絶った」

禁区に、重い沈黙が落ちた。

「私は守護騎士団の団長でありながら、主教の言葉を疑わなかった」

男の声は、僅かに掠れていた。

「証拠を見せられても、すぐには信じられなかった。だが、日記も命令書も、本来の経典も……全てが、私たちの教えが歪められていたことを示していた」

ディアは何も言えず、父を見つめている。

「お前が主教に命ぜられて、ルーベントへ向かったと知ったのは、その後だ」

男は言った。

「だから私は、シーズとここへ潜んだ。お前を連れ戻すためじゃない。主教に奪われた、お前自身の意思を取り戻すために」

シーズが、手にした竜石をゆっくりと前へ出す。

「ディア。俺たちはみんな……主教に騙されていたんだ」

シーズの言葉にディアの眉が上がる。

「竜石は、真なる竜の眠りを縛るための石じゃない」

ディアがシーズを睨む。

「戯言を言うな!」

禁区に、ディアの声が響く。

「竜石は真なる竜の眠りを縛るもの。人が簡単に扱ってはいけないものだ!」

そして、父へ向けた叫びと、団長へ向けた糾弾が重なる。

「ルース団長。そう言ったのは、あなたじゃないですか!」

ルースは目線を落とし、呟いた。

「竜石について、私たちが教えられてきたことは、都合よく切り取られていた」

ディアの肩が僅かに揺れる。

「真なる竜は存在する」

ルースは静かに続けた。

「だが、竜石が眠らせているわけではない。真なる竜は、神々自身が封じたものだ」

私は思わず、シーズの手にある青い石を見つめた。

「神々の戦いの中で生まれた真なる竜は、世界そのものを壊しかねない力を持っていた。だから、作った神々でさえ恐れた」

ルースの声には、長く信じてきたものを口にする痛みが混じっていた。

「今、この世界にいる竜は、妖精が真なる竜を模して作ったものだ」

ディアが、黙って頷く。

「だが、その模倣品ですら、妖精には制御できなかった」

ルースはシーズの手の中にある竜石を見る。

「だから妖精は、竜に対抗するために、人へ竜の力を宿した。竜なる人を作り、その力を扱うために竜石を残した」

「竜石は、竜なる人の力を引き出すことができる」

シーズが続ける。

「同時に、暴走した力を抑えることもできる。本来は、本人と周囲を守るための制御器だった」

「制御器……」

ディアが呟く。

「竜なる人の意識に触れ、力を鎮めるためのものだ」

シーズは唇を噛んだ。

「でも主教は、その仕組みを歪めた」

竜石を見つめながら、低い声で続ける。

「記憶を曖昧にして、別の記憶を刷り込む。意思を奪い、自分に都合のいい考えを入れる」

エラのことだ。
教団で、エラにされたこと。

私は息を止めた。

「主教は竜石を、人を守るためのものじゃなくした」

シーズの声が震えている。

「竜なる人を、自分の望む神にするための道具に変えたんだ」

ルースがゆっくりと頷く。

「竜石は、人を支配するために作られたものではない」

その言葉は、ディアだけではなく、この場にいる全員へ向けられているようだった。

「暴走した力から、本人と周囲を守るためのものだった」

シーズは胸元から、一冊の手帳を取り出した。

「これが、主教の日記だ」

ゆっくりと開く。

「ドラゴンに救いはない。神も死んだ。我々は何のために存在する?」

禁区の空気が、さらに冷えた気がした。

ルースが眉間に皺を寄せる。

「私は主教に、それを突きつけた」

一度、言葉を切る。

「奴が、なんと答えたかわかるか?」

誰も答えなかった。

「神は死んだ。ならば我々で、神を作れば良いと」

ディアは手にしていた剣を、力なく落とした。
カランと音を立て、剣が床を転がる。

「ドラゴンが……神じゃなかったんですか……」

ディアは、誰かに聞かせるわけでもなく呟いた。

「真なる竜はいる」

ルースは静かに答えた。

「だが、その竜は眠り続けている。我々を救うことも、導くこともせずにだ」

ルースは、シーズの持つ竜石へ目をやる。

「主教は竜石を手に入れ、竜なる人を操り、新たな神とするつもりだった」

「その神を使って、自分の望む秩序を作ろうとした」

「そんな……」

私は言葉を失う。

フールの目的は、自分の言いなりになる人を檻に閉じ込めることだった。

主教の目的は、自分の見たい世界を作ることだった。

やり方は違う。
けれど二人は、同じことをしていた。
人を、自分の望む形に縛ろうとしていた。

「なら、その言葉を信じて死んでいった者たちはどうなるのです!」

ディアは両膝をついた。
床を何度も叩きながら叫ぶ。

「そして、それが正しいと思って傷つけた人たちに、なんと言えばいいのですか!」

悲鳴に近い言葉が溢れ出す。
誰も、すぐには答えられなかった。

禁区には、ディアの荒い息だけが残っている。

束の間の静寂が周囲を支配していた。

突然、パラパラと天井が崩れ始める音が聞こえる。
それに続いて、地面が大きく揺れ始めた。

これまで感じたことのないほどの強い揺れが、辺りの壁を揺らす。

「もう時間がない。まずはここから抜け出す」

シーズはそう言うと、エラたちのいる場所へ向かって走り出した。

私とフォーチュンも、その後を追う。

膝をついたディアは、ルースに肩を掴まれると、ゆっくり立ち上がった。

そして、父と共に歩き始める。

私たちがエラの元へ戻ると、そこには見たことのある男が待ち構えていた。

チャリオットが腕を組み、口元を上げる。

「遅いぞ!」

そう言うと、エラとハーミットを両脇に抱え、走り出した。

サンはニコの肩を借りて、立ち上がる。

「こっち……ついて来て」

フォーチュンが金色の瞳を輝かせ、先頭に立った。

私たちは、崩れゆく禁区を一斉に走り出した。



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