イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第七十話 まだ終わってない
フールは倒れた。
けれど、まだ終わってはいなかった。
崩れゆく禁区の中で、私たちは出口を探して走っていた。

エラとヨル 第七十話
【まだ終わってない】
大きく揺れる地面と、崩れゆく壁。
禁区の天井が、耳を裂くような音を立てて落ちてくる。
「そっち……危ない」
フォーチュンが指をさすと、みんながそちらから離れた。
その直後、轟音とともに天井が崩れ落ちる。
私たちが進んだ先は、最初に潜った黒門ではなかった。
細かな通路が続く長い坂道を、何度も折り返しながら、私たちはひたすら前へ進む。
フォーチュンの足取りに迷いはない。
その背中を追って走っていると、少しずつ空気が軽くなっていくのを感じた。
顔を上げると、通路の先からわずかな光が漏れている。
――出口だ!
チャリオットに抱えられたエラを見る。
まだ意識は戻らない。
それでも、ときどき眉を動かしていた。
振り返ると、みんながついてきている。
「あと少しだよ」
私がそう言うと、光の差す方へ走り出した。
やがて、陽の光が当たる場所へ飛び出す。
地面の揺れは幾分おさまっていたが、目の前に広がっていた街の景色は、私たちが禁区へ入る前とはまるで違っていた。
中央殻都の大きな建物は倒壊し、逃げ惑う人々があちこちを走っている。
叫び声と、鳴き声のような悲鳴が重なっていた。
LAGの制服を着た男たちが懸命に人々を誘導している。
それでも、そこかしこで崩落と火災が起き、混乱はまだ止まっていなかった。
私はその光景に、言葉を失った。
そのとき、ニコが一歩前に出る。
「私が指揮をとる」
大きな声だった。
けれど、不思議と怒鳴ったようには聞こえない。
瓦礫の音も、悲鳴も、すべてを押し返すような声だった。
その声を聞きつけ、周囲にいた男たちがニコの前へ集まってくる。
赤い瞳の構成員だけではない。LAGの憲兵たちも、その中にいた。
ニコは迷わず指示を飛ばした。
「中央殻都の大広場に人を集めよ」
「大門を開け。外部の人間を中へ入れろ。怪我人を優先する」
「LAG職員はバラバラで動くな。一箇所に集まり、区域ごとに救助と搬送の手配をしろ」
そして最後に、ニコは周囲を見渡す。
「ディケとローズを中央に呼んで」
指示が飛ぶたび、男たちは動き始めた。
誰かが走り出し、その声を別の誰かが引き継いでいく。
混乱の中に、少しずつ道が作られていった。
ニコが指示を出してから、しばらく経った。
陽が傾くころには、中央殻都の大広場に無数のテントが建てられ、臨時の救護所が設置されていた。
怪我人が次々と運び込まれ、水や布を運ぶ人たちが広場を行き交う。
泣きながら家族の名前を呼ぶ人たちの声も、あちこちから聞こえてきた。
その片隅では、重傷を負ったハーミットとサンの手当も始まっている。
私は、簡易のベッドに横たわるエラのそばで椅子に座り、辺りの景色を見つめていた。
夕日が差し込む広場の向こうには、ルーベントの外苑が見える。
いくつかの黒煙はまだ立ち昇っていたが、火の手は少しずつおさまりつつあった。
「少し落ち着きましたね」
顔を上げると、オトが杯に入った水を差し出していた。
私は黙って受け取り、一口飲む。
水が体に染み込んでいくようだった。
喉がカラカラだったことすら、忘れていた。
杯を持つ手が、わずかに震えている。
一瞬、禁区でフールを刺したときのことが頭をよぎった。
けれど私は小さく首を振り、その記憶を追い出す。
――そんなことを思い出している場合じゃない。
まだ意識の戻らないエラの顔を見つめてから、私はオトに訊ねた。
「みんなは?」
「サンもハーミットさんも、助かるそうです」
オトは、ほっとしたように答えた。
「今はニコさんが中心になって、救助活動の指揮をとっています」
そう言いながら、オトは服の端のほつれを指でつまみ、少し離れた先にある大きなテントへ目を向ける。
そこでは、赤い瞳、LAG、砂漠の薔薇を問わず、多くの人が動いていた。
「ディケさんが以前から考えていた防災計画が、役に立ったようです」
私は黙って、その言葉を聞く。
「ローズさんは商人たちを説得して、倉庫の商品を解放して配ってくれています」
普段は互いをけん制していた組織が、街の崩壊を止めるために協力している。
そう思うと、少しだけ口元が上がった。
「ディアさんたちは……」
オトの言葉が止まる。
少し俯き、言葉を選ぶようにしてから続けた。
「ルース団長を含め、竜祀教の人たちは全員投降したそうです」
「じゃあ、シーズは!?」
思わず声が大きくなる。
オトは、少しだけ笑った。
「安心してください。投降した人たちは拘束されず、今は救助に回されています」
「ニコさんが、反省するなら街の人を救えって。今はみんな、こき使われています」
私はひと息吐き、テントの外へ目をやった。
シーズとも話したいことは、たくさんあった。
でも、今じゃない。
そう考えていたとき、ベッドの方からかすかな声が漏れた。
「うっ……ここ、どこ……?」
エラの声だ。
「エラ! 大丈夫?」
エラは無理に体を起こそうとした。
けれど力が入らず、そのまま前へ崩れかける。
私は慌ててエラの体を支え、横に寝かせようとした。
けれど、エラは首を振った。
「ヨル。まだ終わってない」
そう言うと、私の肩に腕を回し、もう一度立ち上がろうとする。
「エラさん。フールは倒しました。竜石も無事です」
オトが、エラを制するように言った。
「この街は、このままだと止まれない。それを止めなきゃ」
エラは頭に手をやり、眉間に皺を寄せながら答える。
「どうやって?」
私が訊ねると、エラの口元が少し上がった。
「ニコと話させて。方法がわかったかも?」
私とオトは目を合わせ、エラを挟むようにして両側から肩を貸した。
大きなテントが見えてくる。
足早に動く人影の先には長机が並べられ、その上にはさまざまな地図が広げられていた。
近くには、ディケとローズの姿も見える。
私たちの姿を見て、最初に声を上げたのはローズだった。
「やっとお目覚めかい?」
ローズは鼻を鳴らし、微笑みを浮かべた。
その横で、ディケがすぐに口を開く。
「怪我人は休んでいてください。救助活動の邪魔です。これはルーベント防災計画第三項――」
「ごちゃごちゃ、うるせぇんだよ!」
ローズがディケの頭に手をのせ、髪を揉みくちゃにする。
「やめてください。暴力ですか? 逮捕しますよ」
ローズの手を払おうとしながら、ディケが叫んだ。
「女帝に話があります」
私が言うと、二人の視線がこちらに向く。
「エラが、この街を……ルーベントを救う方法を思いついたと言っています」
その言葉に、テントの奥にある天幕が開いた。
「エラ。その話、詳しく聞かせて」
ニコの赤い瞳が、エラをまっすぐ見つめていた。

