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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第六十二話 裏切り者の名


フール。

その名が落ちた瞬間、部屋の空気が凍った。

祭りの夜に現れた道化の顔が、誰の脳裏にも同時に浮かんでいた。


エラとヨル 第六十二話
【裏切り者の名】


「フールが……どうして?」

ジャッジメントの眉間に、深い皺が寄る。

「証拠はありません。あくまで推測です。ですが、奴は周到に準備を進めています」

「尻尾……掴めません」

フォーチュンが俯いたまま答えた。

確かに、祭りの夜、私たちは女帝サーシャと名乗る人物に出会っている。

けれど、その正体はラヴァーズだった。

女帝サーシャに化けたラヴァーズ。
祭りの夜に現れたフール。
そして、街で起きている異常。

点と点が、嫌な形で繋がっていく。
ジャッジメントの推測は、筋が通っていた。

でも、わからない。

なんのために、そんなことをするのか。

「赤い瞳とはいえ、証拠もなく第二席は斬れないってことですか?」

サンが吐き捨てるように言い、唇を噛み締めた。

「ええ。第二席ともなれば、軽々に動くわけにはいきません」

ジャッジメントは静かに答える。

「ですが、このギガントタートルの異常にも、奴が噛んでいるのは間違いないでしょう」

竜石だけではない。

街の混乱や落縁街の火災。
竜祀教の動きと吊るし人の襲撃。

私は、この異常事態の全貌を、まだ何ひとつ把握できていなかった。

「もう一つ、不審な点があります」

ジャッジメントが続ける。

「第十席。ブルースの資金の一部が、行方不明になっています」

第十席。

【節制】ブルース。

ニコとサーシャが入れ替わるきっかけになった存在だと聞いていた。

組織の金の動きを握っていた男。
その資金が、どこかへ流れている。

「LAGの元長官に流れた資金は、竜祀教からのものだと聞いていましたが」

サンが顎に手をやり、考え込むように言った。
ジャッジメントは、真っ直ぐにサンを見る。

「おそらく、フールが竜祀教に資金を流したのでしょう」

「でも、吊るし人と竜祀教のディアが争っているのを見ましたよ」

私は思わず口を挟んだ。

サンも小さく頷く。

「でも、ヨルが言ってました。あれはまるで、街に火を広げるような動きだったと」

その言葉に、私は思わず口元を押さえた。

あの時、見ていた光景。

吊るし人は逃げているようで、誘導しているようにも見えた。

ディアは追っているようで、火を広げているようにも見えた。

もし、あれが最初からフールの計算だったとしたら。

竜祀教も、吊るし人も、街の混乱さえも。
すべて、誰かの手のひらの上だったのだろうか。

「竜祀教を操って、街を焼くなんて……何がしたいんです?」

オトが呟く。

その声には、いつもの軽さがなかった。

「わかりません」

ジャッジメントの瞳が、少しだけ揺れた。

「ニコ様は事態を止めるため、チャリオットを向かわせました。ですが結果として、被害はさらに広がりました」

「じい」

サンが静かに口を開いた。
その声は柔らかかった。

けれど、その手は強く握られていた。

「十二使徒の影のうち、裏切っていないのは誰?」

ジャッジメントは、淡々と答える。

「確実なのは、私、フォーチュン、チャリオット。この三名はニコ様側です」

部屋の空気が、また重くなる。

「裏切り者と思われるのは、フール、ラヴァーズ、タワー、吊るし人」

祭りの夜に現れた者たち。
その名前が並ぶたび、胸の奥が冷えていく。

「どちらにも加担していないのは、ハーミットとマジシャン」

それを黙って聞いていたサンが、短く訊ねた。

「デスとデビルは?」

「幸い、任地がかなり離れております。両名は街の外です」

「なるほどね……」

十二使徒の影の名が、立て続けに出た。

けれど、私は半分も理解できていなかった。

わかったことは、祭りの夜に現れた四人が裏切っている可能性があること。

そして、この場にいるジャッジメントとフォーチュン、それからチャリオットは、ニコ側だということだけだ。

「それより、ニコ危ないんでしょ? 助けに行くよ」

話を聞いていたエラが、あっさりと言った。

たぶん、エラも状況のすべてを理解しているわけではない。

それでも、一番大事なことだけは、誰よりも早く理解していた。

ジャッジメントの口元が、僅かに上がる。

「本来なら、フォーチュンとチャリオットを向かわせる手筈でした」

そう言うと、ジャッジメントは服の袖を少し上げた。

その腕には、薄い切り傷が浮かんでいた。

「しかし、お嬢様はお強くなられた」

サンが目を細める。

「じい、それは試したってこと?」

「必要な確認でした」

ジャッジメントは悪びれもせずに答えた。

それから、視線をエラへ向ける。

「そして、エラ殿。貴殿は想定外だ」

突然名前を呼ばれたエラが、自分自身を指差した。

私のこと?

そう言っているようだった。

「エラ殿の力を見る前は、私が直接試すつもりでした。しかし、チャリオットを素手で沈めるとは」

ジャッジメントは、明らかに喜んでいるように見えた。

「エラさん。強すぎ……です」

フォーチュンも口元を押さえ、肩を震わせている。

「perfect」

ジャッジメントは満足げにそう言うと、部屋の奥へ向かった。

しばらくして、一枚の地図を持って戻ってくる。

「禁区の地図です」

広げられた地図には、複雑な通路と、見慣れない記号がいくつも描かれていた。

ジャッジメントは、その一点を指差す。

「ニコ様は、おそらくここにいます」

地図の中でも、少し開けた場所だった。

「ここから下へ降り、この地点まで向かえば近道になります」

指先が別のルートをなぞる。

禁区を抜け、ニコがいるであろう場所へ向かう道。

それは、私たちが本来通るはずのない場所を通る道だった。

「援軍は、お嬢様とエラ殿にお願いしたい」

ジャッジメントは顔を上げた。

「ジャッジメントさんは行かないんですか?」

私は口を開く。

ジャッジメントは小さく首を振った。

「今回は、赤い瞳の内部抗争です。私が表立って動けば、フールにこちらの意図を気取られる恐れがあります」

サンが頷く。

「その代わり、私はここで後続を断ちます」

そう言うと、ジャッジメントは腰に手をやった。
先ほどまでとは違う剣が、そこに差されていた。

私の目が、その剣にまとわりつく黒影を捉える。

剣そのものを包む、暗く、濃い黒。
これまで見たことのないミニアの濃さだった。

背中に、冷たいものが走る。

「魔剣ケルベロス!?」

サンが驚いたように声を上げる。

私の視線に気づいたサンが、低く続けた。

「地獄の番犬の名を持つ魔剣です。あらゆる現象を斬ると言われています」

あらゆる現象を斬る。

言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

「どんな鎧も、どんな盾も、そしてどんな魔法も……」

魔法を斬る。
想像ができなかった。

魔法は、炎であり、水であり、風であり、力そのものだ。

それを斬る剣など、本当に存在するのだろうか。

「お嬢様」

ジャッジメントが、剣を鞘ごと外した。
そして、サンの前に差し出す。

「封印解除の許可を」

サンは、じっと剣を見つめた。

「じい、本気なの?」

「本来なら、総裁の許可なく抜けぬ剣です。ニコ様が不在の今、その封印を解けるのは、お嬢様以外におりません」

サンは黙ったまま、剣を見つめ続けた。
部屋の中に、誰の声もなかった。

やがてサンは、ひと息吐く。
そして、意を決したように口を開いた。

「赤い瞳の名において許可する」

その声は、静かだった。
けれど、部屋の空気が変わった。

「魔剣ケルベロス。その刃で、裏切り者に裁定を下せ」

その瞬間、剣が青黒い光を帯びた。
冷気に似た空気が、刃から漂い始める。

ジャッジメントが、静かに剣を抜いた。
黒い霧が、噴き出すように広がる。

抜かれた刃は黒かった。

深い闇のように、一切の光を通さない暗さがあった。

ジャッジメントは剣を一振りすると、すぐに鞘へ戻した。

そして、その場に膝をつく。
サンに向かって、深く頭を下げた。

「十二使徒の影。第一席。ジャッジメント」

低く、重い声が響く。

「総裁の命により、裏切り者に死の裁定を下します」

その光景は、まるで騎士の叙勲式のようだった。

ただ一つ違うのは。

その場所が、赤と黒が支配する常闇の世界であったことだ。



🔙第六十一話   第六十三話🔜



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