【ファンタジー小説部門】『√365』│ 序章 除夜の鐘
√365あらすじ
大晦日の夜、”私”はある決断をした。冬休み明けに学校に行くくらいならいっそ……。ところが、次に目を覚ますと、私は不思議な空間にいた。そこには真っ白な髪をした少女がいて、3つのルールを説明される。
1.明日から365日、毎日違う女性の人生を送ること。女性の人生に対して、なんの干渉もできないが、感覚や感情は共有する。
2.体験する人生は、すべて29~30歳の女性のもの。
3.記憶は毎日消去される。他人の人生を送っている間、自分自身として考えたり、感じたりすることはできない。
──そして”私”は静かに送り出され、1年後の大晦日、またこの不思議な場所に戻ってくることになった。そして隠された真実を知ることになったのだ。
序章
除夜の鐘が鳴り出した。
決めていた時間が、来た。
頭のなかでは「だれかに相談したら」という声が響いていた。ふと、となりのクラスにいる彼氏の顔が思い浮かんだ。相談したら助けてくれるだろうか。──いや、きらわれ者が彼女だなんて知ったらきっと、振られてしまうのではないか。
わたしの目の前にあるのは、この道だけだという気がした。
ぐっと力を込めて、子ども部屋の押し上げ式の窓を全開にする。風と一緒に吹き込んできた雪が、重たく乾いた部屋の空気をさわやかにぬり替えていく。
ほてった頬に、冷たい欠片がじゅわりと溶ける。
「おーい、年越しそば、たべる?」
階下から声がかかる。──やり直し。
おなかの中が、ほかほかしている。頭のなかに「逃げちゃえば」という声が響いた。ふるふると首を振る。もう、疲れた。新しい環境のほうが幸せだなんて保証はないじゃない。
私は椅子の上に膝立ちになり、机に片足をかけた。
それからふと振り返り、扉にかけた、黒いセーラー服に目をやる。
ほかの学校のものと比べてもどこかシックなこの制服が好きだった。繊細な生地で作られた青いリボンもうつくしく、入学したとき──はじめて袖を通したときはほんとうに、うれしかったっけ。
これ、着ていこう。
やり直し。
今度は、慎重に窓のへりに座る。無事に足を家の外に出したら、ほう、と安堵の息が漏れた。
鼓動が速いのが自分でもわかる。頭のなかの自分の声はだまりこくっている。あんなにも五月蝿かったのに。代わりに思い浮かぶのは、彼女や、彼の、歪んだ笑顔だ。
真っ黒な夜を、ぼたん雪が水玉模様に染めていく。
0時前なのに、町は明るかった。
どの家にもたまご色の灯りがついている。人の話し声も。ひと足先に元朝参りに向かう影も。
狭い街だ。大騒ぎになるのは目に見えている。
でも悪い気はしなかった。
そうなればなるほど、あの人たちはこの街に居づらくなるのだから。
愚かしいと思うかもしれない。
でも私にはもう、これしか、ない。
冬休み明けにまた学校に行くより、ずっとかんたんなことだ。
夜の底には、雪に埋もれたコンクリートの地面がある。いまは、まっ暗な口を開けた闇に包まれて見えないそこがゴールだ。
そう思い至ると、ふいに足ががくがくと震えだした。まずい。早くしなければ。
除夜の鐘が鳴り終わらないうちに。
気持ちが高ぶっているうちに。
……震えがひどくなる前に!
どれくらい、時間が経ったのだろう。
確かに、跳んだはずだった。
けれども衝撃も痛みも、落下するときのふわっと浮かび上がるような感覚も、なにひとつ、ない。
何が起こったのかわからず、恐る恐る薄目を開けた。
最初に見つけたのは「目」だった。うつろな目。すべてを諦めたようにどこか遠くを見ている。
目の前に、逆さまに、女の子が浮いている。いいや、それとも、わたしが落ちている?
真冬だというのにまっ白なノースリーブのワンピースを着た彼女は、私と同じくらいの年ごろに見えた。
けれども長い髪は、一点の染みもない雪の色。
彼女を取り巻く空間もまた不思議だった。
空が下で、地面が上にあり、大樹が浮いていて、崩れた家が飛んでいる。
「やっぱり、来たのね。あなたで365人目だわ」
私の意識がはっきりしたのを見とめると、彼女は言った。伏せたまつ毛がふるふると震えている。声色には諦めが見えた。
次の瞬間、彼女は「今日は大晦日でしょう。いつもと違うの。特別な魔法を見せてあげる」と、口元だけを笑顔の形に繕ってそう言った。
「ここでいっしょに見るだけじゃない。行くのよ」
「──だれ?」
「質問は禁止。それから”今”のあなたに選択の余地はないわ」
彼女がぴしゃりとそう言うと、口が重たく縫いつけられたように、開かなくなった。
それを見届けた彼女は淡々と、事務的に続けた。
「まずルールその1。
あなたには明日から365日、毎日違う女性の人生を送ってもらいます。
そうね、あなたの存在は霊のようなものだと考えてくれればいいわ。その女性の人生に対して、なんの干渉もできない。ただ感覚や感情は共有します」
「……」
「ルールその2。
体験する人生は、すべて29~30歳の女性のものよ。あなたのちょうど2倍生きていることになるわね。思考もライフスタイルも、何もかもが違うわ」
「……」
「ルールその3。
記憶は毎日消去されます。たとえば1月1日に体験した人生のことを、あなたは2日にはすべて忘れている。干渉することはできないのだから、もちろんメモなんかを残すことはできない。
これは毎日をフレッシュな気持ちで迎えてほしいというこちら側の配慮だということを理解して。
もっというと、あなたの自我のようなもの、それ自体が失われた状態と言ってもいいわ。他人の人生を送っている間、あなたは、あなたとして考えたり、感じたりすることはできない」
「……」
「それから最後に。1年後の大晦日の夜に、あなたの1年分の記憶がすべて戻ります。あなたが選択するのは、その後よ」
そこまでをひと息で言い切ると、彼女は少し疲れたように「もういいわ、行って頂戴」と追い払うような仕草をした。
顔色は病的に青白く、やつれて見えた。
そこで私の意識は遠のいていったのだった。
深い海の底へ向かって、とろとろと沈み込んでいくような感覚だった。水面のほうだけが明るく、そこに向かって手を伸ばしながら落ちていくような。
そして、次に目覚めたときには……。
『√365』 序章・完
全話リスト
キャラクターデザイン

2018年頃、 イラストレーター・ねこがえるさんに
依頼したもの。キャプチャも同じく。
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