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掌編小説│ハンバーグ・コンプレックス

 枕元に置いたはずのスマホをたぐり寄せる。4時15分。夜明けまでまだ2時間ほどある、だろうか。
 のそり、と布団が動く。隣で寝息を立てる彼の、起きているときとは違う幼い寝顔に目をやる。――出会いは小学校の、入学式。私たちは今年30歳になる。

 昨晩の「まだ結婚しないの?」という母の電話が脳裏によみがえってきた。

 互いの家を行き来するのが面倒になって、同棲をはじめたのはもうずいぶん前のこと。気がつくと3度目の契約更新が迫っていた。

 何度か二人でふるさとの同級生の結婚式にも参列した。そのたびに、次は私たちの番だろうと、胸を躍らせた。
 期待するのをやめたのは1年ほど前からだろうか。


 キッチンに立つ。フリルのついたエプロンをきゅっと結んだ。卒業旅行で彼と行ったヨーロッパで見つけたもの。これからの私には、ふさわしくないだろう。


 玉ねぎをみじん切りにする。分岐点のひとつめ。
 炒めるのか、レンジにかけるのか、それとも生のままなのか。入れないのだってアリだ。

 ボウルにひき肉、卵、パン粉、牛乳を加える。玉ねぎも投入。それから塩コショウとスパイス。
 たくさんの分岐点がある。どんな種類のひき肉を使うのか。つなぎはパン粉以外もあり得るし、牛乳が入らないレシピもある。

 丸くまとめて、成形する。さらなる分岐点。投げつけるようにして空気を抜くレシピだけではない。平たく薄くするだけだったり、まん中にくぼみをつけるかどうかなども違ってくる。

 そして最大の関門が焼き方だ。どれくらいの火でどんなふうに焼くのか。これはレシピによって本当にまちまちだ。


 きれいに焼き目のついたハンバーグをワンプレートのお皿に移した。
 昨夜から用意しておいた、つけあわせの人参とブロッコリー、そしてバター味のコーンを添える。

 そして最後にフライパンに残った煮汁にケチャップとウスターソースを加えて、煮立てる。ハンバーグにかける。私は和風のおろしソースが好きだけれど、彼はこの味以外を認めない。
 ダイニングテーブルに二人分の食事を並べた。

 エプロンを外してそのままごみ箱に放る。

「いただきます」

 こんがり焼き目のついた表面を崩すと、じゅわっと肉汁といい香りがあふれ出した。

「……おいしい」

 鼻の奥がつんと熱くなり、目の前が滲んだ。



「料理のセンスがないよなあ」

 きっかけは彼のひとことだった。

「ハンバーグ、何回作ってもおいしくないからさ、もう作るのやめたら? 惣菜とか、コンビニのでいいよ」

 黒焦げにしたり、カチカチにしたことはあったけれど、その日のハンバーグは決してまずいとは思わなかった。むしろ好きな味だった。私の料理の腕というよりも、単に彼の好みに合わなかっただけだったのだと思う。


 一つ気になると、ずるずると引っ張り出すように悪感情があふれた。彼の好きなところと同じくらい、悲しくなることが増えた。

「あれ取って」と言えば通じる、そんな関係が20年の間にできあがっていた。結婚すると誰もに思われていて、同棲まですませていた。
 だから、その環境が変わるのが単に面倒だったのかもしれない。お互いに。

 惰性で付き合っているだけなのではないか。そう疑い始めたときにはもう駄目だった。


 毎日ハンバーグを焼いた。彼が眠っているうちに。部屋のなかにはにおいがきっと残っているはずなのに、彼が気づいたことは一度もなかった。

 1日ひとつ分岐点の何かを変えて、一つずつ検証した。
 気づきをノートにびっしり記録した。いつの間にか「ハンバーグ研究ノート」ができあがっていた。

 ――そして。ついに完成したのだ、彼がおいしいと言っていた店と、ほぼ同じ味のハンバーグが。

 私には少し肉感が強すぎる、パンチの効いた味。噛むとじゅわっと溢れ出す肉汁。外側は焦げ目がついていて、少しカリっとしているのだけれど、中はやわらかい。

 泣きながらハンバーグを頬張った。起きてほしい。ねえ、どうか。





 けれども彼はねむったまま。

 麦茶をごくごく飲み干す。すべて食べ終え、もう一度キッチンに立つ。食器もフライパンも綺麗に洗う。



 大事なものだけをまとめて家を出た。置き手紙のようなものだけは残してきた。

 ハンバーグを毎朝作り始めたころから、荷物は少しずつ減らしていた。残ったものは、彼のいないときにでも捨てに来よう。

 黄金比のハンバーグ。彼が口にするときには冷めているかもしれない。温かいまま出して感想を聞きたかった、とも思う。でも、そうしてしまったら、たぶん私はまたくり返しの毎日を始めてしまうだろう。

 いつの間にか空が明るくなってきた。通い慣れたいつもの道、毎朝寄ったコンビニで、紙パックのレモンティーを買った。
 高校生のころ、ふたりでよく飲んでいた。

 ――思えば、あの頃は本当に”恋”をしていた。
 ふいに目のふちから熱いものがこぼれ落ちそうになり、上を向く。薔薇色の朝焼けが眩しかった。



▼この小説は『√365』の一部です。どのはなしから読んでも大丈夫な短編集ですが、序章と終章を読むとすべてがつながります。

▼先週更新したのはこれ。


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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡

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