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どこまでも濃厚なライヴ・レポート Suchmos 『The Blow Your Mind Tour 2026』 (7/2 Thu.) Guest:Fujii Kaze

EP『Sunburst』───Suchmosが復活を高らかに宣言したあの一枚から、本公演の7/2でぴったり1年が経つ。アジアツアーの熱がまだ冷めやらぬ2月、彼らは予告なくひとつのニュースを投げ込んだ。自分たちが敬愛するアーティストたちを各地に迎え撃つ、対バン形式の全国9都市ツアー『The Blow Your Mind TOUR 2026』である。

このツアーには、実は積み残された物語がある。本来は2020年に実現するはずだったが、コロナ禍という抗いようのない事情によって幻に終わっていた。あれから約6年。活動再開という新たな出発点を経て、ようやく果たされるリベンジの舞台。ルーツに多様な音楽性を抱える彼らだからこそ描ける、振れ幅の大きなラインナップが揃った。

「錚々たる面々」と表現するに値する大物揃い

これは単なる楽曲披露や巡業の類のツアーではない。各地でリスペクトするアーティストと肩を並べることで、異なる音楽性・異なる背景を持つ表現者同士が火花を散らし、新しい景色を切り拓こうとする試みだ。ラインナップを見れば、その本気度は一目瞭然だろう。同世代を並走してきた戦友もいれば、憧れ続けた大先輩もいる(神奈川・IO、愛知・GLIM SPANKY、大阪・くるり、福岡・長岡亮介、北海道・cero、宮城・ハナレグミ、広島・GRAPEVINE、新潟・The Birthday、東京・Fujii Kaze)。これほど豪華で多彩な布陣となれば、チケット争奪戦が熾烈を極めたのも無理はない。

 右手からGt. DURAN、Gt. TAIKING、Dr. 佐治宣英、Vo. YONCE、Dj. KCEE(Kaiki Ohara)、Ba. KOBY SHY、Fujii Kaze、Ba. Ren Yamamoto、Dr. OK、Key. TAIHEI、Key. 宮川純

新ベース・山本連ことRen Yamamotoが正式加入して初となる本ツアー。この狭き門を突破して会場に足を運んだ観客は、年齢も属性もさまざまだった。活動休止前・復活後を通して彼らを愛し共鳴してきたファンと並んで、日本を代表するアーティストとして名の上がる藤井風を熱烈に愛するファンたちの姿も数多く見られた。幾度となく抽選とリセールに大敗した私も、昨年に続き親切な方に木曜日公演のチケットをまさかの1日前に譲っていただき、奇跡的に念願のツーマンの目撃者となることができた。

というわけで今回は、Suchmos『The Blow Your Mind 2026』のどこまでも濃厚なライヴ・レポートをお届けする。あくまで主観なので悪しからず。毎度長々と駄文を読んでくれる皆さまにも格別の感謝を…。

感じ方は自由、あなただけの感動をどうか大切に。ノリ方は自由!


雨ざらしのベイ・シティ

開演3時間前の@Zepp Haneda。物販が開始され、約1時間近く並んでようやくグッズに漕ぎ着けることができた。

ライヴ3時間前。Zepp Hanedaのある天空橋駅から地上に出ると、もう熱いファンたちがグッズやTシャツを掲げて見かけられるようになった。感覚で言えば、もう道で隣を見ればファンが居るほどだ。派手ではないものの、羽田イノベーションシティの飲食店からは藤井風やSuchmosの楽曲が流れてきており、物販で並んでいる最中も心地よく耳に届いた。心なしか今回は年齢層が意外にも高めで、招かれたゲストによって変動するのか、昨年の横浜アリーナでの公演と比べて落ち着いた方々が非常に多かった。少し大粒のミスト程度に雨風が入場開始まであたりを包んでいたが、開場の18:00になる頃には雨はすっかり引いて静かな凪になって、陸側には雲間を染めるように淡い青空が見えるほどにまでなった。風は少し緩いが、東京湾から寄せては髪をなびかせる汐風が心地よかった。

開演1時間前のエントランス前。
整理番号1番の方から入場が始まると、あたりでは「おめでとう!」と拍手が自然に巻き起こり、なんだか暑い日には似合わないほどの温かい気持ちになった。

会場に入ると、まだライヴは始まってすらいないのに、ここに入れることにもうすでに深い感慨が胸に押し寄せていた。今回はゲストが世界でもある程度名が知られ始めた「音楽界の大谷翔平」こと藤井風ということもあり、ファンダムの熱烈さも相まって倍率は跳ね上がった。チケットの申込数とZepp Hanedaの総収容人数を考慮すると、その倍率は優に30-40倍は超えていることが予想できる。実際、某チケットリセールサイトでは法外な値段でチケットが取引され、XなどSNSを始めとする詐欺も横行した。かくいう筆者もその詐欺の餌食に遭い、数万ほど騙し取られてしまい、公演を諦めていた。しかし昨年に続き、親切な方に1日前というギリギリのタイミングでチケットを譲っていただき、参加が叶った。これに関してはどう感謝を申し上げたら良いかわからない。皆さんも詐欺にはどうか気をつけてほしい。筆者のようにライヴ見たさに焦って浅薄な考えで動くと、痛い目を見るのは間違いない。皆さんはチケットは必ず公式抽選・公式のリセールから買うようにしてほしい。

空調設備は良いはずなのに、なぜかもうすでに暑い

スモークを焚いたように靄がかかる場内はひんやりとしながらもすでに熱気に包まれ始めていた。私は運良く整理番号が2桁で最前列を陣取ることができたが、30分もするとほとんどの人が会場入りを完了させ、1階のスタンディングは満員電車と言っても過言ではないほど押し合い・すし詰め状態になっていた。誰もがライヴという一夜に何かしらの特別な意味を見出しているのはいうまでもない。ましてやドーム・スタジアム級のライブを何発も打てる大物なのなら尚更だ。アルコールを愉しむ人、談笑する人、スマホをじっと見ている人。こんなにもバラバラであるのに、目的は音楽を聞くという点で一致していることがどこか不思議で愛おしい。やがて場内の照明が落ち、「Fujii Kaze」とSuchmosのフォントロゴをオマージュしたバックドロップが上がると、ステージにバックバンドの面々がやってきて、歓声が地鳴りのように会場を包み込んだ。(中でもギターのDURANへのラブコールは凄まじかった、あの立ち姿のイケ具合を見ると黄色い歓声にも自然と納得してしまう)

Prema :Side A

「前座を務めさせていただきます、藤井風です」謙遜と呼ぶにはあまりに不釣り合いな挨拶とともに、彼はステージに現れた。その瞬間の歓声は、しばらく味わったことのない類のものだった。カリスマという言葉は彼のためにあるのかもしれない。ただ一人がステージに立っただけで、場内に激烈な化学反応が起きる。それはほとんど爆発と言ってよかった。それでいて纏う空気はどこまでも気さくで、和やかなヴァイブスが多幸感を連れてくる。

「何なんw」の圧巻のピアノプレイからライブは幕を開け、「もうええわ」のグルーヴが会場を包み込む。前者は岡山の方言(曲名や一人称の「ワシ」)やネットスラング(w)の風味が漂っている。だからこその親しみやすさとリアルが伝わり、この人は本音を語っているのだと聞くものに思わせる凄みがあるのかもしれない。グルーヴィーな心地よいドラムスとリズムが一気に現実世界からライブという独立した時間軸にオーディエンスを引き込む。こういう力強さとテクニックがライブパフォーマンスが賞賛を受ける所以であると深く噛み締めた。

これは世代間のギャップによるものかもしれないが、お世辞でも何でもなく、藤井風は日本のポップ・シーンの価値観における大きな変化を象徴していると思う。西洋のアーティストが日本から影響を受けるようになるにつれ、日本のアーティストも国外から学べることは多くある。彼はそれを理解している。

日本のアーティストが、西洋市場を意識した楽曲を日本でリリースすると、ファンはたちまち反発する傾向にあった。それは今もあまり変わっていない。安室奈美恵が英語の楽曲をリリースし始めた時も、ファンは好意的ではなかった。Perfumeが英語の歌詞が中心の「Spending All My Time」をリリースした時も、ファンは酷評した。その理由は、楽曲自体がひどいからではなく、「なぜグローバル市場のリスナーに媚びようとしているのか?」というものだった。

しかし、これらの楽曲は、アーティストの音楽がたどり着くには必然的な方向性だったように思える。安室奈美恵の音楽は常にアメリカのラジオの影響を受けており、「Uncontrolled」「Feel」「_genic」がアメリカのポップラジオのようなサウンドになったことは、それまでの10年間の彼女の音楽から大きく逸脱したものではない。そして、Perfumeのデビューアルバム「Game」にはヨーロッパ中心主義的な要素があり、4年後の「Spending All My Time」もその流れを汲んでいる。だから、私の中には、「これは西洋的すぎる」という反応が、慣例以上の英語を使った曲を発表する日本のアーティストに対する自動的な反応に過ぎないのではないかと疑問に思う部分がある。

彼は、日本の音楽市場にギャップがあることに気づいたのかもしれない。片方にはアイドルグループが溢れ、海外のリスナーみたくいうならば、もう片方の極端には「陽光が差し込むカフェで抹茶ラテを飲みながら聴くような、フォーク調でアコースティックな音楽」が溢れている。心地よい中間層が存在しなかったが、藤井風はそのギャップをうまく埋めている。ピアノを基調とした作曲と、実際の楽器と興味深いパーカッションや電子エフェクトを組み合わせることを恐れない姿勢が功を奏しているのだろう。

また、従来の日本の歌唱の規範を打ち破る滑らかなボーカルも特徴的だ。中でも際立っているのは、続けて披露された「死ぬのがいいわ」。淡白に見えて素晴らしい技巧が現るボーカルは、故郷のなまりも詰め込み歌詞とともに自然な魅力で輝く。多彩な魅力を発散するのだが、彼の自然なグルーヴははいっきりと際立つソウルやR&Bの色に統一させている。赤いスポットライトに照らされたその立ち姿は、力強くも脱力した余裕を見せ、コントロールが効いている素晴らしい歌声を魅せてくれた。

「まつり」では歌詞がふと曖昧になる一幕もあったが、そこから続くMCがまた彼らしい。「元気してますか?」「ほぉん……そうですかそうですか」「元気でいてくれないと老い先短いんですから……」。飄々とした言い回しの中に、観客一人ひとりへの目線が確かにあった。

MCでは、「Suchmosは日本の音楽を一気にオシャレにした人たち。私もそれに乗らせてもらったりして」と語る彼のリスペクトは、決して社交辞令には聞こえなかった。そして「Suchmosさんとはいろいろ共通点がありまして、その中でもHONDA VEZELっていう車のCMの曲をお互い担当したことがありまして」そう前置きしてから「STAY TUNE」と口にし、歌い始めたのは「きらり」だった。予告と本編がずれる遊び心もまた、Suchmosと通底する部分がある彼の身上なのだろう。

Prema :Side B

「damn」のエッジの効いたサウンドでロックな一面を覗かせたかと思えば、「旅路」は本公演ならではの激しいロックアレンジで歓声を誘った。原曲とはひと味違う味付けは別の意味での爽やかさを纏っていて、彼の表現の幅の広さにあっと驚かされた。バンドの安定感も特筆すべきだった。佐治宣英のドラムは流石の巧さで、新旧を織り交ぜたセットリストは親しみやすい。MAJのパフォーマンスでの「Prema」の時と同じ編成のバンドメンバーだという事実にも、密かな感慨があった。

「You」ではバンドメンバーを一人ずつ紹介し、真心のこもった優しい声で歌い上げる。この曲は『Prema』で手を組んだプロデューサー・250(イヨゴン)が「ロマンティックなスロージャム」と評した珠玉のソウルバラード。80年代のクワイエット・ストームやネオソウルの要素を強く感じる甘くメロウなサウンド。サビのメロディは驚くことに岡山時代にはすでに出来ていたといい、SWVの「Weak」やホイットニー・ヒューストンの「You Give Good Love」といった往年のR&Bバラードへの憧れが、その原型にあったという。制作は大御所グレッグ・カースティンとほぼ二人三脚で進められ、80年代のブラック・コンテンポラリーを思わせる豊かなサウンドに仕上がった。真心を込めて歌い上げ、ピアノに軽やかに体重を乗せながら「次でお別れです」と告げると、会場からは「えぇーーーーっ」という声が上がった。すかさず「なんでも終わりがきます」と柔らかく諭すようなその一言は、どこか達観していて、有無を言わせないと言えば語弊があるが、彼独自の死生観を強く感じさせられた。

日本のカルチャーやアジアのポップスに関心がある人なら、藤井風の名を知らない方が珍しいだろう。2020年代を代表するシンガーソングライターの一人であり、その彼が3年ぶりとなる3枚目のフルアルバム『Prema』を、今回は全曲英語詞で制作した。世界の人口の半数以上がバイリンガル環境にあると言われる中、9割近くが単一言語で生活する日本という土壌で育った人間にとって、これは相当な挑戦だったはずだ。前作から今作の間に、ユニバーサル・ミュージック・グループ傘下の米レーベル、リパブリック・レコードと契約したことで、海外リスナーとの距離が縮まったという背景もあるだろう。とはいえ、近年は非英語圏出身のアーティストが母語に英語を織り交ぜるスタイルもすでに一般的になっているため、あえて全編英語詞という選択をしたこと自体に意味がある。

英語詞のアルバムを作ることは、藤井風にとって以前からの目標だったという。2020年のデビュー時には岡山の方言を歌詞に取り入れていた人物だ。ここでも披露された「何なんw」や「死ぬのがいいわ」といった代表曲には、年齢や性別を超越したような独特の雰囲気があり、それが強い個性となっている。優れたピアニストでもある彼は、使用する言語や声色によって感情の表れ方が微妙に変化することを、感覚的に理解しているのかもしれない。

複数の言語を操る人は、言語を切り替えると人格までもがわずかに変化すると言われる。自己認識そのものが変わる、と言い換えてもいいかもしれない。通常、同じ言語であっても場所や相手によって話し方は変わるものだが、この変化はもっと内面的な次元で起きる。

『Prema』から2曲を披露した後、「次で最後です」という前置きから「Okay, Goodbye」へ。もともとピアノ主体の曲として構想され、藤井風自身、ギターを使う発想はなかったというこの曲。だがプロデューサーの250がDURANにギターを託したところ、夕焼けを思わせる印象的なフレーズが生まれた。250には珍しく「リファレンスはない」とアレンジを全面的に委ねられたこの曲は、藤井風・KOBY SHY・DURANによる生演奏主体のバンドサウンドが持ち味で、後の欧米ツアーで見せたバンド編成の原型ともなった一曲だ。執着を手放すことを常に訴えている彼自身の内省的な思いと、転調で盛り上げて最後はきれいなファルセットのフェイクを響かせるその姿はとても美しかった。てっきりこのまま「Prema」を歌わずに終わるのかと思いきや、歌い終えて一度は袖にはけるような動きを見せてから、「まだ終わりません」と戻ってくる。このコミカルでちゃめっ気のある呼吸は、案外Suchmosとも通底しているのかもしれない。

「みんなに歌って欲しいんですけど」と声出しを促してから始まった「Prema」。応える歌声に対し「お歌上手ですね」と、揶揄うように呟く様が印象的で、昨年のアリーナでのYONCEのMCを思い起こさせた。90年代、特に黒人音楽への愛とリスペクトが溢れているこの曲では、ヒップホップからジャズ、ゴスペルと巧みに各要素をシームレスに組み込んだ巧みな構造となっている。曲の後半では帽子がずれて目隠し状態になってしまうハプニングがありながら、ピアノは一音も間違えることなく弾き続ける。鍵盤の位置を完全に体が覚えているのだと、しみじみと実感させられた。打ち込みビートではなく生ドラムで響くビート。そしてギター入りのサウンドは、ヒップホップ感が消えて、完全なるネオ・ソウルに移行している。ジャズドラマーの猪俣猛に師事した佐治宣英とKOBY SHY、ジャズのできるメンバーのサポートでフュージョンテイストの前奏がある見事な演奏だった。

『Prema』の歌詞は、デビュー作『HELP EVER HURT NEVER』(2020年)やセカンドアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』(2022年)と比べて、より簡潔な響きを持つ。使用される語彙が絞り込まれている印象を受けるのだ。藤井風はデビュー当初からほぼ完成された表現力を持つアーティストだった。自分が何を伝えたいのか、どう伝えるべきかを理解している歌い手ならではの説得力があり、それが新人らしいみずみずしさと組み合わさることで、瞬く間に多くのリスナーの心をつかんだ。それは必然だったと言える。

ローファイな質感を持つピアノのイントロで始まり、いきなりサビに入るという展開はライブでも彼の声と同じ迫力を持つ。「Prema」というタイトルはサンスクリット語で無私の愛を意味するとされ、その言葉から歌い出される。Aメロ、Bメロと展開する中でコードがマイナーからメジャーへと転調する場面もあり、オルガンの音色がゴスペル的な質感を加えている。中盤にはブレイクが挿入され、サックスのグリッサンドと思われる音とピアノの不協和音的なフィルインを経て、曲はよりヒップホップ・ジャズ的な色合いを帯びていく。アウトロではジャズテイストのピアノソロが展開され、イントロと同じピアノの音で締めくくられる構成となっている。

ジャズとの結びつきについては、風自身がジャズを自らの音楽的アイデンティティの一部と位置づけているとされ、アウトロのピアノソロにその要素が色濃く表れている。ジャズとヒップホップを融合させた先行例としては、ヒップ・ホップグループのA Tribe Called QuestやUs3、後年のロバート・グラスパーなどが参照点として挙げられることが多い。ゴスペル的な要素についても、風自身が言及しているとされ、重ねられたコーラスや歌詞のメッセージ性にその影響がうかがえる。ゴスペルはアメリカの黒人奴隷が信仰を支えるために歌ったことに起源を持ち、救済や希望を歌う音楽として多くの黒人ミュージシャンの原点となってきた。

このライブに限らず、Premaは進化を続けている楽曲である。今年のMAJでのパフォーマンスで面食らったのは私だけでないはずだ。テレビ朝日系列「ミュージックステーション」での初披露時にはギターが追加され、音源にない要素が加わった。その後の海外ツアーではドラムやギターを含む編成となり、打ち込みのヒップホップ的な質感からより生演奏中心のネオ・ソウル的なサウンドへと変化していったとされる。ジャズを経験したメンバーによるサポートもあり、フュージョン的な前奏を伴う演奏も披露されている。生で見る彼の「Prema」と高らかに愛を宣言する姿は、言葉にならないほどの凄みがあった。セレンゲティのライオンよりも勇猛で、チェンマイで水浴びをする象のように気高いその姿に思わず涙をした自分がいた。

「愛」がなんたるかについて、彼は「すべて」「皆の中にあるもの」とどのインタビューでも抽象的な概念でしか説明してこなかった。しかし、それは彼がそれを説明することができないからではない。彼自身が愛そのもの(love itself)だからなのかもしれない。

彼は1997年生まれの29歳。物心ついた頃にはすでに21世紀だったはずだが、リアルタイムで体験していない時代の文化をただ模倣しているわけではない。インターネットを通じて映像や音源をインプットし、それを再解釈・再構築しているのだ。最終的には自身が持つ「現在」の感覚を加えているため、懐かしさを感じさせつつも古臭くはならない、絶妙なバランスの楽曲に仕上がっている。サウンド自体というより、その制作手法においてネオソウルに近い感覚があるとも言える。結果として『Prema』は、彼が徹底的にこだわり抜いた「ポップミュージック」として完成したと言えるだろう。

THE BAY :Side A

藤井風のバックバンドの撤収作業が完了し、後ろのスクリーンが赤と黒を基調とした「Blow Your Mind」に変わりしばらくすると、場が暗転してSuchmosの面々がステージに上がる。YONCEが7秒ほど深々とお辞儀をしてから、海の潮の満ち引きと打ち寄せる波音とともに「Pacific」が始まる。イントロの柔らかいローズ・ピアノのサウンドがずっしりと体に響くと、柑橘系のコロンの香りとタバコの香りが鼻をくすぐった。こんなに前に自分の憧れのロック・スターがいることに思いをいたしたのは言うまでもない。壮大な波風と湘南のシーナリィを感じさせるこの曲はライブハウスというフォーマットで聴くと、また違った印象を受けた。

YONCEは慈愛に満ちたような、ここに立てることの感謝を滲ませるようにオーディエンスを見渡していた。アリーナのようなスペース・音響・スケール全てが大きい会場ではなく、いわゆる“小箱”(Zepp Hanedaはその括りからは少し外れるかもしれないが)にこだわったのは、観客一人ひとりの顔を見たいという思いからだったのかと、勝手に得心してしまう自分がいた。そんなことに思いを馳せると、Suchmosは本当に、私たち一人ひとりに向けて歌い、演奏してくれるのだと強く感じさせられた。もちろん、音楽体験というのは決してパーソナライズ化された側面だけを持つわけではない。それでも、「あなたのためだけの曲」みたく感じさせられる説得力を持つ所以は、人がそれぞれに物語を紡ぎ奏でるからだと思う。だからこそ、ここに集った様々な人々がそれを持っていることに胸がいっぱいになる。

YONCEの歌声は、高音が全くブレることも掠れることもなく、むしろ昔とは、もっと言えば一年前とは違ったクリアで柔らかく伸びのある歌声になっていたように思う。初めてYONCEの歌声を生で聴いた時は音源ではおそらく表現できないほどのレンジが深い迫力があって、そして弾けるようなエネルギッシュな歌声に脱帽した。生で聴かないとわからないほどの繊細なピッチをこれほどかとわかりやすく、そして真正面から感じられる点にライヴ体験の醍醐味はあると言える。先ほどまで藤井風の色に染まっていた空気を、一瞬で吹き飛ばしてしまう力があった。

曲が終わると、短いMCヘ。ライブ会場が一つになることを正とするアーティストが大半を占める中、YONCEはむしろ「1つになんかなってねえよな?みんなバラバラでいこうぜ!」と語りかける。「地球という星は如何にバラバラかということに掛かってると思います」という一言の後、続けて演奏されたのは、昨日のDay 1ではアンコールで藤井風を迎えてデュエットした、TAIKINGのタイトなギターリフが際立つ「MINT」。「ご自由にどうぞ!」と楽しみ方を観客に委ねるYONCEのスタンスが場内をさらにやわらかくし、藤井風目的できたあまりSuchmosを知らないファンの方々も少しずつ「乗り方は自由」という彼らのスタンスを理解し始め、リズムに身を委ねる人々が増え始めた。もちろん毎度恒例の「冷えたコカ・コーラでも飲んで」という一節でコーラを掲げる人にYONCEが「いいね!」と言わんばかりに指差す姿も見られた。

これまでもこれからも、多くのライブやモーメントでハイライトを生み出してきたこの曲だが、ライブハウスで聞くとまたOKのドラムスが広大な大地の如く広がり、特有のサウンドスケープを展開していた。「周波数を合わせて 調子はどうだい? 兄弟、徘徊しないかい? 空白の何分かだって その苦悩や苦労を Blowして踊りたい」というフレーズが、我々会場にいるオーディエンスだけでなく、今日ここにいない人々への愛ようにも感じられ、皆サビのフレーズを歌いながらも、一心にYONCEの優しい歌声に耳を傾けていた。

続けて炸裂するのは「Alright」のタフなビートとカッティングギター。YONCEがかつてのインタビューで語った「腹の中では中指立てている」という感覚がそのまま音になった『Alright』。サビの「All Right」では、毎度の如く会場中を巻き込む大合唱が巻き起こった。この曲は、YONCEがバイト先の会社の倒産を機に失業保険で食いつないでいた頃の苛立ちをぶつけたもの。「I Say I Know I can do that」(何もかもうまくいくって、俺は言い切れるぜ)というフレーズには、反骨心を隠さないまま、それでも現代を生き抜く私たちの背中を押してくれるような、力強さと確かな自信が宿っている。

「Alright」で思いっきり熱せられたフロアの空気をさらに上げ、「アマチュアもプロも変わんないね」そう繰り返しながら、Suchmosの反骨心むき出しの一曲『DUMBO』で演奏はワンランク上のギアへ。山本連が繰り出すメロディックなリフが弾け、ハードなロックサウンドが胸を貫く。Suchmos流のファンキーなロックナンバーといえば本来、縦に効いたグルーヴに横ノリを重ねる印象だが、この日のライブはむしろグランジ的な鳴り方。ゴリゴリのロックで真っ向勝負を挑んできた。レコーディングでそのままゴリゴリ押し切るのは芸がない。音源を聴いてからライブを観たときにこそ「裏切られた」と思わせたい。そんな彼らのライブならではの気概には脱帽するしかなく、藤井風目的で来た人々もまんまとその術中にハマっていたのは間違いない。

正統派なグランジサウンドから一転、披露されたのは、復活して最初にリリースされた「Whole of flower」。澄んだ声と、祈るように重ねられるピアノの旋律、そしてSuchmosらしいDJの音が空間に広がっていく。そのサウンドは、哀しみを抱えたままでも確かに残るぬくもりや、表面的ではない本当の意味での希望、そんなものを、過剰な装飾なしに音として立ち上がらせていた。しかし昨年の少しセンチメンタルな雰囲気よりも、今ここにいることの意義や音楽をやれることへの愛が深く感じられる演奏だったように思えた。曲は途切れることなく畳みかけられ、滑らかに繋げられた「Marry」のメロウなメロディが、会場を心地よく満たした。

THE BAY :Side B

YMMの前奏が鳴った瞬間、横浜の風を運んでくるようなこの初期の名曲に、フロアが一気に揺れた。YONCEの「come'on DJ!」という合図を皮切りに、Kaiki Oharaの心地よいスクラッチが場を支配する。

その頃、藤井風が2階席にいることに客席がちらほらと気づき始めていた。YONCEがMCで対バンの説明をする最中、誰かが彼の方に拍手を送ると、みんなが釣られるように藤井風のいる方向へ手を振る。異変を察したYONCEがマイクを通して「あ、そこにいるのか」と言ってしまい、その存在は会場全体にバレてしまった。バレた瞬間、少し恥ずかしそうに小さくなる彼の姿があった。Suchmosの側もまた、藤井風を前座に迎える覚悟だけあって、とんでもない完成度と経験値を感じさせる貫禄のステージを見せつけていた。2階のVIP席では、最初こそ座ったまま拍手や上半身の揺れでリズムを取っていた藤井風が、「STAY TUNE」のイントロが鳴った瞬間、この日一番の地鳴りのような歓声とともに立ち上がって踊り出した。

演奏後のMCでは、「みなさんお手持ちのお飲み物などをお召しになられてはいかがでしょうか」とドリンクタイムを促す。そんな一言に応えるように、あちこちで缶やペットボトルを開ける音が響く。「なんか3000人が一気に飲み物飲むの結構レアだよな!」というYONCEの軽口が、緊張をほどいていった。「ここからは過激な演出が続きますのでご注意を」と告げ、ライブはいよいよクライマックスへ。

「GAGA」はよりトランスに、テクノに、ダンスのニュアンスを強めたアレンジへと進化していた。DANCE YOUR DANCE。曲前後のMCでYONCEは狂喜的なほどに「無職もダンス!金持ちもダンス!専業主婦もダンス!聖職者もダンス!」と叫び、ジャンルや立場を超えた音楽の自由さを提示する。かと思えば曲間には「休むのもダンス!」と言い放ち、ドラムの台に腰掛けて休憩する彼のマイペースな姿と、酸欠になりかけながらアウトロまで歌い上げる姿はやはり彼はロック・スターなのだと思わされた。最近お気に入りなのか昨年のフジロックからパフォーマンス中にする謎の白目も披露してくれる姿はさながらみんなのアイドルである。

本編ラストの「VOLT-AGE」は、狂熱のグルーヴの爆発という表現が最も適切と言えるだろう。チャントと疾走感を両立させる緩急をつけたソングライティングと、攻撃的な雰囲気を持ちながらも平和と自由を賛美するリリックは、サッカーW杯というタイムリーなイベントが催されているのも相まって不思議な感慨をもたらしてくれた。「心つなぐのはそのHeart beat」というサビ部分の歌詞にある、心の奥底で静かに燃える闘志が表現されたようなこの曲で本編は締めくくられた。

アンコール、YONCEが姿を現す。「Suchmosの音楽が10代の岡山の青年の元に届いて、そしたらとんでもないスケールの人物が出てきたじゃありませんか。そんな方達の入り口になれてるのが本当に誇らしいなって」そう語るYONCEのMCに、きっと藤井風もまた、憧れのバンドと対バンできる日が来たことを、あの10代の頃の自分に報告したくなっているのではないかと思わずにいられなかった。最近のライブではキメキメの装いが多かった彼が、この日はラフな格好で、ダンスもどこかへにゃへにゃと力の抜けた様子で、ちょっと年上のお兄さんたちの輪に混ぜてもらう恐縮した空気を纏っていたのも印象的だった。

「何を言おうか考えてたんですけど忘れちゃって……ちょっと恒例の思い出しタイム入って良いですか?」「その間どうぞみなさんはお隣の方とかとご歓談下さい。凄いですよ〜知らない人が3000人、今日この為に集まってるんですからね」そう言いながら、楽器隊の豪華な即興セッションをBGMに、シンキングタイムが始まる。長考の末、結局思い出せず、「思い出せません」「ちっとも何にも全て舞台袖に置いてきちゃった」ビッグバンドのようなジャジーで遊び心のあるサウンドに乗せて歌う姿はどこまでも陽気で、「お得なビジネスの話」と称される来年のツアー告知へとなだれ込んでいった。

そして焦らしに焦らし、ついに呼び込まれたのは、この日2度目の藤井風。「ピアノと歌を自在に操る、差し詰め音楽界の大谷翔平!」そう紹介されて藤井風が再び舞台に上がると、始まったのは「Miree」だった。アウトロの「Free Disco,Show Night」の一節では、TAIKINGが藤井風の「青春病」のアウトロのギターリフをそっと差し込んでくる。長く彼と共に演奏してきたTAIKINGだからこそ成立する、愛のある演出だった。そこへ即座に「青春の病に侵され、儚いものばかり求めて」と歌を乗せる藤井風の対応力もまた見事という他ない。バックボーカルに転じて藤井風をそっと支えるように歌うYONCEと、伸びやかにファンにとっても、バンドにとっても大切な一曲を歌い上げ、声質の異なる二人のボーカルが重なり合う、もう二度とは聞けないであろう特別な「Miree」だった。

演奏後、YONCEのMCが場の空気を変えていく。「色んな入り口を通って人間は何かを見つけたり、何かを無くしたりするもんだと……」その言葉の途中、客席で体調を崩し倒れてしまった方がいた。YONCEは騒ぐことなく、慌てることなく、落ち着いた様子でスタッフを呼ぶと、何事もなかったかのように振る舞い続けた。「深呼吸しておきましょうか」観客に向けたその一言には、冷静さと同時に確かな温かみがあった。「水を差した、差された。あんまり思わないようにしてくれたら嬉しいです」という気遣いに続けて、「たかが音楽だと俺は思う。いろんな大事なことの次にあるものだと思いますから」と語る姿に、音楽を生業としながらもそれをいつでも手放せる覚悟と潔さを見た気がした。TAIHEIがすかさずこの場の空気を察知し、次の曲へ向かう前にヒーリングのようなキーボードの音を差し込んで場を落ち着かせたのは、まさにYONCEの言う「小粋な」対応だった。

この星のどこかで (あとがき)

最後に演奏されたのは、「Life Easy」。凄まじいという以外に、言葉が見つからなかった。「この星のどこかで、またやろう」約束と呼ぶには近すぎず、願望と呼ぶには止まらない、絞り出したというより滲み出たようなその言葉が、バックライトに後ろから照らされてステージと調和して一体化するYONCEの姿に本当のロック・スターないしロック・ミュージックを直視した気がした。一瞬だけ微妙に揺らぐ観客の声と拍手や衣擦れ、全ての音がまるで星が死ぬ時のように吸収され一体化して収束する具合に…。星が死ぬ瞬間というのは、宇宙は真空であるがゆえに音は届かないのだと子供の頃読んだ図鑑に書いてあったのを思い出した。

そんな途方もない喩えでしか、あの瞬間の感覚を言い表せない気がした。届かないほどに遠く彼方に飛ばされたかのように思えた。その瞬間に自分の前に体目一杯で魂の叫びのように歌声を紡ぐ彼はまさに本当のロックを体現していた。チルとかメロウとか、そういう言葉でこの数千年、世界を包んできた音楽という営みそのものを塵に帰すかのような、言葉を失うほど素晴らしいステージだった。ただ一個覚えているのは、彼のその姿は私が思うよりずっと巨大で、一滴の涙では言い表せないほどだったということに尽きる。

終演後のステージ

余韻は、しばらく体の中で鳴り続けていた。6年越しのリベンジという言葉を、Suchmosはついに自分たちの手で回収してみせたのだと思う。「みんなバラバラでいこうぜ」というYONCEの天邪鬼な一言が、今も耳に残っている。一つになることを強要しない態度こそが、このバンドの誠実さなのだろう。藤井風もまた、Suchmosへの敬愛を隠さず、それでいて自分のスタイルを崩さなかった。二組の間にあったのは対バンや競演というより、互いの音楽性への深い愛(Prema)だったのだと思う。

改めて、こんなにも素晴らしいライヴに立ち会えたことを心から幸運に思う。設営スタッフ、裏方、藤井風とSuchmosにも、チケットを譲ってくれた方にも、共にその場を共有したファンやホーミーたちにも、そしてこの長いライヴ・レポートを読んでくれたあなたにも、深く感謝したい。本当にありがとう。

このライヴ・レポートも、感じ方は自由。「いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、あなただけのものなので何かに惑わされないで」、God Bless Us、そしてBlow Your Mind!

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MAJでも取り沙汰された藤井風の3作目『Prema』を1万字にもわたって読み解いた、圧巻の音楽評論。制作背景から音作り、英語詞への挑戦、曲ごとのレビュー、歌詞に込められたスピリチュアルなテーマまで、緻密かつ多角的に掘り下げられています。書き手が「天才」という言葉を初めて使ったという告白、そしてKeshiとの比較から見えてくる藤井風の可能性への考察には、音楽への深い愛情と鋭い分析力の両方が滲み出ています。自分と同い年の書き物をする人にこんなにすごい人がいるのだなと感銘を受けました。昨年のSuchmosのライブレポートと一緒にぜひご一読を。

紅茶さまのライブレポ
「余白まで鳴っていた夜」というタイトルの通り、音を鳴らす技術ではなく「何を鳴らさないか」に焦点を当てた批評性の高いレポート。ブレイクの静けさの中にもグルーヴがある、という着眼点が秀逸です。アンコールの『Miree』での「音楽が好きな人同士が遊んでいる」という描写にも、対バンならではの空気感がよく表れています。ぜひご一読を。

ぞうさまのライブレポ
感覚がそのまま言葉になったような、独特の文体が印象的なライブレポート。「ふわふわふんわり」「なんぼでもイけばいい」といった言い回しが、何だかこの人にしか書けないのだろうなと不思議と思わせてくれるエッセイのような読み心地。前座・藤井風から本編・Suchmosへと熱量が移り変わっていく構成も読みやすく見事で、「藤井風の音楽は人生を灯す。Suchmosの音楽は人生に悦びを与える」という締めの対比表現には思わず唸らされました。読み応えたっぷりの、前後編合わせてぜひご一読を。

吉guyさまの記事
Suchmosの各メンバーを「地元のラーメン屋を開いたら」という設定で妄想する、完全偏見のコメディエッセイ。曲を知らずに参戦したにもかかわらず、ボーカルの一言「ノリ方は、自由──」で一気に引き込まれたという導入から、笑いを取りながらもライブそのものへの純粋な感動がしっかり伝わってくる一編です。あんまり本編には関係ありませんが、秀逸なのは否定できないコミカルな書き口は読んで損なし。ぜひご一読を。

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