私たちは愛で満たされ、愛で生きている──藤井風『Prema』を聴いた18歳の私が書いた1万字レビュー
私はこれまで藤井風というミュージシャンに、一度も「天才」という言葉を使ったことがなかった。
世の中には、ふとした閃きでヒットを生み出す“天才型”のミュージシャンがいる。世間的にも藤井風はしばしばそうした枠で語られてきた。しかし、私はそう呼ぶことに強い違和感を覚えていた。なぜなら、彼はむしろ圧倒的な“努力家”だからだ。
幼少期からYouTubeで弾き語りを披露し続け、演奏力も歌唱力も研ぎ澄まされてきた姿は、その努力量の証明に他ならない。ピアノという楽器はとりわけ、才能よりも日々の積み重ねがものをいう。だからこそ、彼の独自のコード進行や楽曲構築力も才能型ではなく”努力型“の成果だと私は考えていた。
しかし──『Prema』を聴いて、その認識は根底から覆された。
藤井風は、間違いなく“天才”である。
作詞・作曲・演奏・歌唱・ダンス・ビジュアル・表現力・思想…彼を形作ってきたすべてが、このアルバムでは見事に結晶している。そしてそれは、時代や国境を軽々と飛び越え、世界へ通用する表現となっていた。褒め言葉としてあえて言うならば、彼はここ数年で私たち一般人に最も理解のできないミュージシャンだと私は考える。
本稿では、藤井風の3rdアルバム『Prema』について、制作背景から楽曲・サウンド、そして社会的文脈までを辿りながら、18歳の私が感じたことを1万字にわたり綴っていきたい。
1.制作背景・コンセプト
藤井風 3rd album『Prema』 2025.9.5 released
1.Casket Girl
2.I Need U Back
3.Hachikō
4.Love Like This
5.Prema
6.It Ain't Over
7.You
8.Okay, Goodbye
9.Forever Young
藤井風は前作『LOVE ALL SERVE ALL』リリース直後の2022年4月にロサンゼルスでSir NolanやTobias Jesso Jr.とコライト(共同制作)セッションを行い、その中でリード曲「Hachikō(ハチ公)」のデモを制作した。
これ以降、本格的なアルバム制作が始まり、制作期間は約3年に及んだ。NHKの番組では、「アルバム制作は難航しており、行き詰まる様子を見せていた」と述べられていた。
5月2日には「3rdアルバム a.k.a. 'FK3'はもう完成しています…いろんな理由で少し長く待つことになりそう」と公式Instagramで完成を発表した。当初は藤井風の27歳の誕生日にあたる6月14日までの完成・リリースを目指していたが、プロモーション都合などで最終的に2025年9月5日のリリースに延期された。
また、同年7月には全米大手レーベル・Republic Recordsとの契約締結も発表されており 、完全に世界的な活動拡大に向けたアルバムと言えるだろう。
このアルバムは米プロデューサーのSir Nolan(Nolan Lambroza)やTobias Jesso Jr.が共同制作に携わり、藤井自身と以前から親交のあるトラックメイカー・250(イオゴン)が全曲制作を支えている。公式サイト等を見る限りSir Nolanは主にビート制作、Tobiasはアイデア提供、250は最終アレンジに大きく関わっているようだ。そのほか、米歌手・作曲家のShy Carterや、日本のキーボーディスト・Koby Shyら多数の共作クレジットが並んでおり 、グレッグ・カースティンやRob Biselといった海外大物プロデューサーも名を連ねている。
制作の拠点は米国が中心となった。LAでの先述のコライトセッションを皮切りに、ジョージア州アトランタにあるABS Recording Studioでもレコーディングが行われている。
また、これまでのアルバムタイトル(『HELP EVER HURT NEVER』『LOVE ALL SERVE ALL』)がインド聖者サティア・サイババの格言から取られていたのに対し、『Prema』もサンスクリット語で「愛」を意味する語を冠している。世界中のリスナーに“愛”を届ける意図が込められている。実際、Real Soundの記事でも「アルバムタイトルの『Prema』はサンスクリット語で“愛”を意味しており、“愛”がテーマの楽曲も多く収録されそうだ」と指摘されている。本作でも、詞の根底には自己成長や感謝、信仰的な慈愛の思想が流れており、英語詞を通じて国や言語を超えた普遍的なメッセージとしたい意図がうかがえる。全体として、アルバムには「藤井風自身の27年間すべてを込めた」との言葉が示すように 、彼の人生観やスピリチュアルな成長の軌跡が凝縮されている。
2.音作りと英語歌詞
これまでの藤井風作品と決定的に異なるのは、プロデューサーが変わったことだろう。デビュー作『HELP EVER HURT NEVER』、そして2nd『LOVE ALL SERVE ALL』を全曲手がけたのはYaffleであり、彼のピアノやコード進行を最大限に活かしたプロダクションが藤井風の音楽性を支えてきた。しかし今作『Prema』では、その座を韓国のプロデューサー・250(イオゴン)に譲った。この交代劇は、音楽性の方向性を決定づける大きな転換点だったと言える。
実際、今作ではこれまでのようにピアノを中心に据えたシンガーソングライター像よりも、トラップやR&B、ソウル、ゴスペルの要素を取り入れ、かつての洋楽にあった良いメロディを取り入れた楽曲が多くを占めている。それは藤井風自身の“らしさ”を失わせるのではなく、むしろ唯一無二のコード進行や旋律感を新しい文脈で響かせるための装置として機能している。
250の影響力は顕著である。彼の1stアルバム『PPONG』を聴き返すとよく分かるが、軽やかなリズム処理やグルーヴの作り方に共通点が見られる。
また彼が手がけたNewJeansの「How Sweet」と藤井風の「Forever Young」を並べて聴くと、音の質感やレイヤーの重ね方が驚くほど似通っていることに気づく。250が持ち込んだ世界基準のサウンドが、藤井風の音楽を大きく支えているのは疑いない事実だ。
さらに今回は250だけではなく、米国のSir Nolan(Nolan Lambroza)、Tobias Jesso Jr.、シンガーソングライターのShy Carter、日本のキーボーディストKoby Shy、そしてGreg KurstinやRob Biselといった海外の大物プロデューサー陣も制作に参加している。前2作が日本から世界へ発信する音楽だったのに対し、『Prema』は初めから世界で戦うために作られた音楽と言い切れる。
もうひとつ、多くの人が注目したのが全編英語詞であるという点だろう。
ここから少し言語学的な視点に触れておきたい。
一般的に日本語は英語に比べ、母音の比率が高い。
つまり音そのものが長くなりやすく、同じ意味を表現しても音の数が増えてしまうという言語的特性がある。
・I love you.(英)(SVO構造)
・私はあなたを愛している。(日)(SOV構造)
・愛してる(日/省略しても意味通じるよね)
日本語は情報を削ぎ落とすことで短縮する文化があり、”愛してる“と省略しても意味が伝わるが、それでも英語の簡潔さには敵わない。
さらに日本語はピッチアクセント、すなわち単語ごとに高低差のある音程で意味を区別する。一方で英語は「強勢アクセント」であり、音節の強弱でリズムが形成される。この違いが音楽に乗ったときに大きなハードルとなる。
・あ↑め↓(雨)
・あ↓め↑(飴)
日本語詞はどうしてもメロディに合わせて音程を守らなければならず、英語詞に比べて自由度が低い。逆に英語は”yeah“や“oh no”といったフィラーを自由に挟み込み、メロディとリズムに柔軟に対応できる。だからこそ、日本のミュージシャンが英語詞で自然なグルーヴを作るのは非常に難しいのだ。
実際、多くのアーティストが海外進出を志しながら、言語的な壁を越えられず苦戦してきた。では藤井風は何が違うのか。彼は英語のリズム特性を理解した上で歌詞を組み立てている。顕著な例が「Hachikō」だ。繰り返される“Doko ni ikō Hachikō”というフレーズは、日本語と英語を跨ぎながらもビートの音節に自然に溶け込んでいる。
歌詞が単に意味を伝えるのではなく、リズムの一部として機能しているのだ。これはまさに英語ポップス的な手法であり、同時に日本語の情緒も失われていない点に彼のセンスが光る。
このアプローチを聴いたとき、私はかつての久保田利伸や平井堅といった日本R&Bの先駆者たちを思い出した。彼らもまた英語的な響きや洋楽的な発音を取り入れ、日本語ポップスの表現を更新してきた存在である。藤井風の『Prema』は英語詞でありながら、そうした90〜00年代のR&Bが確かに根付いているように感じられる。
一方でサウンドの側面では、250らが80年代ポップスを現代的に再解釈する手法が強く表れている。懐かしさと新しさを同居させながら、確実に世界基準のクオリティへと昇華させているのだ。
私がここで“再解釈”という表現を用いた理由としては、彼自身を構成したルーツとして洋楽というものの緻密な分析と吸収があったからだと考えているからである。この点については彼のこれまでのカバー動画を見ていけば明らかなことだろう。
まとめると、今作は英語詞と音作りという二つの要素が噛み合うことで、藤井風を世界へ押し出す強力な推進力となっている、と私は考える。
3.曲ごとのレビュー
1. Casket Girl
ザラザラとした音に始まり、次第に現代的なデジタルサウンドへと展開していく。ノリのよいバンドサウンドは、まるで実家の喫茶店で流れていそうな80年代テイスト。歌詞は死生観をモチーフにしており、「帰ろう」などでも感じられたこれまでの藤井風作品にも共通するものがある。
2. I Need U Back
シンセ、ギター、エレクトリックドラムが織りなすのは、これぞ80年代の王道ディスコサウンド。広いフロアでミラーボールに照らされながら踊る光景が容易に浮かぶ。歌詞は失われた情熱を取り戻したいという切実な祈りのよう。どこか懐かしい音のような、誰しもが直面しうる空虚さを軽やかに救い上げるような、普遍的な1曲だ。
3. Hachiko
藤井風には珍しい、リズム主体で作られたループミュージック的アプローチ。シンプルな反復の中に、不意に差し込まれるファルセットやリズムの抜き差しが心地よい。特に "you‘ve been patient" と歌う箇所の浮遊感は、世界のどのリスナーにも届きそうな開放感を帯びている。
4. Love Like This
柔らかく、力を抜いたボーカルが印象的。初期の藤井風に感じられたグルーヴィーな力強さから一歩進み、自然体で寄り添うような歌声へと変化している。2ndアルバム以降の彼に見られる脱力の美学がここでさらに成熟している。
5. Prema
冒頭のザラザラとした音質の演出を1曲目からリフレインさせることで、アルバム全体の円環性を強調。多層的なコーラスはゴスペル的で、楽曲のスピリチュアルな力を増幅させている。強い打鍵でピアノを叩き、最後にはピアノの音へと回帰する流れは、まさに原点に立ち返った藤井風自身そのもの。この曲をタイトルに据えたこと自体、弾き語りの彼がそのまま世界に挑むという原点回帰にして成長の象徴だろう。
6. It Ain’t Over
ロングトーンの伸びやかな歌声と、繊細に織り込まれるフェイク。そこに重なるサックスや洒脱なコード進行が極上の余韻を生む。シンプルに耳が心地よいという言葉に尽きる一曲。
7. You
シンセの広がりと、抑制されたドラムやクラップ。その隙間を埋めるように藤井風の優しい歌声が響く。時折鳴る808のカウベルがアクセントになり、どこか250を彷彿とさせるサウンドデザイン。シンプルながら現代的で、余白の美しさを感じさせる。
8. Okay, Goodbye
軽やかなピアノのイントロから心が弾む。イントロ一発で「これは藤井風の曲だ」と分かる独自のタッチ。ライブで盛り上がること間違いなしのナンバーで、個人的にはアルバム中でも最も好きな曲。明快なポップさと、彼らしい音楽的遊び心が同居している。
9. Forever Young
アルバムの中でも250の影響が最も濃い一曲。サウンド面ではNewJeansを連想させるような現行K-POP的アプローチが色濃い。若さの儚さときらめきを描きながら、同時にグローバルな音楽トレンドへの眼差しを強く示す楽曲だ。
4.歌詞とテーマの掘り下げ
『Prema』は、そのタイトルが示す通り神聖な愛、無条件の愛を中核に据えた作品である。サンスクリット語である“Prema”という言葉が示すように、本作は単なる恋愛や個人的な感情を越え、より普遍的で、魂の根源に触れるような愛の探求を軸にしている。9曲というコンパクトな構成の中に、喪失と再生、渇望と統合、解放と永遠性というスピリチュアルな旅が描かれており、アルバム全体がひとつの物語のように流れていく。
冒頭を飾る「Casket Girl」は、“死”をモチーフに据えた楽曲である。ここで語られる死とは肉体的な死に限らず、過去の自我やエゴとの決別でもある。新たなステージへ進むための最初の儀式として、古い自分を棺に納めるイメージが描かれている。
続く「I Need U Back」では、その死を経て感じる深い渇望が歌われる。喪失してしまった“本当の自分”、あるいは神聖な存在にもう一度出会いたいという切実な想いが、強いビートと共に響き渡る。こここにおける“U”とは恋人のような恋愛観だけではなく、自分自身の魂、あるいは人間を超えた大いなるもっと普遍的な存在をも指していると考えられる。
3曲目「Hachikō」では、忠犬ハチ公の物語をなぞらえながら、待ち続ける魂との再会が描かれる。喪失と渇望の果てに、ようやく巡り会う愛。そこには哀しみや切なさだけでなく、深い統合の感覚が宿っている。
「Love Like This」は恋愛的な愛を超えた、無条件で神聖な愛=Premaの片鱗が歌詞の中に示される。英語詞で綴られることで、より普遍的な響きを持ち、国境を越えて共鳴する力を帯びている。
5曲目「Prema」は、アルバムの真髄とも言える楽曲である。愛とは何かというテーマを正面から扱い、悟りに近い境地へと到達していく。ここまでの楽曲でのメッセージである死や渇望、再会のプロセスは、すべてこの楽曲、そしてこのアルバムの主題に向けたものであると私は考える。
続く「It Ain't Over」では、新しい愛の始まりと再生が描かれ、失われたものではなく、常に続いていく愛の循環が表現される。絶望の中にあっても愛は終わらない、むしろそこから新たに芽吹いていくという強いメッセージが込められているだろう。
7曲目「You」では、“君”という存在に対する愛がテーマとなるが、その“君”は単なる他者ではなく、内なる神性やハイヤーセルフであるとも解釈できる。外に見える存在と、自分の内側に眠る本質的な存在が重なり合い、愛の対象が一人の人間を超えていく。2曲目での“U”とはまた異なる解釈ができると私は考える。
8曲目「Okay, Goodbye」は、過去やエゴに別れを告げる楽曲であり、ここでようやく解放の瞬間が訪れる。これまで自分を縛っていたものに感謝を告げ、軽やかに手放すことで、新しい旅路に向けたものであるだろう。
そしてラストを飾る「Forever Young」では、魂の永遠性と神性が讃えられる。肉体や時間の制約を超えて、愛と魂は常に若々しく、変わらず存在し続ける。そのメッセージは、聴き手に安心感と祝福をもたらす。
全体を通じて『Prema』は、いわゆるラブソングの集合体ではなく、愛そのものの本質を探る哲学的な作品だと私は考える。藤井風がメディアやインタビュー、自身の楽曲で繰り返し語る「ハイヤーセルフ」や「エゴを超えた愛」という思想が、歌詞や楽曲の流れに深く刻まれている。
喪失から悟りへ、別れから永遠へ──『Prema』は人間が愛と共に歩む旅そのものを描き出した、スピリチュアルでありながらも切実に心に響くアルバムである。
5.藤井風が目指すものとは
今回のアルバムを聴き、私がまず思い浮かべたのはベトナム系アメリカ人のシンガーソングライター・Keshiである。彼のキャリアと成功の要因を振り返ると、藤井風が今後歩んでいくであろう方向性と多くの共通点が見えてくる。
Keshiが世界的に評価された理由は、まずジャンル横断的な音楽性にある。R&Bを軸としながら、ローファイ、インディーポップ、ヒップホップを柔軟に取り込み、トラップ風ビートにアコースティックギターやアンビエントな音を重ねることで、都会的でありながら親密という質感をつくり出した。その結果、アジア圏の若者だけでなく、欧米のオルタナティブR&Bファンにまで自然に届いたのである。
また、彼の出発点はDIY精神と宅録文化にあった。看護師として働きながら自室で録音を重ね、SoundCloudに楽曲を公開していたKeshiは、Bedroom Popととしてリスナーにとって自分と地続きな存在として受け止められた。サンクラはもちろん、SpotifyやYouTubeといったアルゴリズムの恩恵を受けやすかったことも、彼の飛躍を後押しした。
加えて、彼がベトナム系アメリカ人であったことも重要だ。アジア系コミュニティやディアスポラ世代の支持を集め、同じアジア系アーティストであるJojiや88risingの動きと共振した。しかもKeshi自身はより繊細でパーソナルな表現を提示し、アジア系で世界に出ていくシンガーソングライターという象徴的ポジションを確立したのである。
歌詞と声の“親密さ”も彼の大きな武器だった。恋愛や孤独、自己葛藤といった誰もが抱えるテーマを、甘いファルセットやウィスパーボイスで耳元に囁くように歌い、リスナーに「自分のための音楽だ」と錯覚させる。その親密さはTikTokの切り抜き文化とも高い親和性を持ち、フックが拡散されやすかった。そしてSoundCloudからIsland Recordsへと移籍し、世界ツアーでアジアと欧米を繋ぐ動きを見せたことで、彼は名実ともにグローバルアーティストとなった。
この流れを踏まえると、藤井風が『prema』で英語歌詞に全面的にシフトし、250をはじめとした世界的プロデューサーと組んだことは、まさにKeshiの歩みと重なって見える。両者にはいくつかの共通点がある。
まず、英語を自在に操れること。Keshiは英語ネイティブだが、藤井風もカバー動画を通じて海外リスナーを自然に惹きつけ、「死ぬのがいいわ」はTikTok経由でインドネシア、フィリピン、アメリカまで広がった実績がある。
次に、ジャンル横断型の音楽性。KeshiがR&Bとローファイを行き来するように、藤井風もJ-POPにソウル、ジャズ、クラシックを溶け込ませ、近年流行しているジャンルを超えた音楽として適応していると考えられる。
そして何より、リスナーに与える“親密さ”。Keshiが耳元で囁くように恋愛を歌うのに対し、藤井風は宇宙観や祈りを含むスピリチュアルな広がりを持ちながらも、聴く人には自分に向けられていると思わせる力を持つ。かつてSoundCloudで活動していたkeshiと、岡山の実家で撮影したYouTubeで活動を始めた藤井自身も似ている点があるだろう。
もちろん、違いと課題もある。例えば、Keshiは英語圏で活動し始めたことで自然とグローバルな土壌を得たが、藤井風にとって英語詞の挑戦がどこまで海外リスナーに届くかは未知数だ。
また、KeshiはIsland Recordsと組んで北米・アジア双方を戦略的に攻めたが、藤井風も同様に事務所契約から海外マーケット用の戦略をどこまで徹底できるかが鍵となる。
それでも私は、藤井風の未来には確かな可能性を感じている。Keshiがそうであったように、彼は単なる“日本からの輸出品”ではなく、ジャンルを越境し、国境を越えて個人の物語を世界中のリスナーに響かせられる存在になりうる。『prema』はその第一歩であり、藤井風が目指すものは、まさにKeshiが象徴するような「アジアから生まれたグローバルシンガーソングライター」の姿だと考える。
6.個人的体験・アルバムを通した感想
私が藤井風という存在を初めて知ったのは、ちょうど6年前のことだ。後ろの席に座っていた女の子が「絶対これ好きだと思う、聴いてみて」とm-floのcome againの弾き語りの動画を教えてくれたのがきっかけだった。
その子は、私にとってただのクラスメイトではなく後に私が音楽を仕事にしたいと決断し、人生を大きく揺さぶる存在になった。髭男やUru、YOASOBIを初めて聴いたのも、Cahoのイラストを知ったのも、彼女がきっかけだった。誕生日に渡されたコウペンちゃんのメモ帳や、新しいクラスで彼女が突然バッサリ髪を切ってショートになっていた驚きまでもが、全部私の大切な記憶の一部になっている。藤井風の音楽を知った出来事も、その思い出のひとつだ。
最初に聴いた時の衝撃はいまも忘れられない。ピアノでラップを弾き語るという前代未聞のスタイル、そして圧倒的な演奏技術と歌唱力。それはすごいというより、むしろ怖いと感じるほどだった。
そこから数年のうちに、藤井風は国内音楽シーンの頂点に立った。だがそれは偶然でも、周囲のプロデューサーやチームの力だけでもなく、彼自身の積み上げてきた圧倒的な努力の成果だったと思う。10代からの弾き語り動画を見れば分かるように、彼の音楽は膨大なインプットの上に築かれている。カバーする曲ごとに私たちが言語化はできないけど共通して感じる”ここが気持ちいい“と感じる楽曲のツボを的確に捉え、弾き語りというシンプルな形でも聴き手を惹き込む。よくある弾き語りミュージシャンと異なりピアノの音圧、繊細な歌声からグルーヴ感のある発声まで器用にこなす彼。あれほどの演奏と表現力を支えているのは、地道に積み重ねられた基礎の土台なのだ。
そして今、彼はさらにその先へと進んでいる。積み上げてきたものを、世界基準へと昇華させる段階に立っている。これまで多くの日本のアーティストが挑んでは跳ね返されてきた海外という壁。
その中で藤井風には確かな可能性があると私は感じる。ルーツを変えることなく、音楽に最大限の愛とリスペクトを注ぎながら、自分なりの再解釈を重ねていく。その誠実さが、国境を超える力になるだろう。
出るべくして出た才能──
こういう人を人は“天才”と呼ぶのだと思う。
7.まとめ
『Prema』を聴いて、私は藤井風を初めて“天才”と呼ぶことにした。
それはひとつの才能の煌めきではなく、彼の人生を通じて培われた努力と愛が結晶し、世界に通じる表現へと昇華された結果だと考える。
このアルバムには、死と再生、渇望と解放、そして普遍的な愛というテーマが流れている。制作背景、音作り、言語的挑戦、制作チーム、すべてが世界基準で緻密に構成されているにもかかわらず、聴き手に届くのはあくまで“人間的な温かさ”だ。それは藤井風という存在、あるいは私たちにも普遍的に存在する「愛」そのものなのだろう。
18歳の私にとって、『Prema』は単なるアルバムではない。努力と天才性の両立を体現するこの作品は、私自身が音楽を愛し、信じ続ける理由をもう一度思い出させてくれた。そしてきっと、この先も彼は“愛で満たし、愛で生きる”というメッセージを世界に広げていくに違いない。
We can be born
僕たちは生まれ変われる
Again and again
何度でも何度でも
Cuz every single day's ur birthday baby
だって毎日が君の誕生日だからベイビー
As long as we're here
僕たちがここにいる限り
Be forever young (young)
永遠に若いままでいよう
My love
僕の愛
(追記)
私が1番好きな藤井風の動画を見てください(笑)
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