一つしかない宇宙の歴史に対する、反証可能性について
宇宙は量子的な「無」の揺らぎが膨張をして生まれたと、現代の物理学では考えられています。その後に、ビッグバンと呼ばれる大爆発で宇宙は熱くなり、素粒子の高温プラズマの「スープ」が作られました。継続する宇宙の断熱膨張のために、そのプラズマの温度はどんどん下がり、素粒子は結合しあって、さまざまな元素が形成されていきます。このようなことを宇宙の熱史と呼びます。現在では実証科学として成熟してきた天文物理学の一分野です。
ところが、「そのような宇宙の歴史を研究することは本当に科学なのか?」という疑問が、人文系の方から提示されることもまだ多いのです。その意図は、すくなくとも我々が観測可能な宇宙はただ1つなのだから、そのたった1つのデータから、何か確たることを科学として主張できるのかというものです。つまり統計学の意味でのデータの数Nが1しかない、「N=1」問題です。
宇宙の熱史以外でも、古生物分野での進化生物学などの科学的な「歴史学」も同様の批判にさらされることが多いです。しかし、その学問の多くの部分は、反証可能性をもつ正統な科学だと主張できます。
反証可能性とは、ある理論や仮説が、これからの実験や観測で否定できる言明、主張があることを指しています。将来矛盾するデータが得られたら、その理論や仮説を棄却できることを、その理論や仮説の反証可能性と呼びます。
宇宙の熱史では、このような反証可能性をもつ理論が、主に研究をされています。たとえば宇宙初期に指数関数的な宇宙の急膨張があったとする「インフレーション宇宙仮説」では、その急膨張が生成する量子的な物質や重力波の小さな非一様性密度分布を予言していました。その小さな非一様性が起源となって、インフレーション後の重力の効果で、より大きな質量分布の偏りが空間内にできて、我々が棲む銀河や星が生まれたと考えるのです。この仮説は、宇宙全体に広がる宇宙背景輻射の揺らぎの分布とその大きさについて予言をします。その予言の後に、その揺らぎが観測で実際に確認をされたのです。この揺らぎの観測には、後にノーベル物理学賞が与えられました。つまり、N=1でしかない宇宙の歴史に関することでも、この理論の予言自体は反証可能性を持っていたのです。もし揺らぎがその観測でも見つからなかったら、その仮説は否定をされていたことでしょう。
また「軽いニュートリノの種類は3つだけである」というのも、宇宙論の観測と熱史の理論に基づいた予言の1つです。その予言も、現在の素粒子実験のデータとは、うまく整合をしています。しかし、将来軽い新たなニュートリノが実験で見つかれば否定できるため、反証可能性がその理論にはあるのです。
超弦理論などの量子重力理論でも、実験で検証できないではないかという批判があります。しかし、反証可能性をもつ予言である「時空の量子重ね合わせ」については、量子測定を使った様々な実験や観測の研究計画が立ち上げられており、その今後に期待が寄せられています。
一方で物理学分野には、検証や反証が可能かどうかが物理学者の間でも疑われている「マルチバース理論」などもあります。
我々の宇宙以外にも多数の宇宙が実在しているという主張の理論です。しかし、観測によってそれを実証したり反証することはとても難しい状況です。それでも、そのマルチバース理論の研究者たちは、飽くまで反証可能な理論的予測を探究する姿勢を今も崩していませんし、またその姿勢を維持しないと、今後他の多くの物理学者からは見向きもされなくなります。
また量子力学の多世界解釈のように、永遠に実証できないことが現在では分かってしまっている理論もあります。
このような理論は、現在どんどんと物理学者の間での支持が減っています。これは科学として健全な状況だと思います。
科学哲学での議論では、科学の定義にこのような反証可能性を要求するのは、時代遅れだとの議論もあるそうです。しかし、多くの物理学者は、宇宙論でも、また他の分野でも、飽くまで反証可能性がある理論や予言を追求し続けています。今の科学哲学は、この現代の科学の現状をあまり押さえないまま、科学の議論を進めているのではないかと危惧をしています。この現代的な物理学者の現実的な価値観を真剣に受け止めて、反証可能性の重要性が再評価されることに期待をします。
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