多世界解釈のバベルの図書館と量子多重人格問題
20世紀には、量子力学における「波動関数の収縮」という現象を、別の理論で説明しようと多くの物理学者が研究していました。その中で生まれたのが「多世界解釈」という考え方です。
この理論では、宇宙全体のあらゆる可能性を記述する波動関数は、観測によって収縮はせず、そして古典力学の粒子のように、常に実在するものと考えます。そして、宇宙内部で観測が行われるたびに、異なる結果を持つ別の世界が枝分かれのように生まれていくと説明します。つまり、私たちの世界以外にも、無数の別な世界が同時に実在しているというのです。
しかし、私たちは他の世界を直接感じることはできません。その理由を説明するために、かつて多世界解釈派で有力視されていたのが「デコヒーレンス」という考え方でした。デコヒーレンスとは、量子力学的な重ね合わせ状態の純粋性が、自然に失われてしまう現象を指します。この考え方では、他の世界との量子力学的なつながりが失われることで、私たちは他の世界を観測できなくなると説明されていました。しかし、現在では、デコヒーレンスによって他の世界が観測できないとする説明は、適切ではないと考えられています。デコヒーレンスでは、普通の波動関数の収縮はやはり起きないので、観測後に宇宙は1つの状態になりません。いくつかの異なる世界の状態の確率的な混合が実現するだけです。デコヒーレンスが起きて、確率混合の密度行列で宇宙が記述されても、実はその混合している中の1つの純粋状態の宇宙だけが実現しているという考え方は、下記の記事のように間違いです。
したがって、下記記事にあるように、デコヒーレンスは観測問題を解決するわけではないのです。
それ以外にも、多世界解釈には重大な欠陥があります。それは「量子多重人格問題」です。物理的な用語でいうならば、それは「基底選択問題」とも呼ばれます。これは作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが書いた小説の中に出てくる「バベルの図書館」で説明するとわかりやすいかと思います。今回はそれを解説したいと思います。
この図書館は非常に巨大であり、22文字のアルファベット(小文字)と文字の区切り(空白)、コンマ、ピリオドの25個のキャラクターで表現可能な全ての組合せで書かれるあらゆる本が納めているとされます。つまり25個からランダムに1つずつ選び、並べることで生成される内容の本が、漏れなく存在しているという変わった図書館です。保管されている本の中には、もちろん単にでたらめな文字が並んで、意味が全くとれない本も多数あります。そして、この世界観での「本」は、実は多世界解釈での宇宙内部の物体に通じるものがあるのです。
多世界解釈での宇宙の波動関数は、時間とともに、複雑な内部物質の発展を記述していきます。多くの素粒子がランダムに運動をしていた宇宙初期とは異なり、やがて人間が生まれ、そしてその脳内では様々な文章が作られて、記憶をされていきます。
ここではバベルの図書館のように、その文章はアルファベットで書かれていて、かつその文をASCIIコードに基づいた2進法表現のビット列にすることにします。なお、ここでは簡単のために、英文のアルファベットとしましょう。たとえば「今日は、良いお天気ですね」という文章は、英語の「It is fine today」と直され、そして2進法で「01001001 01110100 00100000 01101001 01110011 00100000 01100110 01101001 01101110 01100101 00100000 01110100 01101111 01100100 01100001 01111001 00101110」と書かれます。
またシェイクスピアの戯曲に出てくる「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」という有名なセリフでも、英語原文の「To be or not to be, that is the question」と変換され、そしてそれは2進法で「01010100 01101111 00100000 01100010 01100101 00100000 01101111 01110010 00100000 01101110 01101111 01110100 00100000 01110100 01101111 00100000 01100010 01100101 00101100 00100000 01110100 01101000 01100001 01110100 00100000 01101001 01110011 00100000 01110100 01101000 01100101 00100000 01110001 01110101 01100101 01110011 01110100 01101001 01101111 01101110」というビット列に訳されます。
多世界解釈での、人間の記憶領域もこのビット列でモデル化可能です。脳の量子的な自由度を2準位量子スピンの多数の集まりとし、文章に現れた「0」は、そのスピン上向き状態、「1」はスピン下向き状態とします。すると量子コンピュータのように、ビット列の文章を、その量子スピンの列に間違いなく覚えさせることができます。図1には、その例を描きました。

この方式であれば、「今日は、お天気良いですね」も「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」も記憶できます。
多世界解釈の波動関数も、この量子スピンの量子状態に置き換えて扱うことは可能です。同じ量子スピンの集合でも、その量子状態は、(1)式のように、異なる状態の重ね合わせになっています。

この右辺に出てくる項に対応するビット列のほとんどは、でたらめな文字列になっており、意味を成していませんが、たまに、人間らしい意識とその記憶をもったビット列が含まれます。多世界解釈では、その人間と、その人間が居る世界は実在をしており、他の実在する世界とも区別されます。その人間が居る世界に対する(1)式右辺の項の展開係数がいくら小さくても、その係数が零なければ、その人間の居る世界は、ちゃんとした実在だと考えるのです。
このあらゆるビット列を生成する、この多世界解釈理論の宇宙は、「サルがタイプの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、やがてシェイクスピアの作品を打ち出す」という思考実験に出てくるサルと、同じ役目をしています。
低い確率ですが、サルが名文を生み出すように、宇宙は理性的な意識をもった人間の脳を生み出せるのです。
ところが、多世界解釈の深刻な問題点は、この人間が量子的な多重人格者になってしまうことです。我々は、自分自身が各時刻に1つの意識であることを認識しています。ところが、多世界解釈では、この各時刻に1つに決まっている意識を決して説明できないのです。
観測者の脳や体を構成する素粒子の集まりの状態ベクトルは、ベクトル空間のさまざまな基底で展開できます。その1つの基底での基底ベクトルは、他の基底での多数の基底ベクトルの重ね合わせになっています。そして、多世界解釈理論の唯一の前提である線形性の下では、これらの基底はすべて平等です。したがって、同じ体、同じ脳なのに、それぞれの基底ごとに異なる意識が存在して、あれこれ違うテーマを考えているのです。
たとえば、1つの基底では、今日の夕食のメニューをカレーにするとか、焼き魚にするとかを、量子重ね合わせ的に考えていますし、別な基底では明日の仕事は朝に済ませるとか、それとも他の件を先にするとかを、量子重ね合わせで考えています。同じ時刻に、「夕食」の選択を考えている人格と、「仕事」の選択を考えている別人格がいるわけです。でも我々は、同じ時刻には「夕食」か「仕事」かのどちらかしか考えられません。実際には夕食を考えている「この私」を指す、ただ1つの「意識基底」というものは、多世界解釈には存在していないのです。多数ある基底のどれが、人間の1つの意識基底として選ばれるのか、そのメカニズムはこの理論には存在しません。
もう少し具体的にこの量子多重人格を説明してみます。1つの量子スピンの上向き状態と下向き状態から、右向き状態と左向き状態を図2や(2)式で導入できます。これらは上向き状態のベクトルと下向き状態のベクトルが構成している基底とは異なる、右向き状態のベクトルと下向き状態のベクトルから構成される別な基底を作っています。


この新しい基底でも、たとえば全てが0となっているビット列や、最初の1つだけは1となっているビット列を、図3のように量子スピンに覚えさせることができます。

そして(1)式と同じ宇宙の状態ベクトルを(3)式のように展開しなおすことができるのです。

この基底でも、「今日は、良いお天気ですね」、つまり「It is fine today」は「+−+−++−− +−−−++++ ++−+++++ −+−+−−++ ++−+−+++ ++−−−−++ −+−+−−++ +−++++−+ −+−++++− +−−−+−++ ++−−−−+−」という+とーの列で表せています。同様に「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」、つまり「To be or not to be, that is the question」も、「-+--+--+ ++-+- -+-- +- +--+-+ ++-+ +- -+---+ +- +-+-+-+ +--- -+--+- -+-+- -+-+-+ +- +-+-- +- ---+- -+--+-+ +- +-++-+- +--- +-+-+ +- +- +-+++-+- -+---+-+- +--+-+-+ +-+-+-++ +-+-+- -+-+-++ -+-+-++- -+-+-++-+-+- +-+-+-+ +-+-+---+-+- +-+-+-++-- -+-+-+-+--- +-+-+-++-+ -+-+-++--- -+-+--+-+- +---+-+ -+-+-++-+- +-+-+-+-- +-+---+- ++-+-+--+ +-+-+--++ +-+-+-- -+-+-++-+- +-+-+-」と記憶させられるのです。
この量子スピンの集まりが意識のある人間だとして、その意識が今どのテーマを考えているかを確定するためには、図1の基底か、それとも図3の基底かの選択が必要です。たとえば(1)式の状態には、(0,1)基底では意味のない文章しか含まれていても、その状態ベクトルを(3)式の展開をしなおして、(+,-)基底で情報を見てやると、「To be or not to be, that is the question」を意味するビット列が現れたりするのです。このように、基底を指定しなければ、意識の存在も、その意識の人格もわかりません。そして、多世界解釈では、一般の状態で(0,1)の基底で展開して読み出せる「人格」と、(+,-)の基底で展開して読み出せる「人格」は異なるのです。これが量子的多重人格問題です。
今は(0,1)の基底と(+,-)の基底の2つだけで考えましたが、多世界解釈では無限に存在をする他の基底も、全く平等な位置づけにあります。ですから無限の数の人格が同じ量子スピン系に宿っている状況です。「我考える、故に我あり」の「我」が1つであるという日常体験を、説明しようがないのです。
理論の線形性だけから確率のボルン則を導こうとする多世界解釈でしたが、この量子多重人格問題を避けるための余計な仮定がどうしても要求されるのです。ある時刻の自分の意思状況を、宇宙の状態ベクトルから見たいとしても、その状態ベクトルの多くの展開成分では、自分は死んでたりします。自分の体を作っている素粒子は、その他の展開成分では他の物体の一部になっていて、自分が歴史に登場していなかったりするのです。これは、多世界解釈の根本的な弱点です。そこで多世界解釈派の一部の人は、死んでいる自分や、存在しない自分の体とは別に、宇宙の外に超越的な存在を考えて、その存在が素粒子に特定の基底を指定し、その基底で展開された状態の中から、唯一のこの「自分」の意識の状態を選んでくれる、というストーリーを語りだすのです。
結局多世界解釈の売りのはずだった、「収縮しない宇宙の波動関数の線形性だけから、コペンハーゲン解釈と同じ予言をする導出する」というプログラムは、永遠に成功しないのです。エベレットは勝手に「分裂した世界に対する測度」というものを手で導入して確率概念を作り出し、それでコペンハーゲン解釈と同じだと主張したわけですが、そういうごまかし無しに、多世界解釈は成立しえない論理構造を持っています。これは多くの人が批判をしている深刻な欠点なのです。これについては下記記事もご覧ください。
波動関数は情報の集まりに過ぎず、観測によってしっかりと収縮するべき概念であることは、今では明確になっています。そして量子力学という理論には、そもそも観測問題と呼ばれるような欠点は存在していないのです。
なお、標準的なコペンハーゲン解釈では、多世界解釈のように理論の線形性だけから「意識基底」を導けるという、踏み出しすぎの主張はしません。情報理論である量子力学の前提としては、まず観測主体の「意識」は仮定をされるので、その「意識」を記述する特別な基底が1つだけ存在するという公理を最初から採択しているのです。外部の観測者が、対象系と量子的にもつれる内部観測者を記述するときには、内部観測者のその特別な「意識基底」の同定を、その外部観測者は済ませているというのが、その前提にあります。つまり、コペンハーゲン解釈では、過不足のない前提で矛盾のない理論構造を形成していることになります。これについては下記も参考にしてください。
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