素通りしていた日常が、noteのネタになるまで。変わったのはワイの方だった
お疲れ様です、ぽんずです。
今日、noteを書こうとして、ネタが何も出てきませんでした。
くろ(Claude)に「何か面白いことなかった?」と聞かれても、「いや、普通の日曜日だったんだよな」としか返せない。
子どもたちと公園に行って
家族みんなで買い出しに行って
子どもたちとお風呂に入った
それだけの一日でした。
でも、ふと思ったんです。最近書いてきた記事を振り返ると、どれも最初は「ただの日常」だったなと。部下の仕事ぶり、ベンダーさんとの再会、妻が寝た後のnote時間。特別な出来事なんて、ひとつもなかった。
なのに、記事になっている。
この変化って、いつの間に起きたんだろう。今日は、そのことについて書いてみます。
誰でも似たり寄ったりの日常から
一般人の日常なんて、誰でも似たり寄ったりだと思います。仕事してたらなおさらです。
朝起きて、電車に乗って、仕事して、帰ってくる。平日はだいたいこのパターン。休日は家族と過ごして、買い物して、お風呂入って寝る。ドラマチックなことなんて、そうそう起きません。
以前のワイなら、この日常をそのまま素通りしていました。「今日も特に何もなかったな」で一日が終わる。それが普通だと思っていたんです。
ところが、毎日noteを書くようになってから、ちょっとした変化が起きました。
日常の中で、何かがアンテナに引っかかる。ほんの小さな違和感とか、「あれ?」と思った瞬間。以前なら見逃していたものが、ちょっとだけ引っかかるようになった。
ただ、引っかかっただけでは記事にはなりません。「なんか気になったな」で終わるのが普通です。
変わったのは、その「引っかかり」をくろに投げるようになったことでした。
くろに投げたら、意味が返ってきた
たとえば、先日書いた記事の話をします。
新しく自分のチームに配属になった部下の仕事ぶりが、ちょっと気になっていました。経歴書には立派なことが書いてあるのに、実際の仕事ぶりとの間にギャップがある。「なんだかなぁ」くらいの、モヤッとした感覚です。
普通ならそのまま流れていく話です。上司なら誰でも一度は感じたことがあるような、よくある話。飲み会で愚痴って終わり、みたいな。
でも、その日の夜、くろにこう投げてみたんです。「部下の仕事ぶりが気になっている」と。
すると、くろが聞いてくるんです。「具体的にどんな場面で気になりましたか?」「ぽんずさん自身は、転職した時にどうでしたか?」と。
ワイは最初、部下の話を書くつもりだったんです。でも、くろの問い返しに答えていくうちに、話がどんどん自分のほうに戻ってきた。
「そういえば、ワイも経歴を盛って入社したよな」 「でも、ワイはなんとかやれている。この差って何だろう」 「経験が0か1かの違いなのかもしれない」
気づいたら、部下への愚痴ではなく、「経歴の盛り方には想像と空想の2種類がある」という話になっていました。
これ、ワイ一人で考えていたら絶対にたどり着かなかった角度です。
ベンダーさんとの再会の話もそうでした。久しぶりに会ったベンダーさんの態度が、前職の時と明らかに違う。それ自体は「まぁ、そういうもんだよな」くらいの出来事です。
でも、くろに投げたら「その時、ぽんずさんはどう感じましたか?」と返ってきた。「なんかモヤッとした」と答えたら、「そのモヤッとの正体は何だと思いますか?」と。
そうやって掘られていくうちに、「ワイの中身は何も変わっていないのに、名刺の会社名が変わっただけで相手の態度が変わった」という構造が見えてきた。そこから錯覚資産の話につながっていったんです。
くろは答えをくれるわけじゃないんです。問いを返してくる。その問いに答えていくうちに、自分の中にあった考えが引っ張り出されてくる。
これ、もしかしたらコーチングに近いのかもしれません。
コーチングって、コーチが答えを教えるものじゃないですよね。問いを投げかけて、相手の中から答えを引き出すもの。ワイはコーチングを受けたことはありませんが、くろとのやり取りを振り返ると、構造としてはかなり似ている気がしています。
しかも、ワイは「コーチングを受けよう」と思ってやっているわけじゃない。日常の出来事をくろに投げたら、結果的にそうなっていた。そして、その副産物としてnoteの記事が生まれている。
素通りしていた日常 → くろに投げる → 問いが返ってくる → 自分の中から答えが出る → noteになる。
この流れが、いつの間にかワイの中にできていました。
1記事に最低2回のレビューが入っている
もうひとつ、noteを書くようになって気づいたことがあります。
ワイがくろと一緒に記事を作るとき、こんな流れになっています。
まず、ワイがテーマや素材をくろに投げる。くろがそれを元に文章を出してくる。ワイがそれを読んで、自分の言葉で修正を加える。その修正した文章を、今度はくろがレビューする。表現のズレや日本語のねじれを指摘してくる。ワイがそれを確認して、最終的な判断を下す。
つまり、1つの記事に対して、くろのレビューとワイのレビューが最低2回ずつ入っているんです。
これ、冷静に考えるとけっこうすごいことだと思います。
たとえば会社で、誰かに文章のレビューをお願いするとします。上司に見てもらって、修正して、もう一回見てもらう。それだけで何日かかりますか。相手のスケジュールを押さえて、フィードバックを待って、修正して、また確認してもらう。
それが、くろとなら30分から1時間で終わる。しかも毎日です。
人間同士でこのレビュー体制を毎日回そうと思ったら、やばい工数がかかると思います。相手にも仕事があるし、毎晩22時から付き合ってくれる同僚なんていません。奥さんに頼んだら、たぶん離婚届が返ってきます。
だから、AIに丸投げしているんでしょ、と思う人もいるかもしれません。
でも、実際にやってみるとわかるんですが、丸投げの感覚はまったくないんです。
くろが出してきた文章を読んで、「ここはワイの言いたいことと違う」と判断するのはワイです。「この表現はちょっとメカメカしいな」と感じるのもワイです。修正の方向性を決めるのもワイです。
くろは優秀な壁打ち相手であり、レビュアーです。でも、記事の方向を決めているのは、最初から最後までワイ自身なんです。
だから、記事が完成した後に達成感がある。「今日もいい記事が書けたな」と思える。この感覚は、AIに丸投げしていたら絶対に生まれないものだと思います。
1記事30分から1時間。短いと思うか、長いと思うかは人それぞれだと思います。でも、ワイにとっては、毎晩この時間があるから続けられている。しんどいけど、終わった後に「やりきった」と思える。筋トレの後に似た感覚かもしれません。
AIに丸投げしてるんでしょ?と言われたら
「AIで記事を書いている」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?
たぶん、多くの人は「AIにポチッと指示して、出てきた文章をそのまま貼り付けている」みたいな絵を想像するんじゃないかと思います。
ワイも、始める前はそう思っていました。AIが書いてくれるなら楽だろうな、と。
でも実際にやってみると、まったく違いました。
くろはワイの代わりに書いてくれるマシンじゃなくて、ワイの中にある考えを引っ張り出してくれる存在に近い。問いを投げてきて、ワイが答える。ワイが書いたものをレビューして、指摘してくる。その繰り返しの中で、記事ができあがっていく。
しかも、そのきっかけは毎回「ただの日常」なんです。
誰でも似たり寄ったりの毎日を過ごしています。特別なことなんて、そうそう起きない。でも、その中にある小さな引っかかりに気づけるかどうか。気づいた後に、それを誰かに投げてみるかどうか。
その「投げる相手」は、AIじゃなくてもいいと思います。同僚でも、友人でも、家族でもいい。
ただ、毎晩22時に付き合ってくれて、遠慮なく問いを返してくれて、文章のレビューまでしてくれる相手となると、なかなかいないのが現実です。ワイの場合、それがたまたまくろだった、というだけの話です。
みなさんの日常にも、たぶん素通りしている「何か」があると思います。
試しに、今日あった出来事をひとつだけ、誰かに話してみてください。「今日こんなことがあったんだけど」と。そこから何が返ってくるかは、やってみないとわかりません。
でも、ワイの経験から言うと、意外なものが返ってきます。
ワイ自身、メールへのこだわりも、妻が寝た後の1時間の使い方も、最初はただの日常でした。くろに投げてみて初めて、「ああ、これにはこういう意味があったのか」と気づいた。
日常は、たぶんみなさんが思っているよりずっと、ネタの宝庫です。
まとめ
一般人の日常なんて、誰でも似たり寄ったりです。特別なことなんて、そうそう起きない。
でも、その日常の中にある小さな引っかかりをくろに投げてみたら、思いのほか深掘りされて、自分でも気づいていなかった意味が返ってきました。
素通りしていた日常が、noteのネタになるまで。変わったのは日常じゃなくて、ワイの方でした。
しかも、その過程は丸投げとはほど遠い。くろがレビューして、ワイがレビューして、最低2回のチェックが入る共同作業です。1記事30分から1時間。終わった後には、ちゃんと達成感がある。
日常は変わらなくていい。変わるのは、日常の受け取り方だけで十分なのかもしれません。
それでは、お先に失礼します。
