運慶仏をつくる【第8話】慶派玉眼図鑑
見返り阿弥陀に諭され、原点に帰る
忙しさにまぎれ、放置してしまったかのような欣求玉眼プロジェクト(別名「運慶仏をつくる」)だが、もちろん続いている。うれしいことに、読者さんからまたもやアイデアをいただいた……。
虹彩の輪郭に熱収縮チューブを使ってはどうか、という提案だ。
チューブには黒も赤もあるから、真鍮パイプに被せれば、目指すべき玉眼に近づけるかもしれない。背中を押されたからには、やらないわけにはいかないだろう。
と意気込んだのだが、そのとき、心の中で筆者の先を歩んでいる阿弥陀如来がこちらを振り向き、言った。
「遅し!」じゃなくて、「慌てすぎじゃ!」と。
失敗を繰り返す小仏師モデラーを見かね、慈悲の言葉をかけてくれたのだろう。
そのとおりかもしれない。
ここは、やはり原点に帰るべきなんだろうな。
筆者にとっての玉眼の原点といえば、なんといっても東京国立博物館で2017年に開催された運慶展 *1 だ。玉眼が、絵巻の米俵のごとく、群れをなして飛んでいた。
あのときの鮮烈な印象を思い出しつつ、図録 *2 を頼りに、運慶仏の玉眼を一から見直すことにした。
じつは、この連載と併行して科特隊基地の模型をつくっているのだが、模型の制作方針に悩んで身動きがとれなくなってしまったときに、「ウルトラマン」全話の基地シーンを見直し、基地の変遷を描いてみたところ、それまで悩んでいたことが一気にふっきれたというか、不明点の多くを解消することができた(まぁ、新たな悩みも出てきたけどね)。
それを、運慶仏の玉眼でもやってみようというわけだ。
さっそく運慶展に出展された仏像の玉眼(左眼のみ)をスケッチしてみた。
小見出しの数字は運慶展の作品番号で、ほぼ年代順となっている。番号があちこち飛んでいるのは、天部や明王(如来や弥勒、菩薩以外)で、玉眼仏のみを抜き出したから。
「玉眼図鑑」とはしたものの、図録の写真は正面からとらえたものが少ないし、眼の形や虹彩のサイズや位置はあまり正確じゃない。スケールもはっきりしない。そう、ずいぶんいい加減だ。われながら図鑑と言い張るのはさすがにどうかと思うんだけど、まぁ、笑って許してほしい。
2. 毘沙門天立像 中川寺十輪院伝来(東京国立博物館蔵)応保二年(1162)頃
康慶(慶派の祖、運慶の父)の師である康助の作かもしれないという。運慶仏の源流だ。玉眼を採用した最初期の仏像のひとつ。

9. 毘沙門天立像 運慶作 願成就院 文治二年(1186)
運慶が東国で初めてつくった像のひとつ。写実的で力感に溢れ、いわゆる鎌倉新様式を確立した。なお、対の不動明王立像は未出展。

12. 不動明王立像 運慶作 浄楽寺 文治五年(1189)
13番の毘沙門天立像と対の脇侍で、阿弥陀如来坐像とともに三尊像となっている。

13. 毘沙門天立像 運慶作 浄楽寺 文治五年(1189)
12番の対の不動明王立像との対の脇侍だが、9番の毘沙門天立像(願成就院)とは双子のようによく似ている。図録によるとこちらのほうがやや保守的な造像なんだそうだ。この像と浄楽寺については以前の記事に書いた。

18. 恵光童子立像(八大童子立像) 運慶作 金剛峯寺 建久八年(1197)
8体ワンセットで不動明王に仕える眷属たちの一体。運慶が、慶派一門の棟梁になった時期の作品である。

24. 大威徳明王像 運慶作 光明院(金沢文庫管理)建保四年(1216)
小品ながら、運慶の最晩年の作として貴重だという。この像についても、前述した別記事で触れている。

26. 多聞天立像 東福寺 12〜13世紀
18番の恵光童子と像容がよく似ていることから、運慶作の可能性が指摘されているらしい。

29. 持国天立像(四天王立像) 海住山寺 13世紀
鎌倉時代の四天王像としては、当時の彩色がとてもよく残っている。24番の大威徳明王の作風に近いとされている。

35a. 天燈鬼立像 康弁作 興福寺 建保三年(1215)
運慶の三男・康弁の作。めちゃくちゃユーモラス。

35b. 龍燈鬼立像 興福寺 建保三年(1215)
35a番の天燈鬼立像と対の邪鬼。ただ、表現や技法が異なるようで康弁作ではないらしい。

慶派の玉眼はこれだけではない。十二神将など、割愛したものもある。パターンがいくつか見えてきたし、さすがに飽きてきたしね(たはっ、辛抱が足りん)。
長くなったので、キットの玉眼修復は次回に。
*1 「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」、東京国立博物館、2017年9月26日~11月26日
*2 『興福寺中金堂再建記念特別展 運慶』(展覧会図録)、東京国立博物館、2017年
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