運慶仏をつくる【第1話】 まずは「持国天 古色彩色」の修復を
【運慶展にはまだ行っていないけど】
2025年9月9日から東京国立博物館で特別展『運慶 祈りの空間―興福寺北円堂』が始まった、というか始まってもう2週間ちかくだ。
まだ、行っていない。
もちろん行かねば、と思っている。チケットも手元にある。
お目当ては、弥勒如来坐像や無著・世親菩薩立像ではなく、持国天だ。
この持国天、普段は増長天・広目天・多聞天とともに、北円堂ではなく中金堂に安置されているのだが、無著・世親兄弟を従えた弥勒如来の今回の東下に際し、ご高齢(平安時代生まれ)の北円堂四天王像はお留守番なので、お隣さんのよしみで警護の代役を買ってでた、
ということではなく…
四天王像たちは、建仁年間(1201〜1204年)に、慶派一門が造立して中金堂に安置されていたが、享保二年(1717年)の中金堂焼失後に南円堂に移されたというのが通説で、中金堂の平成三十年(2018年)の再建後にようやく元の場所に戻ってきたことになる。ただ、造立後から北円堂に安置されていたという説も近年は有力で、今回の展覧会は、運慶仏が集結していた往時の北円堂を再現するという意味合いのようだ。
ちなみに持国天は運慶の長男湛慶が、他像は湛慶の弟たちが運慶指導の下で彫ったと考えられるとか。

で、以前つくった海洋堂の「四天王像 持国天」(ノンスケール)は、この中金堂の持国天がモデルになっていると思われる。仔細に比べたところ、後ろから見た裳(裙)の形が異なっていたりするのだが、そう考えて間違いないだろう。
ただ、組立説明書には「興福寺」「運慶」「慶派」といった記載は一切ない。まぁ、筆者なんぞには計り知れない"大人の事情"があるのかも。

キットの制作にあたり、いわゆる「古色彩色」を施して、長い歳月を重ねた風合いをだそうとした。組立説明書にも、そんな塗装指示がしてあったしね。
失敗もした。「天部の運慶仏なら玉眼だろう」という大いなる早とちりをして、眼に輝きを与えるべく頭部にLEDを仕込んでしまったのだ。それなりに迫力は出たかとは思うが、下調べ不足は否めない。彫眼とはね。
その後日談だ。
制作記事を公開した後で、眼の表現に納得できなくなった。どんぐりまなこで、ちょっとかわいすぎる。よせばいいのに塗り直そうとしたところ、眼球全体が真っ赤になってしまったのだ…。

赤く塗ろうとしたのではなく、運慶仏は白目と黒目の間が赤や金の輪で彩られていることが多い(金剛峯寺の八大童子を見よ)。それを再現しようとしただけだ。
志は高かったものの、技量が追いつかなかった、
ただそれだけのことなのだが、修行不足がつらい。
つらいだけではすまないな。慶派一門に属する駆け出しの小仏師だったら、破門されてもしかたがない大失敗だ(玉眼だけに運慶・湛慶に大目玉を食らうとか)。
制作意欲がなんだか削がれてしまい、山田寺の仏頭よろしく長らく放置してしまった次第。上の写真でも、肩や頭にうっすらホコリが積もっているのが見てとれる。
そんなときに、この展覧会だ。
修復しなくては。この機を逸したら(心の中の小さな)慶派一門たちに申し開きができない。
とにかく修復を進めていくことにする。
LEDにかぶせた玉眼がわりの透明プラを赤く塗りつぶしてしまっただけなので、溶剤で塗料を拭き取るか、リューターで軽く削れば透明に戻るだろうと思ったのだが、ちょっと試したところそう簡単にはいかないようだ。
さて、どうしようか(運慶展にも行かないと)。
【第2話】やはり玉眼でいこう につづく
