運慶仏をつくる【第10話】玉眼との戦いは終わらない 前編
随行画家をともない願成就院遠征へ
ここ2か月、イタリア古建築シリーズの第一作であるポポロ広場のジオラマづくりに夢中で、他の模型制作はしばらく中断していた。
ところが急に、海洋堂の「四天王像 持国天」に手を入れたくなってしまったのである。
きっかけは、3月末の伊豆・願成就院への遠征だ。

この遠征、妻を遠征隊長とする「運慶全部見るプロジェクト」の集大成であり、今回の拝観で全国の運慶仏をコンプリートを達成するのだが、イタリア大遠征の直後ということもあって、ひとつ懸念があった。
イタリアと違い、国内の社寺や美術館では、撮影が基本的に禁止されているということだ。
毘沙門天を、画像なしで紹介するのちょっとつらい。
ローマやフィレンツェの教会・美術館で写真をとりまくってきたので、いささか、いや、だいぶ不満だ。
そんなときに、あることがひらめいた。
明治時代の寺社宝物調査では、画家を随行させたという事実だ。
1872(明治5)年の「壬申検査」には高橋由一が、1884(明治17)年からの「近畿宝物調査」には狩野芳崖や橋本雅邦が参加している。いずれも後に日本近代美術史を彩ることになるビッグネームだ。写真家も同行していたのだが、当時の写真術では暗い堂内での撮影は難しいし、彩色を記録する必要もあったため、画家を随行させたのである。
わが遠征隊も、そんな先例にならって、才能豊かな若き随行画家を同行させることにしたのである。
まぁ、堂内では撮影だけでなくスケッチも禁止されていたので、その場では目に焼き付け、宿に帰ってから写真入りの小冊子も参考に描いてもらうという手順にはなったのだが……

この毘沙門天の玉眼に、われらが随行画家も強烈な印象を受けたようで、他の部分にもまして克明に描いている。
小仏師モデラーである筆者の心も、再び大きく動いた。
「模型の玉眼にもうちょっと手を入れようか」
そう考えた刹那、毘沙門天と対になる不動明王の力強いお導きがあったのだろうか、あるアイデアが火焔光背のように燃え上がった。
そうだ。デカールを使ってみよう。
前回、玉眼をつくったときには、0.05mm厚のプラペーパーをポンチで3重の同心円状に打ち抜き、黒・赤・黒にそれぞれ塗って重ね合わせた。
ただ、0.05mmとはいえ3枚重ねだし、切り抜いた跡が白く残らないように色を塗ったため、さらに厚みが増してしまった。結局、思ったほどにはきれいに仕上げることができず、その点に不満が残った。
そこでデカールだ。
デカールなら0.01〜0.02mmとプラペーパーよりだいぶ薄いし、塗装も不要だ。
やってみる価値は十分にあるだろう。
ということで、遠征から帰ってきて、玉眼づくりのためのデカール集めに奔走した。

それから持国天の玉眼の黒目(前回プラペーパーでつくったもの)も、事前にはがしておいた。このあたりの作業は、いままで何度も繰り返してきたので手慣れたものだ。
さぁ、準備万端だ。

次回は、いよいよ玉眼との最終決戦となる。というか、なんとしても最終決戦にもちこみたい。今度こそ、欣求玉眼だ。
【第11話】玉眼との戦いは終わらない後編 につづく
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