運慶仏をつくる【第9話】玉眼成就
「わたしの戦いはいつ終わるのだ……?」 *1
再び、持国天の眼窩が抜けてしまった。
この孔は、ひょっとして「アスタータ50 」*2 に通じているのだろうか?

前々回、「五十六億七千万年かかろうともつくってみせる」と言いはったものの、小仏師モデラーの筆者としては虚無感に襲われざるをえない。
「この道を何度通ればいいのだろう……」
阿修羅のような諦めの微笑みが浮かんでくる(これは、やはり興福寺の阿修羅像よりも、萩尾望都の阿修羅王のイメージかな)。
とはいえ、欣求玉眼は終わらない。
いや。終わらせるわけにはいかない。
前回、「慶派玉眼図鑑」を描いて、ひとつわかったことがある。
玉眼にはいくつかのパターンがあり(これも儀軌なんだろうか)、興福寺中金堂の持国天像を玉眼化するなら、やはり海住山寺の持国天像を参考にすべきということ。
実際、両像とも眼のかたちはとてもよく似ている。
そもそも海住山寺の四天王像は、建久七年(1196)に慶派が一門をあげて制作した東大寺大仏殿の四天王像(1567年に焼失)を縮小版だというから、慶派四天王像の本流とも言うこともできるだろう。これ以上のモデルは考えられない。
それと、もうひとつ理由がある。
古色彩色の持国天像に続いて、復元彩色の持国天像もつくる予定(というか、つくりかけ)で、そっちはオリジナル同様の彫眼にするのだが、海住山寺の四天王像は彩色が非常によく残っているので、塗装の参考にするつもりだ。
つまり、同じ像をモデルにすることで、古色彩色と復元彩色のバランスがうまくとれるだろう、と考えたわけだ。
で、アスタータ50に吸い込まれてしまった玉眼だが、つくりなおすにあたって新しいアイデアがある。
タミヤの0.05mmのプラペーパーをポンチで打ち抜いて、玉眼を表現するというものだ。
前回うまくいかなかったのは、自分の技量をかえりみずに難度の高い工作をしようとしたからだと反省し、よりシンプルな方法をとることにしたわけだ。

入手したポンチは0.5〜4mmまでの10サイズ・セットで、1.5mmと1.2mm、1.0mm(もしくは1.2mmと1.0mm、0.8mm)のポンチでプラペーパーを打ち抜き、直径2mmの透明プラ棒の先端に貼りつければ、そこそこきれいな玉眼がつくれるはずだと考えた。
さっそく、つくってみた。


結果は、予想以上だった。
いままでの苦労がなんだったのかと思うほど、目指していた玉眼にあっけなく迫ることができた。
ようやく玉眼成就だ。

心の中の大仏師には「まだまだじゃ」と言われているし(そもそも実物の表情に似てないし)、ひょっとしたら戦いがまだまだ続くことを予感しながらも、とりあえず今回はこれでよしとしよう。

さぁ、次回からは復元彩色の持国天だ。
*1 光瀬龍 作、萩尾望都 著『百億の夜と千億の昼 ②』1978、少年チャンピオン・コミックス、243p
*2 同書 140p
*3 同書 31p
【第10話】玉眼との戦いは終わらない につづく
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