【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<1ー1>
【あらすじ】
「モデルの履歴書に、軍手は含まれますか?」
紺野あおい、30歳。職業、モデル。
華やかなカメラの前が「表」の戦場なら、彼女のもうひとつの戦場は大阪・天宝寺駅ビル「ラピスアーク」のバックヤード。
山積みの段ボール、飛び交う品番、常に綺麗な軍手。
「なぜモデルが裏方を?」
周囲の声を、段ボールを開ける乾いた音で黙らせる。
だがある日、一世一代のオーディションが、彼女の日常を揺り動かす。
バックヤードで培った「一着の服」への深い敬意。
それを宿した彼女の瞳が、レンズの前で見たこともない輝きを放ち始める。
光を浴びる覚悟と、裏方を守り抜く誇り。
自分らしくありたいと願うすべての人に寄り添う、等身大のお仕事小説。
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NO.1:洋服の国の段ボール姫 #01
「なんじゃ、この大量のパッキンは!!」
つい叫んだ声が、狭い従業員通路の壁に跳ね返る。
返事なんてあるわけない。ここは裏方。お客さんの声も、売り場のきらめきも、届かない場所。
でも私は、ここが好きだ。
目の前に並べられた、特大の「パッキン」と呼ばれる段ボールたち。一七〇センチある私の視界を、二個積めば完全にシャットアウトするサイズ感。私はネイビーのエプロンを小さく整え、ガタガタと安定しない台車を、一般のお客様が入ることのできない倉庫エリアまで押して歩く。
扉を開くと、空調が効いているわけでもないのに少し肌寒かった。薄暗い空間。金属の棚に引っ掛けてある、灰色に変色してしまった区画番号表『A7』のプラスチックプレート。床に黒のビニールテープで四角に区切られた、この区画が「ラピスアーク」の倉庫。
店舗にもストックを置いているバックヤードがある。このふたつが私の主戦場だ。
まずはパッキンにピッチリ付いているビニールテープを力づくで開け――カッターは品物を傷つけるので滅多に使わない――バリバリメリメリ! という乾いた段ボール特有の音を響かせる。開封して中に入っている商品と伝票を照らし合わせる。湿度の高いシーズンは、そううまく開くことなく、ふにゃりとした段ボールを相手にしなければならない。こいつが曲者で、最終手段として角にハサミで切りこみを入れ、手で一気に引きちぎる。もちろん、商品には細心の注意を払って、だ。
おかげで私は、手だけを映すハンドモデルには向いていない。
「ウップス!」
こんな感じで手を切ることだってある。参ったな、とエプロンの前ポケットに入れていた絆創膏を傷口にくるりと一周させ、更に綺麗な軍手もはめる。商品に血が付いたら困るからだ。
処置をしながら、私はふと思い出す。今日は本社からエリアマネージャーがアルバイトの面接官として来ると聞いて、「あの時のあの人の顔、傑作だったな」と、笑いが漏れた。
このブランドの門を叩いた時のこと。履歴書と私の顔を交互に見て、エリアマネージャーは三回も聞き直した。
「……紺野あおいさん。ええと、本当に……モデルさん、なのに販売ではなく、バックヤードですか?」
無理もない。一七〇センチの長身なのはともかく、動きやすさ重視の格好。華やかなオーラを完全に消し去った私の姿は、どう見ても「力仕事大歓迎の裏方志望」にしか見えなかったはずだ。「はい、バックヤードが希望です」とまっすぐエリアマネージャーを見つめたことも鮮明に覚えている。
モデルの仕事は、今は閑古鳥。オーディションに落ち続けて、自分の価値を否定されそうになる毎日だ。
だからこそ、私はこの場所を戦場に選んだ。
ここでは、長身は「高い棚の商品に手が届く才能」になり、撮影のときに求められる集中力は「在庫を把握する魔術」になる。カメラの前で誰にも必要とされない日があっても、このバックヤードは、確実に私を必要としてくれるから。
週三日、繁忙期は週四、五日アルバイトをして、一年と二ヶ月。
今では段ボールを開ける手つきの方が、板についている気がする。
髪の毛は一つの三つ編みにしたあと、シニヨンに。今季人気のハートフェルトピンクの綿カットソー、売れ筋の黒いテーパードパンツ。そしてネイビーのエプロン。ネイルは肌馴染みのいいベージュトーン。今朝履いてきたスニーカーは、ずっと狙っていた今季物を社販でゲットしたもの。誰が見ていようが見ていなかろうが関係ない。私が着ていて「好き」と思える格好をするのが私なりのユニフォームだ。
従業員通路から売り場という「表」へ出ると、まずは一度丁寧にお辞儀。お客様の視線がなくても、礼儀正しく。開店直後のファッションビルには、朝の十五分だけかかるBGMが静かに満ちていた。フロアの一角にある私たちのブランド『ラピスアーク』には、まだ人影はない。他のブランドも落ち着いているようだ。
台車を押して倉庫まで運ぶ。誰かが私の存在に気づくことは、ほぼない。気づかれても『あれ? 似た人がいるなあ』くらいだろう。テレビの仕事のときは、かなりしっかりメイクしてるから。
「あのモデルさんに似てますよね」って言われても、笑ってごまかすのが日課でもある。
早く欲しいと言われている商品は、発注データ表に蛍光ペンでチェックをつけているので、該当するものが届いていれば優先的に店頭に出すための「持っていく用」、と乱暴に油性マジックで書いた段ボールへ入れる。
ラピスアークでは商品をビニールから出す作業は行わない。ビニールから出すブランドも存在しているけれど、埃や汚れよけのために出さない、というブランドルールがある。
このビニールがしばしば悲劇を起こす。
きっと今頃――。
「あおいさん! 雪崩起きたー!」
「やっぱりか」
倉庫に飛び込んできたのは、社員の木村桃瀬、通称モモちゃん。
「あれ、なんで? 予測してたん?」
「シャツエリアやろ。隙間できてたし」
モモちゃんは二十八歳と年齢が近いので、自然と仲良くなった。本当はキャリアが私よりも長い社員さんだから敬語を使うべきだけれど、誰も見ていない場所ではこんなもんだ。
「だいじょーぶ。追加でシャツ類も入ってきてるから。すぐ持っていくし整理するよー」
「助かるー、ありがとう!」
そう言うと、モモちゃんは倉庫の棚に整頓されていたキャミソールを一枚サッと取って、走って戻っていった。
「なるほど、そのカラーが足りないのか」
先ほどの「持っていく用段ボール」に、モモちゃんが持って行ったキャミソールも二枚追加する。
「よしよし、今日は伝票通りあるな」
伝票と商品のカウントを無事済ませて、服のチェックは終了。まだ開けていない普通サイズの段ボールは見なかったことにする。いや、あとでちゃんと確認はするのだけれど。
今日日、最終チェックが目視で、伝票で、アナログ商品確認! というのがブランドの裏ポリシーらしい。どんなポリシーやねんと思いながら、台車に段ボールを乗せた。
◇
「うわー……なんやこれ」
どうしてこうなった、というくらい、店舗のバックヤードが荒れていた。なぜ私がランチタイムを休憩室で一時間過ごしただけで、こんなにもグチャグチャに洋服が散乱するのだ。ビニールで包まれた服たちが床にまで落ちている。
原因は、なんとなく分かっている。分かるけれど、私は所詮裏方バイトの身なので、然るべき人に叱ってもらおう、と寒いギャグを頭の中で浮かべた。
とにもかくにも、このままでは仕事にならないので「……しゃあないな」と、私はしゃがみ込んで服を拾い始める。服が三方に収納されている白い棚。そこに滑りやすいビニールの服たちをテキパキ拾い上げ、収めていく。既にビニールから出されているアイテムは綺麗に畳み直し、ラベルの向きを揃えて、私が手書きで張り付けてある品番カードの棚へ入れる。
主なら、まず黙って片づける。それが、裏方の流儀。テレビなら、ここでスガシカオの声が聞こえてくるはずだ。
「はあ、片付けな……ってあおいさん!」
「おや、自首かねリリちゃん」
パタンとバックヤードのドアを静かに閉めたのは、学生アルバイトの久遠梨々香。プライドの高さから「リリカ様」と冗談で呼ばれているが、私は親しみを込めて「リリちゃん」と呼んでいる。
「これは妖精の仕業やなーとか思っててんけど」
「なんですか、それ」
私が茶化しながら言うと、リリちゃんは少しふくれっ面になる。
「忙しかったんですよ、あおいさんと桃瀬さんは休憩行ってたし、五十嵐さんはテナントビルの店長会議行ってるし、フロアに仁科さんとあたしと派遣さんだけで」
「いいからいいから、はよ片付けよ。服がかわいそうやん?」
「……はい」
リリちゃんは即座にしゃがみ込み、私と同じように服の整理をしていく。
普段リリちゃんはとても賑やかで、店長の五十嵐さんに「リリ、あんた口から先に生まれてきたやろ」とか言われているけれど、仕事に対して決して不真面目ではなく、まだ慣れていないだけだと思っている。だって。
「リリちゃん、畳みはそこまで早くはないけど、畳みの仕上がりは綺麗やもんな。仕事、丁寧にやってるの良くわかる」
「あおいさん……」
半べそをかいているような表情をするので、私は「ハイ泣いたらメイク落ちるでー、仮にもリリカ様たるものが!」と叱咤激励する。
リリちゃんはハッとした表情になり、下唇を噛みながら懸命に商品の救助をしていた。
「リリちゃん、ここは私がやっとくから、フロア出とき。仁科さんと派遣さん二人やったら大変やろ?」
「でも……」
「私に任せて欲しいな、私はバックヤード担当なんやし」
「……わかりました。今度あおいさんにお礼させてください!」
そう言うとリリちゃんは、バックヤードから勢いよく出ていった。
販売員は商品を売るための人。バックヤード担当は、その商品を管理するための人。役割が決まっているからこそ、店舗や服たちが輝きを放つのだ。
しばらくして、副店長の仁科さんがバックヤードへ在庫確認をしにやってきた。
「あおい、リリに何か言ったの?」
「え? 特には」
「すごく真面目になってて、こっちが調子狂うわ」
「あはは、リリちゃんは素直なところが可愛いですよね」
「あおいも可愛いからね」
「は?」
呆然とする私を置いて、仁科さんは棚から薄手の綿ニットをひょいと抜き取った。
「二度同じことは言いませーん。これ、Mサイズ貰っていくね」
ビニールから商品を引き抜く鮮やかな手つきだけを残して、仁科さんはひらひらと手を振りながらバックヤードを出ていった。
聞き間違いだろうか。いや、確実に言っていた。
モデルの現場で聞き飽きたはずの言葉が、埃っぽいバックヤードで聞くと、妙に耳の奥にこびりついて離れない。
「……早く片付けんとな」
私は、私の仕事を遂行するのみ。
商品の不備には一秒で気づくべきだけれど、自分への言葉の真意は、ゆるっと流しておくのがここの流儀だ。
折り畳んだパッキンを隅に置いて、ひたすら品番とにらめっこしながら、棚へ服をしまっていく。
世間が思う「お姫様」からは一番遠い場所にいるのは百も承知だ。
でも、この埃っぽい城を完璧に統治して、服たちを最高の状態で送り出す私は、ある意味でこの国の「姫」だと言えなくもない――なんて、半分は自嘲、もう半分は自分を奮い立たせるための強気な冗談だ。
――今日も段ボールと服たちに囲まれて、姫は勇ましく戦うのであります。
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