【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<2-2>
NO.2:ラピスブルーは眠らない #02
モモちゃんと途中の駅で別れて、私は家路を急ぐ。
奈良の雑誌の専属モデルの任期満了後すぐのこと、私は大阪に引っ越した。とは言っても、大阪の中心地は賑やかすぎるからと、夜の雰囲気が地元に似ている場所を選んだ。
駅から歩いて五分以内に着く、1DKのお城。
カバンを二人掛けのソファに投げて、まずは手洗いうがいを済ませる。夕飯のあとにお風呂に入りたいので汚れた格好のまま、キッチンへ向かった。
ダイニングにはコンパクトなテーブルに椅子が二脚。一脚は私の指定席。もう一脚には、家の中で羽織る薄手のカーディガンを背もたれにかけたまま。
簡単なものでいい。冷蔵庫からレタスと豚ロース肉、うどん玉を取り出す。
レタスは洗って、手でちぎり、ボウルへポイ。豚肉を茹でる数分間だけ、火を使う。茹で上がった肉を氷水へ放り込み、水洗いするだけで完成のうどんをザルにあけて流水でほぐしたあと、水切りしてボウルへ。指先に伝わる冷たさが、バックヤードで火照った身体を芯から鎮めていく。
豚肉がいい感じに冷たくなったら、それをザルで水切りしボウルにまとめ、カロリー二分の一の胡麻ドレッシングを回しかければ出来上がり。
「いただきます」
シャキシャキのレタスと、疲労回復に効くビタミンBの宝庫・豚ロース。茹で汁に栄養が溶け出しているのは承知の上だ。今の私には、この冷たさと手軽さが何よりの栄養なのだから。
テレビをつけて、モシャモシャと食べ進める。お水もがぶがぶと飲む。一人暮らしを始めた頃の淋しさは、いつの間にか「まあ、ひとりやしな」という気楽さに形を変えていた。
今日は色んなことがあった。でも、部屋に戻ればいつもの日常。
ふと、それぞれの道を歩む友人たちの顔が浮かぶ。出世街道をゆく友や、母になった友。商社で奮闘する後輩。みんな、私とは違う「戦場」で戦っている。
「みんなと遊びたいなあ」
ポツリと漏らした独り言は、テレビから流れる笑い声にあっけなくかき消された。
本当はすべてを投げ出して眠ってしまいたいけれど、さすがに現役モデルが風呂キャンするのはまずいやろ、と自分を奮い立たせて脱衣所に行き、服を脱ぐ。明日のオフを泥のように眠って過ごすため、今のうちに洗濯機を回してしまおう。脱いだ服も、今日一日のモヤモヤも全部放り込んで、スタートボタンを押した。
ガタゴトと規則正しく回り始めた機械音が、さっきまでのしんとした空気を少しだけ追い払ってくれる気がする。
お風呂は入るまでが大変で、入ったあとも大変だ。まがりなりにもモデルという職業柄、美容に気をつけないといけない。肌のお手入れもあるし、髪の毛も長いのできっちり乾かしたい。
導入液にパック、その後の保湿。明日の肌のコンディションは、今の私の頑張りにかかっている。たまに撮影依頼が入る身としては、いつカメラの前に立ってもいいようにしておかないといけない。
最近のお気に入りは、もぎたてのグレープフルーツの香りがするボディミルク。バックヤードで、一日中段ボールのにおいと格闘した鼻が、ようやく自分を取り戻していく。この少し苦味のある爽やかさが、今の私の、精一杯の贅沢。
「誰に見せるわけでもないねんけどな」
鏡の中の自分にそう毒づきながら、美髪効果があり、更に本体が軽いと評判のドライヤーをかける。
髪を乾かし終え、洗濯機が止まったのを合図に、湿った衣類をハンガーにかけ浴室乾燥へ。
「よし、終わり」
部屋の明かりを落とし、スマホの通知をオフにする。肌からは、グレープフルーツの香りがほんのりと立ちのぼり、鼻腔をくすぐった。
明日は完全なオフ。目覚ましもかけない。SNSも見ない。
誰のためでもない、自分のためだけの時間。
そう自分に言い聞かせると、重たくなったまぶたが自然に閉じる。
遠くで聞こえる大阪の街の音たちが、今日だけは子守唄のように優しく響いていた。
◇
「なんじゃ、この重さ……特大パッキンより重いかもしれん……いや気のせいや……」
オフ明けの早番シフト、「ワレモノ注意」「天地無用」シールがぺたりと貼られたパッキンを持ち上げる。
――思った以上に重い。油断したらコイツに腰を持っていかれてしまいそうで、ほんの少しだけ震えた。そんな「Arcana」とプリントされた段ボールが五つ、角を揃えて私を待っていた。
「あおいさん、大丈夫?」
従業員通路にモモちゃんが現れる。
「結構重いから、腰抜けるかも」
「そんなに……私も持っていい?」
「ええよ、重たいし大丈夫やで」
「ううん、自分が発注したもんやしな……って、おっも! マジか!!」
モモちゃんが持ち上げたパッキンの重さに振り回されそうになるのを「おっと」と支える。
「コスメに関しては私も初めてやから、中がどうなってるのか想像つかへん。とりあえず、倉庫持ってって、開封するわ」
「うん、ありがとう」
台車へとコスメの入ったパッキンを慎重に乗せて、急いで倉庫へ向かい、開封する。
最初だからだろう。五つのパッキンのうち、三つはPOPや棚などの販促ツールだった。それより一回りほど小さいパッキン二つに、ぎっしりコスメが入っている。
「今日の入荷が……アルカナプランプリップ#011って……『ルビーウィンク』八十本? なんでまた」
伝票を確認して、思わずツッコミを入れる。八十本って結構勝負に出たなあ、モモちゃん、と独り言が止まらない。
一本一本はスリムな箱に入っている。開封しなくてもいいように箱には商品を確認できる窓がついていて、リップ自体はやはり箱と同じく細めだった。ラピスアークのコンセプト「日常を、劇的に。」を忠実に再現したと資料に書いてあった、そのパッケージ。ブランドカラーの青があしらわれていて品があるので、もしかするとターゲットは十代の女の子より、普段のラピスアークの顧客なのだろうか。
他の色も三十本ずつあったが、ルビーウィンクだけは飛びぬけて発注している。何か思うところがあるのか、モモちゃんは。
「チークが例の『モモモモモ』……名前確定なんや。考えた人、相当疲れてたんやろか」
ブツブツ言いながらグロウチーク『モモモモモ』を取り出す。お風呂上がりのような自然な血色感がウリの『モモモモモ』が、コラボ成功のカギを握っている、らしい。
無駄に分厚いケースに立方体の外箱が憎たらしいけれど、と段ボールに同梱されていた什器を軽くセッティングして箱を積み上げる。什器で縦に並べると三個が限界、四個目は無理だった。
ディスプレイの効率化は仁科さんたちに任せるとして、バックヤードでの収納方法を考えないといけない。ギチギチに詰めると外箱が傷む。どうにかして外箱を傷つけず、無理のない収納ができるかどうかがカギだ。
「倉庫とバックヤードの行き来がしやすい収納方法を考えないとな……あっ」
カゴ作戦、いけるんじゃないか?
カゴに最初からチークを詰め込んでおいて、それをバックヤードの空き棚に収納。バックヤードのカゴが空になれば、倉庫にある新しい「詰め込まれたチークのカゴ」を持って行って、空かごと交換する。最初から個数もカウントされているから、在庫管理にも一役買ってくれそうだ。
「モモちゃんに報告してから、決めよう」
品番早見表もカゴにつけられるよ! という言葉も添えて。
そうとなれば、まずは見本品を作らねば、と私はありとあらゆるものを使ってカゴをカスタマイズ。
フロアに出ると、モモちゃんは案の定コスメに翻弄されていた。
VMD担当の仁科さんと売り場の配置や、POPの向きなど、色々と考えているようだった。
モモちゃんが落ち着くのを待って、声をかける。
「今よろしいでしょうか、リーダー」
「その呼び方やめてください」
冷たい声で返されたので「冗談冗談」とすぐ訂正する。
場所を倉庫に移動して、私が用意したものを見せる。
「モモちゃん、これ。名付けて『コスメ・カセット方式』!」
「カセット? なにそれ、あおいさん。また古風なこと言うて」
モモちゃんが、重いパッキンを床に下ろしながら、不思議そうに首を傾げる。
私は開店早々、別フロアの百均で多めに買っておいた――もちろん五十嵐さんに許可は取って経費で落とせた――半透明のプラスチックのそれを台車の上に置く。
「ほら、昔のゲーム機に差し込むカセットみたいに、空になったらこれを倉庫から持ってきて、バックヤードの棚にセットするだけ。名付けて『コスメ・カセット方式』! 多分やけど、リップとかチークの箱を棚へ直置きに並べてたら、奥のものを取ろうとして手前のを倒したり、品番を探すのが大変になるやろ? でもこれなら、カゴを引き出しみたいに手前に引くだけで奥まで全部見渡せる。しかも空になったら、接客中にモモちゃんたちが薄暗い倉庫の中で、『えーっと、チークの在庫は……』ってガサゴソ探さんでも、このカゴごと新しいのと交換するだけで補充が終わるんよ」
試しに作ったカゴの中には、あの分厚い『モモモモモ』が五個ずつ、ピシッと揃えて並べている。カゴの取っ手部分には、私がテプラで打った品番と、「モモ5」という大きく書いた数字。
「……あおいさん、神。神すぎる」
モモちゃんが、拝むような仕草をした。
「これなら、パッと見て『あと何個』ってわかる。補充もカゴごと交換するだけやし……。私、あおいさんのこういう『現場の執念』みたいなところ、マジで尊敬するわ」
「執念って言わんといて。私はただ、これ以上バックヤードをカオスにしたくないだけ」
私が照れ隠しにパッキンのゴミをまとめようとすると、モモちゃんがチークの箱の窓を指先でなぞった。
「これ、あおいさんが作った品番早見表もカゴに貼ってあるけど、『モモモモモ:桃色お風呂上がりチーク』って、あおいさんのイメージまで書かんでも……『モモモモモ』って名前、やっぱり笑ってる?」
「笑ってへんよ。必死で考えたんやろ、本社の人ら」
嘘だ。腹の中では大爆笑しているけれど、リーダーを任されたモモちゃんの前では、プロの裏方としてキリッとした顔を保つ。
「本社の人がつけた名前に最初は笑ったけど……でも、あおいさん。このチーク、テスターで試したけど、誰がつけても本当に一瞬で表情が明るくなるんよ。だから絶対に売りたい、届けたい」
モモちゃんの真剣な横顔に、私も「せやな、届けような」と頷いた。
「このカゴが全部空になるくらい、忙しくなったらええな」
「……うん。絶対、全部空にしてみせるわ!」
モモちゃんが、拳をグッと握る。
その隣で、デニムを取りに来て私たちの様子を窺っていたミオちゃんが「あの……私も、これなら間違えずに補充できそうです!」と、少しだけ明るそうな声を出した。
よしよし、と私は心の中でガッツポーズ。
品番という数字の暴力も、重い段ボールという物理的な攻撃も、仕組み一つで「戦う武器」に変えられる。
さあ、アルカナ。
神秘も魔法も、バックヤードのこの「カセット」が支えてやるから。どこからでもかかってきなさい。
――この日、一斉発売された美容雑誌たちにアルカナの特集が組まれて、SNSではインフルエンサーが紹介している動画が大バズり。その中でも八十本入荷していたルビーウィンクとモモモモモがものすごく熱く紹介されていた。モモちゃんは、こうなることを予測していたのだろうか。
注目度はとんでもないものになっていて、スマホを震わせるSNSの通知に、私は少し背筋がヒヤリとするのを感じた。
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