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【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<2-3>


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NO.2:ラピスブルーは眠らない #03

 いよいよ店頭での発売日。
 開店前の静かなフロアには、昨日までとは違う、どこか異質な熱気が漂っていた。メインのラックには初夏の新作ワンピースが並び、その中心に鎮座するのが、今回の目玉である『アルカナ』の特設什器だ。
 モモちゃんはゆうべも遅くまで店舗に残り、仁科さんとディスプレイについての最適解を見つけようとしていた。ミリ単位で調整されたテスターの角度、照明の当たり方。彼女が注いだ時間は、そのまま什器の輝きとなって表れている。

「わおー! 高級感ありますね! プチプラなのに!」

 リリちゃんがそう言ってウットリしながらテスターに触れる。

「リリちゃん、触れすぎ注意!」

 モモちゃんが少しやつれた目元でリリちゃんを睨んだ。

「えー、今人がいないから触ったのにー、ケチやなあ……」

 リリちゃんは、綺麗に手入れされた指先で、まるで自分の持ち物を愛でるような気軽さでテスターを撫でる。その無邪気な言葉が、不眠不休で準備してきたモモちゃんの神経を逆撫でするのが、横にいる私には痛いほど伝わってきた。
 モモちゃんは、いつも以上に重たそうな足取りで、フロアの奥にいる仁科さんのもとへ向かっていった。私は、唇を尖らせたリリちゃんの背中を促すようにして、バックヤードへと連れていく。

「もう、木村さん最近怖すぎません? リーダーになったからって、ちょっと気負いすぎっていうかー」

 バックヤードに入った途端、リリちゃんが我慢できないといった様子で愚痴をこぼした。ここは売り場と違って、自分を飾らなくていい場所だと思っているのだろう。

「リリちゃん、モモちゃんも必死なんよ。期待されてる分、失敗できへんから」

 私はなだめるように言いながら、さっき完成させたばかりの『コスメ・カセット方式』の予備カゴを指し示した。

「これ、売り場のが少なくなったら、倉庫の棚のやつとゴトッと入れ替えるだけにしてあるから。SNSの反応もすごいみたいやし、多分すぐ空になると思う。落としたら大変やから、両手でしっかり持って運んでな」
「わかってますってー。あたし、これでも結構力あるんですから」

 重いものではない。寧ろチーク五つなんて軽いものだ。その考えがリリちゃんの油断を助長させたのかもしれない。「はいはい」と生返事をして、カゴの取っ手をひょいと片手で掴み上げた。
 モデルの仕事で培った私の「嫌な予感」が、背筋をスッと通り過ぎる。撮影現場でも、機材を片手で扱う新人は決まってトラブルを起こすものだ。

「リリちゃん、片手は危ないって――」

 私の制止の声よりも、彼女の足元がもたついたのが先だった。
 あ、と思った時にはもう遅い。

 ドサッ、ゴトゴトッ!
 鈍い衝撃音と、紙箱の中でプラスチックが悲鳴を上げるようなカチャカチャという乾いた音が、バックヤードの冷たい床に響き渡った。

「あ……」

 短い声の後、足元には無残に散らばったチークの箱。カセット方式で完璧に整列していた『モモモモモ』たちが、カゴごと床に投げ出されていた。

「今の何の音!?」

 モモちゃんがバックヤードに慌てて入ってくる。

「あーあ、落ちちゃいましたね。……まあ割れてたら、あたしが全部買い取りますんで。これ、一個いくらでしたっけ?」
 
 リリちゃんは、反省の色など微塵もない、いつものヘラヘラした調子でスマホを取り出した。
 その瞬間、バックヤードの空気が凍りついた。

「……買い取る?」

 低く、震える声を出したのはモモちゃんだった。

「そうですよ。お金払えば文句ないでしょ? 雑に置いたあおいさんのカゴも悪……」
「ええ加減にせえよ!!」

 怒鳴り声というより、それは悲鳴に近かった。モモちゃんが、野生動物のような形相でリリちゃんの胸ぐらに掴みかからんばかりに詰め寄る。

「モモちゃん、落ち着いて……」

 私はモモちゃんをなだめるように声をかけるも、モモちゃんの身体は怒りで小刻みに震え、徹夜明けの赤い瞳が、リリちゃんを射抜くように見据えていた。

「リリちゃん、あんた、今なんつった!? お金払えば済む? 冗談言うな! この一個がここに並ぶまでに、どれだけの人が頭下げて、どれだけの人がパッキン運んで、あおいさんがどれだけ寝る間も惜しんで効率考えてくれたと思ってんの! あんたが落としたんは、ただのプラスチックの塊やない。うちらの、この店の『プライド』や!!」

 モモちゃんの叫びが、狭いバックヤードに反響する。リーダーという重圧と戦いながら、必死でアルカナを守ろうとしてきた彼女の感情が、決壊した。
 リリちゃんは見たこともないモモちゃんの剣幕に、完全に硬直している。

「……モモちゃん」

 私は、二人の間に割って入り、モモちゃんの肩を軽く叩いて制した。そして、そのままリリちゃんとモモちゃんの頭に、スッと手刀を落とした。

「あだっ……あおいさん、何するんですか」
「あいたっ」
「モモちゃん、そんな大きな声出すな」
 
 私は努めて冷静に、色のない声で告げた。リリちゃんは「なんだ、味方してくれるのか」という安堵の表情を一瞬見せたが、私の次の言葉で、その顔が引きつった。

「モモちゃんがなんで泣きそうになりながら怒ってるのか、その意味が分からんのやったら……リリちゃん。あんた、ここにいる資格ないよ」
「え……」
「裏方の仕事は、ただ『物を動かす』ことじゃないんよ。誰かの想いを、傷つけずに次に繋ぐこと。あんたが言った『お金』で精算できるのは、ただの商品の値段だけや。 その中に詰まってる私たちの『時間』まで、あんたのお金で買い取れると思わんといて」

 私の言葉に、リリちゃんが後ずさりする。

「……意味わからへん。そんなに必死になって、アホみたい」

 リリちゃんは絞り出すようにそう吐き捨てると、まだ作業が残っているバックヤードから逃げ出すように飛び出していった。
 バタン、と扉が閉まる。
 残されたのは、静まり返った空気と、床に転がったままの『モモモモモ』。
 
「……あおいさん、すみません。私、リーダーなのに、あんな……」
「かまへんよ。モモちゃんが怒ってくれて、嬉しかった」

 私は床に膝をつき、軍手越しに、ひとつひとつチークを拾い上げ始めた。
 箱に傷がないか、中身が割れていないか。
 モデルの仕事も同じだ。誰かが何年もかけて開発したコスメを、誰かが寝ずに考えたライティングで、私が一番綺麗に見える角度で表現する。そのバトンの最後を受け取るのが、私たち現場の人間なのに。
「一個いくら」で片付けられるような、そんな薄っぺらな仕事をしてるつもりは、私にもない。
 
 ――大丈夫。この子たちは、まだ死んでへん。
 私は、少し震える手で『モモ5』と書かれたカゴに、再びチークを並べ直した。


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