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成瀬由紀雄の「参考図書あれこれ」:『日本語はいかにつくられたか?』『日本語は進化する』(5)

(↑のつづきです)

驚くべきは、こうした学問を生業とする儒学者たちは、漢籍(中国語)の発音がまったくできなかったという事実です。

つまり、彼らには「論語」の文章を実際の中国語で発音する能力は、ひとかけらもありませんでした。

そもそも発音など、彼らにとっては興味の対象外だったのです。

彼らはテキストを「目で」読み、訓読という名の訳文を暗唱し、そして優れた漢文をつくっていきました。

「そんなこと、本当にできるのか!」と思うのも、ごもっとも。しかし本当なのです。

卓越したリーディング・ライティング能力を持ついっぽうでリスニング・スピーキング能力についてはまったくゼロの翻訳者、それが江戸時代の儒学者、ひいては近世日本の知識人のすがたでした。

現在多くの言語教育学者たちは「4技能のバランスのとれた発達」を教育目標として掲げます。

TOEICのような語学力測定テストでは、リスニング・リーディング能力とスピーキング・ライティング能力とのあいだに強い相関があり、従ってリスニング・リーディング能力を測定することでスピーキング・ライティング能力も測定できるという前提に立っています。

江戸の儒学者たちのすがたは、こうした現代言語学的な発想を根底から覆すものといえるでしょう。

興味深いことに、江戸後期になると、こうした訓読(リーディング&トランスレーション)至上主義に対して、荻生徂徠のように原文(オリジナルテキスト)至上主義を主張する儒学者も出てきます。

「訓読(翻訳)で読んでいるかぎり、本当のテキスト理解には決して到達しない。テキストは、あくまで原文で読むものだ」というのが、京都在住の徂徠たちの主張でした。

いわば翻訳否定論です。

徂徠たちはこれを実践するべく、長崎から中国人をわざわざ京都にまで招いて当時の現代中国語の発音を学びました。

日本におけるオーラルアプローチによるダイレクトメソッドの誕生です。

当時としてはきわめて過激なこの主張は、一定の賛同は得たようですが、湯島聖堂を頂点とする訓読主義の玉座を脅かすまでには至らなかったようです。

(つづきは↓)

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