成瀬由紀雄の「参考図書あれこれ」(4)『漢字と日本人』(高島俊男、文春新書)
(2004年作成)
この頃、とくに感じることなのですが、現代の日本人は、いやそもそも、いつの時代の日本人も、漢字というものを根本的に誤解しているのではないでしょうか。いや、高島氏ふうにいえば、おそらく「ナメている」のでしょう。
たとえば、わたしなどもそうですが、漢字がもともと中国の文字であることはわかっていましたが、それでも漢字はなんとなく、日本の文字でもあるような気がしていました。しかし、中国文学者である高島は、この『漢字と日本人』のなかで、それが単なる思い込みであることを我々に思い知らせてくれます。つまり、漢字は中国の文字であり語であって日本のものではなく、日本語にとって英語とまったく同じように、外国語であるのだということを。
高島は本書のなかでこういいます。
「日本人が千数百年前に中国から漢字をもらったことをもって、恩恵を受けた、すなわち日本語にとって幸運なことであったと考える人があるが、それもまちがいである。それは不幸なことであった」(『漢字と日本人』、p,27)。
なぜか。第一に、そのことで日本語の健全な発達がとまってしまった。第二に、漢字は中国語には理想的な文字だが、まったく性質の異なる日本語にとっては、それは身にそぐわない不便で窮屈な服にすぎないのであって、そのために非常な困難と混乱が生じ、それが千数百年後のいまもなお続いているのだと。
では、そんな不便な文字をなぜ日本人は採用したのかというと、それはそのときには漢字しか選択肢がなかったからであると、高島はいいます。そして高島はこう続けます。
「もし、漢字と同時にアルファベット文字がはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。」(同、p.28)。
しかしながら、とにもかくにも、日本は漢字を受け入れてしまいました。そして千数百年がたってしまった。さらに「文明開化」の際には、西欧の概念を受け入れるために膨大な数の新たな漢語までつくってしまった。こうなっては、もはやそれをできるかぎりうまく使いこなすほかに、進むべき道はありません。もう後戻りはできないのです。結論として高島はこういいます。
「では、日本語は健全なすがたにかわり得るのであろうか。日本語は畸型のままで成熟してしまった言語であるから、それは不可能である、とわたしは考える。これをしいて完全に正常なからだにしようとすれば(つまり漢字を全廃しようとすれば――成瀬注)、日本語はきわめて幼稚なものとなってしまう。ある程度正常にしようとすれば、その分だけ幼稚になる。(略)漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にはあわないのだから、いつまでたってもしっくりこない。しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。へたをすれば死ぬ。この、からだに癒着した重荷は、日本語に害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやってゆけないこともたしかである。腐れ縁である。(略)日本語は、畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない、というのがわたしの考えである。」(同、p.243-246)。
この本に出会ったのはほんの数年前(注:2004年初出時)ですが、そのときからわたしの日本語に対する見方は、大きく変わりました。あるいは、日本文化そのものに対する見方が変わったというべきでしょうか。たとえば、日本と中国とは同じ「漢字文化圏」で近しい関係だ、などと無邪気に信じていたことが、まるでうそのようです。
翻訳者としても大きな変化がありました。まず、漢字の使い方にきわめて敏感になりました。ふと気がついてみれば、ずいぶんと漢字を使わなくなっています。漢字でしか表現できないところ以外には漢字は使わないことが漢字の正しい使い方だと思えるようになってきたからでしょう。漢字という、日本語にとってやっかいな重荷ではあるが、これなしではやっていけない外国の文字に、真摯な姿勢で真正面から取り組まなければならないことを、日々実感しています。日本語というものが、少しだけですが、深くみえてきたような気がします。
ここまで何冊かの本をご紹介してきました。それらは世間的にも名の通ったまさしく名著です。しかし、英日翻訳者向けの参考書としてあえて1冊だけを選んでくださいといわれれば、わたしは躊躇なく、この『漢字と日本人』を選びたいと思います。
本書を読めば、いやしくも英日翻訳者をめざすのであれば、明治の学者たちが行ったように西欧の概念を新漢語に一対一でうつしとり、それを「てにをは」でつなぎあわせるという作業だけに終わってはいけないことが、わかるはずです(当時はそれしか方法がなかったのです)。なぜなら、漢字とは中国語にとっては理想的な文字であっても、日本語にとっては「身にそぐわない不便で窮屈な服」にすぎないからです。
たしかに日本語にとって漢字の恩恵は大きい。しかし、その副作用もまた大きいのです。たしかに日本語は漢字なしでは生きていくことができない。しかし、だからといって漢字にすべてをゆだねてしまってはいけないのです。それは「小さな中国人」になりたがることです。ちょうどいま数多くの日本人が「小さなアメリカ人」になりたがっているように。
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