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クジラの鼻はなぜ頭頂部にあるのか?│恐竜時代の負け組が、新時代の海で無双した件

はじめに:ちょっとおかしいクジラの鼻

現代の海の覇者と言っても過言ではないクジラ。
クジラと言えば潮吹き。海面から現れた巨大な体が、空高く水しぶき上げる姿を想像する人も多いでしょう。

シロナガスクジラの噴気の様子

実際は、潮吹きは水を吹き出しているのではなく、吐いているのは「息」、つまり潮吹きは「呼吸」動作の一環です。
クジラは私達と同じ哺乳類のため、大気による呼吸を必要とするのです。噴気孔は私たちの鼻(鼻孔)にあたります。

しかしよく考えてみると、多くのクジラの鼻孔(噴気孔)は、普通の動物よりもだいぶおかしな位置にあります。
人間でいえば 頭頂部に鼻の穴 があるようなもの。
そんな動物、他に見たことありますか?

クジラの祖先は、普通に上顎の先端辺りに鼻孔がありました。進化と共にだんだんと頭頂部に移動していったわけですが、なぜこのような大改造が起きたのでしょうか?
深堀りしてみると、そこには恐竜時代の夜の世界でひっそりと編み出した能力が、後に海の世界でチート能力に化ける、という大逆転劇がありました。
壮大な進化の伏線回収劇を楽しく追いかけてみましょう。



第1章:そっくりさんイクチオサウルスとの比較

ここでイルカのそっくりさんに登場してもらいましょう。
古代の海にはイクチオサウルスに代表される魚竜(ぎょりゅう)という海棲爬虫類がいました。見た目はイルカ(イルカは小型のクジラ類のことを指します)にそっくりで、収斂進化のお手本としてよく挙げられるほどです。お互い系統も時代も全く違うのに本当に良く似ています。

イクチオサウルス(魚竜)の復元図
目の少し前あたりに鼻孔が見える
カマイルカ(クジラ類)の写真
頭に空いている大きな穴が鼻孔

全体的な姿はよく似ていますが、鼻孔の位置に着目すると大きな違いがあります。
イクチオサウルス(魚竜)の鼻孔の位置は、陸上動物と比べると後退気味ですが、目の少し前あたりに留まっています。
一方、イルカ(クジラ類)の鼻孔の後退は、頭頂部にまで達してしています。ここまで鼻孔が後退した生物は過去にも見当たりません。

水中生活に高度に適応した結果、似た姿になったクジラと魚竜ですが、なぜ鼻孔の位置は大きく異なるのでしょうか?
一見単純な違いのように見えますが、実は生物進化の深い構造的な背景があるのです。


第2章:哺乳類と爬虫類│顔の柔軟性の違い

哺乳類は全般的に顔の作りが非常に柔軟です。
犬、猫、サル、ゾウ、コウモリなど、どれも全く違う個性的な顔をしていますよね。

一方、いわゆる爬虫類(鳥類が恐竜の直系子孫であることが確定的になってきたため、「爬虫類」という分類自体は現在微妙な立ち位置にあります)はどうでしょうか?
トカゲ、ヘビ、カメ、ワニ…確かに細部は違えど、哺乳類に比べると多様性は少なく、どこか似たような印象を覚えるはずです。
「爬虫類顔」という顔のタイプ分類もあるように、一般的には爬虫類の顔は皆どことなく似ている気がします。

この「顔の多様性」の違いは、発生の仕組みに関係しています。
爬虫類では顔のパーツの配置が比較的固定されています。これは、発生の初期段階で顔の構造が早い段階で決まり、自由に改造できる余地が少ないためです。

一方、哺乳類は顔面の発生に柔軟性があります。咀嚼、哺乳、表情、触覚(ヒゲ)など、顔に求められる機能が多かっため、進化の過程で「顔の構造をいじる自由度」が高まっていったのです。

この哺乳類特有の顔面の設計の柔軟性により、クジラは鼻孔を頭頂部にまで移動させるという大工事を成し遂げられたのでした。
一方、爬虫類であるイクチオサウルスは顔面改造の制約が大きく、鼻孔をそれほどダイナミックに動かせなかったと、いうことが考えられます。

シャチの頭骨。一見どこがどうなっているのか分からないほど変形している。(名古屋港水族館で撮影)

第4章:頭頂部がベスト│呼吸効率の極限追求

海に棲む哺乳類にとって「呼吸」は一大事です。なぜなら我々と同じ肺呼吸であり、呼吸の失敗は即、死に繋がるからです。

特にクジラは恒温動物で代謝が高く活動量も多いため、大量の酸素を必要とします。
さらに、獲物を追跡中でも、狩りの最中でも、限界が来たら中断していちいち呼吸のために水面に出なければなりません。

そこで「どれだけ素早く、効率よく息継ぎできるか」が重要になってきました。
頭のてっぺんに鼻があれば、水面から頭だけ出すという最小限の動きで呼吸が可能です。体や顔を必要以上に持ち上げる必要がなく、エネルギーの無駄がありません。さらに水から受ける抵抗も減らせます。
クジラの鼻孔の位置は、泳ぎながら呼吸をするのに最適な構造なのです。

さらに1回の呼吸にかかる時間も、小型のクジラ(イルカ含む)の場合は1秒未満から1秒前後、大型クジラでも1〜3秒程度と爆速です。クジラは呼吸に対して究極のタイパ重視なのです。


一方、魚竜は鼻腔の位置が目の下あたりにあったため、呼吸時には水面に対してより顔を持ち上げる必要があったと考えられます。ただし、魚竜は中温性(変温性と恒温性の中間)だっと考えられており、代謝はクジラよりずっと低く省エネ体質だったことから、そこまで呼吸効率を追求しなくても問題なかったのかもしれません。
また、魚竜は水中でも嗅覚を使っていたと考えられているため、臭いの方向の探知や視覚との連携のために鼻孔を前方寄りに留めておくメリットもあったのかもしれません。
(なおハクジラは嗅覚をほとんど失っており、ヒゲクジラも臭覚を著しく退化させていると考えられています。)


第5章:二次口蓋による鼻と口の隔離

クジラの鼻孔の移動において特に重要な要素は、「二次口蓋(にじこうがい)」の存在です。
二次口蓋は、鼻腔と口腔を隔てる壁のような構造で、人間の口の中の天井部分にあたります。いわば「呼吸専用ルート(鼻腔)」と「食べ物専用ルート(口腔)」を物理的に隔てる壁です。

口蓋(Palate)が鼻腔(Nasal cavity)と口腔(Oral Cavity)を隔てている。
口蓋(Palate)の咽頭(Pharynx)へ垂れて突き出ている部分は軟口蓋。

哺乳類はこの二次口蓋がよく発達しており、そのおかげで赤ちゃんはミルクを飲みながらでも鼻で呼吸をすることができます。

ルートが物理的に分かれているおかげで、「食べ物専用ルート」へは干渉せず、「呼吸専用ルート」を自由に引き回すことが可能になります。
その結果、クジラはもともと上顎に沿った水平方向が基本の「呼吸専用ルート」すなわち鼻腔を、鼻孔とともに90°近く立ち上げて、鼻腔を頭頂から咽頭(のど)まで貫通させるという大改造を行うことができました。

爬虫類や両生類は二次口蓋が不完全で、鼻腔と口腔が空間的に繋がっています。(例外的に水中生活に適応したワニは発達した二次口蓋を持っています。)
専用レーンで区切られていない状態で無理やり鼻腔を後退させようとしても、食物や水が鼻腔に逆流したり、呼吸と食事が干渉したりと、多くの不都合が発生します。
そのため爬虫類にとって鼻腔の構造を自由に変えるのは難しく、鼻孔は上顎のある程度決まった場所に配置せざるをえません。
イクチオサウルス等の魚竜も同様の状況だったと考えられます。


第5章補足:絶対に誤嚥しないクジラの喉

人間を含む哺乳類の喉では、食道と喉頭(気道の先端部分)が喉で交差します。せっかく二次口蓋で鼻腔と口腔を分けたのに、喉でまた合流してしまうのです。

喉頭(Larnx)と食道(Esophagus)が咽頭(Pharynx)で合流している。
軟口蓋や喉頭蓋(Epiglottis)が咽頭(気道の入口)への異物の侵入を防いでいる。

食べ物や水を飲み込む際は、気道に入らないように軟口蓋や喉頭蓋を動かして制御していますが、少しでもタイミングを誤ったりすると、食道と気道というルートが交差しているという喉の構造上、誤嚥はどうしても起こってしまいます。
線路と道路が交差する踏切がある限り、いくら安全策を講じても踏切事故の発生確率はゼロにならないのと同じ理屈です。

さらに人間は発声のために喉頭(気管の入口)の位置が低いため、特に誤嚥を起こしやすい喉の構造になってしまっています。「言葉」を手に入れた代償と考えると進化とは皮肉なものです。


クジラのように海中生活をしている動物にとって、海水などの誤嚥はもっと深刻で即、死につながる重大なリスクです。(もし水中で咳き込んでしまったら…と想像すると恐ろしいですよね。)
そこで彼らは誤嚥対策を徹底して進化させました。

ヒゲクジラ(シロナガスクジラやザトウクジラ、セミクジラなど)は咽頭(喉)における呼吸と摂食の切り替え制御をより強力なものにしました。
ヒゲクジラは摂食の際に大量の海水と餌(オキアミ等のプランクトン)を取り込みますが、軟口蓋・咽頭プラグ・喉頭蓋といった弁のような構造で、摂食ルートと呼吸ルートを随時完全に隔離することができます。
もし制御を誤れば誤嚥のリスクはゼロではありませんが、捕食対象のプランクトンの群れの動きは遅く、比較的マイペースで摂食のための動作を行えるので、これで十分なのだと思われます。

ハクジラ(イルカやシャチ、マッコウクジラなど)の誤嚥対策はさらに徹底しており、驚異的ですらあります。
ハクジラは水中で魚や小動物などを捉えるために、瞬間的で激しい捕食動作が要求されます。
眼の前に獲物が現れたので思わず食いついたら、喉の弁の制御が間に合わず気道に水が流れこんでしまった、なんてことも起こり得るわけです。
そんな事態を回避するために、ハクジラの喉頭(気道の入口部分)は鼻腔に突き刺さるように長く伸び、気道と鼻腔を直結しています。(下図黄色のgoose beakの部分)
また、食道はその突き出した喉頭を避けるように一旦左右に分岐し、直後に再び合流するという構造をとっています。(下図黄緑色のesophagusの部分)
このように摂食ルートと呼吸ルートが物理的に完全に分けられているので、誤嚥のリスクは原理的にほぼゼロです。

ベルーガ(ハクジラ)の頭部断面図
Illustration by Uko Gorter © NDAA

通常の哺乳類が喉の構造が遮断器付き踏切なら、ヒゲクジラはそこに絶対に車を通さない可動式ゲートなどを追加した強化版。
それに対してハクジラは、線路を高架化して車道と立体交差させ、そもそも踏切侵入事故が起こり得ない構造に作り変えるという逆転の発想。
まさに自然が作り上げた驚異の安全設計です。


そもそもなぜ人間を含む脊椎動物は、食道と気道(喉頭)が一度喉で交差するというおかしな構造になっているのでしょうか?
最初から食道と気道をきちんと分けておいてくれれば誤嚥事故も起こらないし、クジラもそこまで苦労して喉の構造を作り変える必要はなかったはずです。

それには脊椎動物の長い進化の歴史が関係しています。陸上脊椎動物の祖先は魚類でしたが、もともと魚類には「口→食道」の摂食ルートしかありませんでした。呼吸の役目はエラが担っていたからです。
そのうちに食道から枝分かれする形で肺が誕生し、鼻孔が口腔とつながり、摂食ルートに対して呼吸ルートが割り込む形で付け足されることになりました。
脊椎動物が陸に上がる頃にはすでにこの構造が固定化しており、起源が非常に古く、強力な発生的な制約となっているのです。

しかしハクジラはこの制約をうまく回避することに成功しました。

制約「食道と気道は絶対に交差しなければならない!」
ハクジラ「ほい、(立体)交差。」
制約「ぐぬぬ…」

一休さんも顔負けの見事なとんちです。


第6章:恐竜時代の黒歴史から、海の覇者に

ここまで見てきたクジラの特殊な呼吸構造の背景には、実は恐竜時代からの哺乳類の進化の歴史が深く関わっています。

・夜行性のため視覚に頼れず、各種感覚器官を発達させる必要があった。
 ➜顔面の設計の柔軟性の獲得

・夜の寒さへの対応のため体温を保つ必要があった。
 ➜恒温性(高代謝)の獲得

・赤ん坊は母乳を飲みながら呼吸をする必要があった。
 ➜二次口蓋の発達

また、この他にも哺乳類には今のクジラにつながる以下のような特徴がありました。

・夜行性だったので視覚に頼れず、聴覚が必要だった。
 ➜音の反響で空間を認識する「エコーローケーション」へと発展。
  (ハクジラのみの能力。ヒゲクジラもコミュニケーション手段として声を使う。)
  
・確実に子孫を残すために胎生を獲得した。
 ➜産卵のために陸に上がる必要がないため、生まれてから死ぬまで一生を海で過ごす完全海棲生物へ。

これらは恐竜が天下を取っていた時代、夜の闇に隠れて生き延びるために哺乳類たちが必死に編み出したスキルでした。
しかし、その「黒歴史」から生まれた能力は、恐竜が滅びた後の新世界で、海というフィールドに最適な能力として再利用されることになったのです。

まるで、映画「ベスト・キッド」の名シーン、一見武道とは関係のない「ワックスを塗って、ワックスを拭き取る」の修行が、実は相手の突きを捌く動作に繋がっていたという激アツな展開を彷彿とさせます。
あるいは、なろう系主人公が前世で地味に習得していたスキルで異世界で無双して「オレ、何かやっちゃいました?」というノリにも通じる気がします。


おわりに:進化は「Connecting the dots」

ベスト・キッド、なろう系と例え尽くしになりますが、進化の本質としては、かの有名なスティーブ・ジョブズが語った「Connecting the dots(点と点をつなぐ)」がより近いかもしれません。

「人生の出来事の点と点は、今は繋がりが見えなくても、後になって振り返ったときに線となって繋がる。だから今目の前の点を信じて進もう。」
といった趣旨の演説です。

生物の進化もまさに偶然(点)と必然(線)が織りなす壮大なドラマ。
クジラはクジラになろうとしてなったわけではありません。
恐竜時代に夜の闇に追いやられた哺乳類が生き残るために編み出した、一見水中生活とは何の関係もなさそうな能力が、何千万年という時を超えてクジラを海の覇者へと押し上げるチート能力へと変貌を遂げのです。

「自分には人に誇れるような能力や経験なんてない」なんて思っているそこのあなた。それらは使い方や環境によっては化けるかもしれません。クジラがそうだったように。


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■使用画像クレジット一覧
・記事見出し画像:
AIによる生成画像

・シロナガスクジラの噴気の様子:
Blow of a blue whale in the Arctic sea.jpg by AWeith, Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

・イクチオサウルスの復元図:
Ichthyosaurus BW.jpg by Nobu Tamura, Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0

・カマイルカの写真:
Lagenorhynchus obscurus.jpg by National Oceanic and Atmospheric Administration, Wikimedia Commons, Public domain

・ヒトの頭部断面図:
Illu01 head neck.jpg, by Arcadian, Wikimedia Commons, Public domain

・ベルーガの頭部断面図:
Illustration by Uko Gorter © NDAA, https://natureweb.co/how-do-beluga-whales-hunt/

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