私が凡人だからこそ気付いた音楽の真実(第三章)~本当のスタートライン~
まず、初めに重要なお知らせです。
記事<音楽は果たして「エンタメ」として考えて良いのか?>のタイトルを変更させて頂きます。
新しい記事タイトルは<「音楽」は果たして「エンタメ」なのか?~「アート」がなぜ「まなび」に?>と致します。
タイトル変更の理由は、この問題を継続して提起したいからです。ご了承頂きます様お願い申し上げます。
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【記事本文】
実は、私には長年どうしても腑に落ちない、一つの大きな疑問がありました。
それは、「人が音楽を好きになる」に至るプロセスについてです。
「自分は音楽が好きだ」ということは痛いほど分かっている。けれど、どうしてそこまで好きになったのだろう? という、あまりにも素朴な疑問です。
しかし、いくら考えても、自分の頭からは「いつの間にか自然に」という曖昧な答えしか出てきません。気になって音楽雑誌や専門書をひっくり返して読んでみても、その明確な答えはどこにも書いていないのです。そこにあるのは、生まれた環境や、育った家庭環境といった、外側の理由(環境論)ばかりが大きく取り上げられている現実でした。
人間は動物の中でも最も知能が発達した頂点とされています。
しかし、生まれたての状態は他の動物と比べて最も不完全で未熟な状態です。つまり、それだけ後天的要因の可能性を秘めているという事なのです。
一般的に「音楽家」の子孫は「音楽家」になる傾向が多少見受けられます。
しかし、その中で「遺伝子的」DNAの影響はどれ位なのでしょう?確かに才能が「0」であれば育つ事はありません。逆に言えば「0」でなければ育つ可能性は大いにあるという事です。もちろん個人差はあるでしょう。
しかし、仮に生まれつきの才能が「10」あったとしても育てなければ永遠に「10」のままです。それを育てるための、後天的な「学習」のチャンス(機会)は才能とは直接の関係は無いのです。つまり、チャンスが多ければ「1」でも「10以上」にする事も可能という事です。
そのチャンスを呼び寄せる事も「才能」の1つかも知れませんが、どんな天才であっても最初の1歩は自分から呼び寄せたものではない筈です。
脳の発達段階でそれを求める過程が形成されると考えるのが最も自然だからです。
仮に生まれつきの天才が「10」だとすれば、我々凡人は「3~5」位でしょうか?
従って「学習」のチャンス(機会)の重要性は明らかです。
そこで、私は立ち止まって繰り返して考えてみたのです。
「いつの間にか、自然に好きになる」というのが先天的遺伝だとしたら、多少の差はあれど、人類全員がほぼ同じ方向性で音楽を好きになるはずではないだろうか?と。
脳には様々な可能性が秘められている事は様々な研究で証明されています。
しかし、そのどの分野に向いているかの先天的個体差は解明されていないのが実情です。逆にそれが予め解っていたらどうします?
自分が物心ついた時には既に自分の進むべき方向が決められていたらあなたはどうしますか?という事です。黙って従うしかないのでしょうか?
ここで話題を「音楽」に戻します。「音楽を聴く」と言う経験の中で「音楽」に対する「興味」が芽生えるのですから、生まれるまでの経験値はほぼ「0」です。
※「ほぼ」としたのは胎教の面と遺伝的要因を考慮しての事です。
従って「音楽を聴く」と言う経験を通して様々な音楽体験の中から好みの「音楽」を選択する能力が形成されると考えるのが最も自然です。
その中で『遺伝子的』DNAの影響はどれくらいなのでしょう? もちろん個人差はあるでしょうし、先天的個体差が具体的にどう影響しているかはまだ不明です。
つまり実際の現実である『好きな音楽も、その愛し方も、十人十色で決して同じではない』という現象は、未知なる先天的個体差(遺伝という種)が、その後に与えられた多様な音楽体験(環境という土壌)と複雑に掛け合わさることで、初めて一人ひとり異なるグラデーションとして現れている、と捉えるのが最も自然ではないでしょうか。
もし大半を先天的遺伝だとすれば、世界の音楽の多様性はここまで発達したでしょうか?そこには人類の長年に渡る民族や文化の交流のなかで育まれてきた後天的学習能力が大きく関わっているのではないでしょうか?
これ等には、遺伝面や環境論だけでは説明のつかない、何か明確な理由があるはずだ。私はそう確信し、その理由が「何か」ということを、来る日も来る日も考え続けました。
これは、もし自分が天才であれば、深く考える必要もない事だったと思います。才能の赴くままに自分の人生を歩めばいいだけだからです。
私が「凡人」として挫折を味わい、苦悩し、迷走したからこそ、この当たり前の疑問に強く違和感を感じ、突き詰めたいと思った。ただそれだけのことだったのです。
そして、人生のすべてのピースが一本の線に繋がったとき、私はついにその『究極の(音楽の)真実』へと覚醒することになります。
朧気ながら、本当の意味での「スタートライン」を意識したのです。
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なお、マガジン『音楽の本質』内の記事を併せてお読み頂けると幸いです。
