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私が凡人だからこそ気付いた音楽の真実(第四章)~見落とされていた『音楽を好きになる能力』

まず、初めに重要なお知らせです。

記事<音楽は果たして「エンタメ」として考えて良いのか?>のタイトルを変更させて頂きます。
新しい記事タイトルは<「音楽」は果たして「エンタメ」なのか?~「アート」がなぜ「まなび」に?>と致します。
タイトル変更の理由は、この問題を継続して提起したいからです。ご了承頂きます様お願い申し上げます。

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【記事本文】

「人間は誰しも、生まれつきバラバラで豊かな『音楽を好きになる種(遺伝的初期値)』を持っています。しかし、どんなに良い種であっても、日常的に音楽を聴くという『豊かな土壌(環境)』がなければ、芽吹くことなく眠ったままになってしまいます。

人類が誰もが見落としていたキーワード。
それは、ズバリ「音楽を好きになる能力」です。

この「音楽を好きになる能力」は明らかに約99%後天的能力です。
※約1%は「胎教」の中で育まれると考えられます。

驚くべきことに、世の中の誰もが、この「音楽を好きになる事」を、そもそも「能力」だということにさえ気付いていないのです。世間は、楽器が弾けることや、歌が上手いこと、絶対音感があることだけを「音楽の能力」と呼び、それを持たない人を「凡人」と呼びます。

しかし、それは大きな間違いです。
歴史的な名盤を聴いて涙を流したり、ある曲に出会って人生が救われたり、わずか数秒の拍のズレに一瞬で衝撃を受け、1年間もその謎を追い続けずにはいられなくなったりする――その、心が激しく動くプロセスそのものが、実は多くの人間が遺伝的(先天的)に生まれ持った、極めて高度で偉大な『能力』そのものだったのです。

では、なぜ今まで誰もこの偉大な先天的潜在能力に気付かなかったのか?
その理由は、この能力が「あまりにも自然で当たり前の事として受け取ってしまって、誰も違和感を感じていない事」にありました。人間は、目の前にある空気のありがたみに気付かないのと同じように、音楽の専門家でさえも音楽を好きになるというスムーズな心の動きを「当たり前」として受け流してしまいます。だから、そこに疑問(違和感)を抱くことさえしないのです。

一つの例ですが、最近テレビ番組でよく見かける女性ヴァイオリニストがいます。その派手なキャラクターと毒舌(建前)ばかりがネットでも取り上げられています。しかし肝心の「音楽による表現(本質)」が置き去りにされている様にしか感じられません。メディアや世間がそれを「当たり前」として消費している現実に私は抑えきれない苛立ちさえ感じるのです。

つまり、私は天才ではない凡人だったからこそ、日常の足元に隠されたこの真実に気付く事ができたと確信できたのです。

従って、鍵となるのは、この「音楽を好きになる能力」の育成と継続です。

■ 昨年のブログに遺していた、真実への足跡

実は、この能力の育成について、私は昨年のブログにこのような思索を遺していました。

誰もが知らず知らずのうちに音楽を好きになっていると思いますが、そこには殆ど誰も意識していない条件があるのです。それは何かと言うと「音楽を聴く」と言う事です。その経験があって初めて音楽を好きになると言う事です。

その当たり前の行為はどこから得ているのでしょうか? その多くはテレビやラジオやインターネットを通して得ています。ラジオの登場は1925年ですから、ちょうど今年で100年を迎えました。それ以前は生で音楽を聴く方法のみだった訳です。蓄音機やラジオの発達と普及によって大きく音楽を楽しむ習慣が普及した。それが音楽を好きになると言う条件の一つになっていると思うのです。

コンサートの聴衆も年に数回のイベントだけで育つとは考え難いのです。音楽を生活の一部として楽しむ習慣になる事で、初めて音楽ファン(聴衆)も育ちます。そうした中で音楽を演奏する者が現れ、ミュージシャンを志す者が現れると考える事が最も自然です。

つまり、音楽文化はそうした聴衆の存在で成り立っていると同時に、聴衆を育てる必要(≒使命)があると言う事なのです。聴衆は放置していても勝手に育つ訳ではありません。音楽文化にはそうした環境を整える事とその継続が重要で欠かせないのです。簡単に言えば、「生活習慣」「産業」「教育(育成)」と言った環境の3拍子とその「継続性」が全て揃って、初めて成り立っているのです。

■ 郡山市の足元を耕す「コミュニティ音楽カフェ」へ

私がクラウドファンディングで計画した「コミュニティ音楽カフェ」の原点も、まさにここにあります。

世間は、一過性の華やかな「音楽フェス」というお祭り騒ぎに目を奪われがちです。しかし、本当に大切なのは、瞬間だけでも目立つ存在への期待ではなく、足元を固める重要性です。

人々が日常の中で、手軽で身近に触れられる音楽環境
一人ひとりが生まれ持つ「音楽を好きになる能力」が、日々当たり前に息づき、育まれるための身近な空間(足元)こそが、この街に圧倒的に足りていなかったのだと、本気で気付かされたのです。

「真実は身近で当たり前の事と思い込んでいる中にある」――。

天才のように派手な人生を歩むことはできなかったし、挑戦と挫折、苦悩と迷走を繰り返した私の人生でした。

しかし、この凡人だからこそ掴み取ることができた究極の(音楽の)真実を胸に、私は生まれ育ったこの郡山市の街で、誰もが当たり前に音楽を愛せる足元を、これからも私なりの方法で前向きに耕し続けて行きたいと思っています。やっと本当のスタートラインに立てたと思っています。

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この記事をご覧になられて関心を持たれた方は「私が凡人だからこそ気付いた音楽の真実(検証編)」に是非ご参加下さいね。

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なお、マガジン『音楽の本質』内の記事を併せてお読み頂けると幸いです。



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