ミヨ子さん語録 「ぬっさぃほっとすっ」(暑さにうんざりする)
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれ、この(2025年)3月に没したミヨ子さん(母)の来し方を「文字を持たなかった昭和」として綴った。ほかに、ミヨ子さんの口癖や折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として思いつくままに書き残している〈340〉。
猛暑の夏が、また始まった。しばらく前までは「酷暑の夏」と表現したりしたが、日本全国、酷いを超して猛々しい暑さだ。そしてわたしはミヨ子さんの口癖を思い出す。
「ぬっさぃほっとすっ」(暑さにうんざりする)
「ぬっさぃほっとすっ」を分解すると「ぬっさ ぃ ほっと すっ」で、ゆっくり話すと「ぬっさ(ぬくさ)に ほっと する」。「ぬくさ」が「ぬっさ」に、そのあとの助詞が母音だけに、「する」の語尾が促音にと、例によって鹿児島弁は短縮が大好きである。
「ほっとすっ」はため息をつく動作で、思わずため息をつきたくなる気分を動詞で表現している、とでも言えばいいだろうか。愛用の「鹿児島弁ネット辞典」で「ほっ(と)」を調べても、いくつかの動詞や「箒」ぐらいしか出てこない。
たまにあるミヨ子さんの「造語」に思えなくもないが、近所のおばさんたちも
「ぬっかこちまこてほっとすっどなぁ」
(暑いことに本当にうんざりしますねぇ)
などと会話していたから、少なくとも語感や使用法に共通認識はあったはずだ。
思えばわたしが実家にいた頃。それはミヨ子さんや夫の二夫さん(つぎお。父)が現役の専業農家で、わたしも学校の合間に農作業を手伝っていた時期で、昭和40~50年代前半。暑いと言っても最高気温が30℃を超えることはそう多くなかった。鹿児島で、である。いまふつうにある35℃などという気温は熱帯の国の話だった。
たまに新聞やテレビで「インドでは熱波で人がたくさん亡くなった」というニュースが流れ、肌の黒いインド人が映像に現れると、あんなに色が黒くなるような国ならさぞ暑いだろう、と思ったものだ。
やがて――平成に入ってしばらくしてからだろうか――日本も夏場の気温が上がるようになった。ミヨ子さんたちが「ほっとすっ」機会も増えた。
わが家にはクーラーはなかった(多くの田舎の日本家屋にはないのが当然でもあった)。夏場に帰省すると
「あんまいぬっか時ゃ、父ちゃんが氷を買(こ)け行っきゃって、ふたぃで食もったいすっと」
(あんまり暑いときには、父ちゃんがアイスを買いに行かれて、二人で食べたりするのよ)
とミヨ子さんが語ることもあった。
それでもクーラーがないままの家で二夫さんは生涯のすべての夏を乗り切り、平成13(2011)年の春先に逝った。残されたミヨ子さんは数年そこで一人暮らしをしていたが、その後同居を始めた長男のカズアキさん(兄)宅にはもちろんクーラーがあったので、暑さをがまんしなくてよくなったのはありがたいことではあった。
いまや日本のふつうの地域、へたすると北海道ですら熱中症警戒アラートが発出される。
日中のくらくらする暑さ、夜間でもむっとする暑さを体感するたびに、「ほっとすっ」とつぶやいては、夏場どんなに暑くても田畑で作業を続けた――続けざるを得なかった――ミヨ子さんたちの苦労を思う。帰宅後もせいぜい水風呂を浴びるくらいで、扇風機の風に当たって涼をとった。そんな暮らしで、よく何十年も働いてくれたと驚嘆し、深く感謝している。
〈340〉過去の語録には「芋でも何でも」、「ひえ」、「ちんた」、「銭じゃっど」、「空(から)飲み」、「汚れは噛み殺したりしない」、「ぎゅっ、ぎゅっ」、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」、「換えぢょか」、「ひのこ」、「自由にし慣れているから」、「うはがまんめし、こなべんしゅい」、「白河夜船」、「ほめっ」、「きっそわろ」、「ノブちゃんはよかいやっどねぇ」、「カバ」、「にか」、「ショウガは寒がり」、「酔っぱらい」、「にゅっきにゅっき」、「二人しかいない兄妹だから」、「作り話じゃないの」、「ぞろびっ」、「ツルッ」、「たぐる」、「ふせ」がある。
