昭和、男もつらかった 130 嫁の条件
昭和初期、鹿児島の農村で生れ、この地で農民としての生涯を82歳で全うした二夫(つぎお。父)の物語である。
農家の一人息子の二夫は、県立の農芸学校在学中、陸軍少年飛行兵に志願。整備兵として特攻隊に加わり、朝鮮の京城(けいじょう)飛行場で終戦を迎えた。復員後は家業の農業に精を出していた。
朝鮮戦争の特需もあり、戦後日本経済は急激に回復、高度成長期へと突き進む。生活にはゆとりが生まれ、食生活でも嗜好品的な需要が増えた。行政も農作物の転換を進め、二夫たちの地域では山を開墾してミカンを植えようという流れになっていた。
二夫も「そろそろ結婚しなければ」と思い始め、両親、とくに母親のハル(祖母)が「観念させなければ」と思っていた頃。
同じ集落の遠縁の娘が、働きに出ていた佐賀の紡績工場から帰ってきた。結核を患ったせいだと言い、しばらく隣町の病院に入院していたが、その後は家で療養しながら畑の手伝いなどしている様子だ。数十戸しかない小さな集落、みんなが顔見知りで、それぞれの家の状況もよく知っている。そもそも苗字は同じで、もとを辿れば同じ一族である。
二夫一家が田畑に出るとき、集落の道で件(くだん)の娘とすれ違うこともあった。娘は控えめに会釈する程度で、自分から話しかけることはもちろんなく、声をかけても当り障りのない返事しかしなかった。愛想が悪いわけではないが、内気に見えた。
娘の年が二夫より二つ下であることはとうに知っている。嫁としてはちょうどいい年齢ではある。「よそ」の工場、つまり屋内で働いていたためだろう日焼しておらず、着ているものも心なしか垢抜けていた。整った顔だちなのに丸顔で小太りなせいか、親しみやすい雰囲気もあった。
しかし、ハルの眼鏡に適っているとは言えなかった。
ひとつは、娘の実家が裕福とは言えないことだ。長女で、当時では一般的とは言え下に4人のきょうだいがいる。下手をすれば、実家やきょうだいたちの面倒をしょい込むことになりかねない。
娘が工場勤めの間に体を壊したことも気がかりだった。農家の嫁は見た目より丈夫がいちばん、それはハルに限らず農村のほぼすべての人びとの共通認識でもある。戦後、ペニシリンの普及により結核は不治の病ではなくなるのだが、明治生まれのハルにとって結核は致命的な病気で「結核のせいでよそから帰された」という娘の経歴は、受け入れがたいものだった。
そして何より、ハルには自分の親戚筋の中に「この娘なら」という候補がいた。働き者で何につけ気が回り、吉太郎とも互角に渡り合えるくらい気丈なハルは、息子の嫁は自分が考える条件に見合った娘でなければ、と堅く心に決めていたのである。
《お断り》本項の内容は、二夫の父・吉太郎の生涯を綴った「文字を持たなかった明治」の「76 ある娘」と重複している。またミヨ子が佐賀で働いていたことは、ミヨ子の生涯を綴った「文字を持たなかった昭和」の「十九 終戦後」で詳しく述べた。
