昭和、男もつらかった 79 少年飛行兵に志願する①

 昭和初期、鹿児島の農村で生れ、この地で農民としての生涯を82歳で全うした二夫(つぎお。父)の物語である。

 昭和10年代後半。農家の一人息子の二夫は、地元の人びとが「高等農林」と呼ぶ県立の農芸学校に通っていた。昭和18(1943)年頃、戦争の影響が庶民生活に及ぶ中、しばしば飛来する飛行機(軍用機)に二夫は見とれ陸軍少年飛行兵(少飛)への道を考え始めていた

 そこで前々々項前々項では、少年飛行兵の歴史ともいえる陸軍少年飛行学校について概観してみたが、二夫自身の物語に戻ろう。

 この先は志願から入隊、入隊後の訓練という流れになるのだが、これらについて生前の本人から直接聞けたことは少ない。ここに書くほとんどは娘の二三四(わたし)の想像だ。当時の世相と父親の性格、地域の特性などからはこうであったであろう、という。

 さて、飛行機乗りになるなら海軍飛行予科練習生(予科練)よりは陸軍少年飛行兵(少飛)かな、と考えた二夫だったが、誰に相談すればいいか考えあぐねた。

 同族には海軍軍人になった人もいるが、気軽に相談できるほど親しくないし、そもそもめったに帰ってこない。集落の物知りに尋ねるには父親を通すべきだろう。仲のいいいとこや同世代などに話すことも考えてみたが、集落や地域の誰かに話せば、
「二夫が兵隊に行っち言うちょっど!」
(二夫が兵隊に行くって言ってるぞ!)
と、またたく間に尾ひれをつけた噂が広まるのは火を見るより明らかだ。それは絶対に避けたい。なぜなら――。

 父親の吉太郎の耳に入れたくなかったのだ。

 明治13(1880)年生まれで6人きょうだいの5男の吉太郎は、これまでたびたび触れてきたように、一代で多くの屋敷や地所を買い広げた苦労人だ。晩婚、さらに再婚の末ようやく授かった一人息子が二夫である〈354〉。二夫への期待の大きさは、周囲を含む誰もが口に出さずとも理解していた。

 いや、農家の跡取りに生まれたのだからできるだけ早く家(家業)を継ぐことは当たり前すぎるほど当たり前のことで、そこに疑問を感じる者は、当事者はじめ誰もいなかったということだろう。

 当然、兵隊になど行ってほしくない、と吉太郎は思っている。そこへ「兵隊に行くことを調べている」という噂でも立てば、吉太郎にその先の行動の一切を止められることは目に見えている。

 集落や地域の人たちに知られずに「少飛」について調べる方法は――?

 思案した末、二夫は農芸学校の教師に訊いてみることにした。農芸学校には尋常小学校からの同期生もいないわけではないが、彼らがいないところで相談すればいいだろう。両親や集落の人びとが学校まで来る機会はない。
「少年飛行兵に志願する」②へ続く)

〈354〉吉太郎自身の生涯については「文字を持たなかった明治―吉太郎」として綴っている。


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