昭和、男もつらかった 131 縁談が決まる

 昭和初期、鹿児島の農村で生れ、この地で農民としての生涯を82歳で全うした二夫(つぎお。父)の物語である。

 農家の一人息子の二夫は、県立の農芸学校在学中、陸軍少年飛行兵に志願。整備兵として特攻隊に加わり、朝鮮の京城(けいじょう)飛行場で終戦を迎えた復員後は家業の農業に精を出していた。 

 朝鮮戦争の特需もあり、戦後日本経済は急激に回復、高度成長期へと突き進む。食生活でも嗜好品的な需要が増えた。行政も農作物の転換を進め、二夫たちの地域では山を開墾してミカンを植えようという流れになっており、働き手を増やすためにも二夫の嫁問題は現実味を帯びていた。

 前項で述べたとおり、母親のハルは二夫の嫁として、自分の親戚筋の娘に当たりをつけていた。ハルが生まれ育った集落まで歩いて15分ほど、よく知った家のよく知った娘で、先々のことを教え込むのにも都合がよかった。

 しかし二夫は、佐賀の紡績工場から帰って家の手伝いをしているという同じ集落の娘――ミヨ子に気持ちが傾いていた。子供の頃から知ってはいるが、いつの間にあんなにきれいになったのか。誰に、何に対しても控えめなところが何より好ましい。

 とうとう、何度も同じ縁談を持ちかけるハルに二夫は告げた。
「オレはミヨ子がいい」

 父親の吉太郎は、丈夫で働き者なら誰が嫁でもよかったが、ハルは不満だった。それでも、一人っ子でがまんというものをあまりしたことのない二夫は、親には内緒で少年飛行兵に志願したときのように、ここでも自分の意思を貫いた。と言えば聞こえはいいが、「わがまま」を通したとも言える。ついにハルが折れる形で、正式に仲人を立てて、ミヨ子の両親に縁談を申し入れた。

 ミヨ子はミヨ子で、縁談がいくつもほのめかされていた。佐賀という「都会」から帰ってきた、しかもけっこう美形の適齢期の女性である。集落はもとより町でも目を引く存在だったのだ。その気になれば、安定した勤め人の「奥様」になる道もあったかもしれないのだが、「仲人口」と言われるように仲人さんがうまく話を持って行ったのか、二夫との縁談はすんなり決まった。

 その一連の流れには、ミヨ子本人の意思はまったくと言っていいほど反映されなかった。二夫が「どうしてもミヨ子で」と食い下がったのとは対照的だ。

 のちに生まれた二夫の娘・二三四(わたし)は、母親のミヨ子に結婚が決まった経緯を聞いたことがある。
「お母さんは自分で、それ(結婚相手には二夫)がいい、と思ったの?」
ちょっと口ごもったミヨ子はこう言った。
「どうという考えもなかったしね。親が『これ(この縁談)がいい』と言うから、そうなのか、と思っただけよ」

 その考えは、ミヨ子に限らず、自分を主張せず、場合によっては自分を殺して、まわりの考えに合わせて生きるのが「女らしい」と教わった――叩き込まれた――戦中以前のほとんどの日本女性のものだっただろう。

 ついでに言えば、男たちもまた、自分の考えのままに生きられたわけではなかった。女性よりは優先して考慮してもらえて、社会的な居場所が女性より多く用意されているという程度だった、とも言える。

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