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本能寺の変1582 【四国問題】 九 250808 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【四国問題】 天正九年1581   250808

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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 250808

天正九年1581                 250808

1月8日 【重史194】            ✓ 天正09 158100108
松井友閑は、津田宗及を招き茶会を催した(安土)。

  正月八日朝、 安土に於いて宮法御会 宗訥 宗二 宗及
                        「天王寺屋会記」他

1月10日 【重史197】           ✓ 天正09 158100110
光秀、坂本にて、新年の茶会(津田宗及)。

  正月十日朝、 惟任日向守殿会  宗二 宗及
                        「天王寺屋会記」他

1月23日
 【重史191】           ✓ 天正09 158100123
信長は、京都で、盛大な馬揃えを執り行おうと考えた。

  ①正月廿三日、惟任日向守に仰せ付けられ、
  ②京都にて、御馬揃へなさるべきの間、
  ③御朱印を以て、御分国に御触れこれあり。
                            『信長公記』

 〃 〃   【重史192】           ✓ 天正09 158100123
信長は、三好康長に、阿波への出陣を命じた。

  ①先度は、爆竹の諸道具こしらへ、
  ②然らば、重ねて、京にては、切々、馬を乗り遊ぶべく候、
  ③幾内の直奉公の者共、老若を出すべく候、
  ④其方(光秀)、請取り申し触るべく候、
  ⑤三好山城守(康長)、是れは、阿波へ遣はし候間、除くべく候、
  ⑥六十余州へ相聞ゆべく候の条、馬数多くしたて、
                            「士林証文」

2月6日 【重史195】            ✓ 天正09 158100206
三好康長が、堺の天王寺屋(津田宗及)を訪ねた。

  二月六日朝、 三好山城殿 一人
                        「天王寺屋会記」自

2月10日 【重史196】           ✓ 天正09 158100210
松井友閑が、天王寺屋を訪れた。

  二月十日朝、 宮内卿法印、御出で  雲(了雲)・叱(道叱)・訥(宗訥)
                        「天王寺屋会記」自

3月29日 【重史193】           ✓ 天正09 158100329
秀吉、清水寺にて、松井友閑と酒宴に興ず。

  ①清水寺に於いて、羽柴筑前守・宮内卿法印・春長軒
  ②各、罷り向かい、酒宴、
  ③羽筑より、乱舞の衆へ、小袖一つ宛、遣わすと云々、
                            「兼見卿記」

4月10日 【重史198】           公 天正09 158100410
信長、竹生島参詣事件。

  ①信長、御小姓衆五、六人召し列れられ、竹生島御参詣。
  ②御帰り候て、御覧候へば、
  ③御城内は、行きあたり、もだえ焦(こが)れ、仰天限りなし。
  ④其の長老をも、同事に、御成敗候なり。
                            『信長公記』

4月12日 【重史199】           ✓ 天正09 158100412
光秀、天橋立を遊覧す(津田宗及を同道)。

                         「天王寺屋会記」他

5月4日 【重史200】           ✓ 天正09 158100504
秀吉と松井友閑、天王寺屋にて茶会。

  五月四日朝、 羽柴藤吉郎殿・宮内卿法印御坊、
                         「天王寺屋会記」自

6月12日 【重史201】           ✓ 天正09 158100612
津田宗及、秀吉の茶会に参ず(播州姫路)。

  六月十二日朝、 羽柴藤吉郎殿御会、
  播州ヒメジにて、
                         「天王寺屋会記」他

同年後半   【重史181】           ✓ 天正09 1581*****
信長は、元親の領地を土佐一国と阿波南半国に定めた。

  ①元親儀を、信長卿へ、或る人、さゝへ(妨害)申す、
  ②連々、天下のあだにも罷り成るべし、
  ③信長卿、御朱印の面、御違却有りて、
  ④予州・讃州、上表申し、
  ⑤阿波南郡半国、本国に相添え遣はさるべし
                             「元親記」

 〃 〃   【重史190】           ✓ 天正09 1581*****
元親は、信長の命を受け付けず。

  ①四国御儀は、某が手柄を以って、切り取り申す事に候、
  ②一圓、御請け申されず、
  ③明智殿より、石谷兵部少輔(頼辰)を御使者に下されたり、
  ④是れにも、御返事、申し切らるゝなり、
                             「元親記」

11月17日 【重史178】           公 天正09 158101117
秀吉は、淡路島の攻略に成功した。

  ①羽柴筑前・池田勝九郎両人、淡路島へ人数打ち越し、
  ②姫路に至りて、羽柴筑前守、帰陣。
  ③淡路島、物主(ものぬし)、未だ仰せつけられず候なり、
                            『信長公記』

     現在進行中!!



 ⇒ 次へつづく

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