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黒胡椒を入れすぎる

感情は、味わい尽くすと消え、抵抗すると残る、という。

母は料理上手だった。作り置きなどせず、毎日きちんとご飯をこしらえてくれた。家庭科の教員免許を持っていたこともあってか、着色料や合成甘味料を嫌い、スナック菓子や炭酸飲料も、もちろん一切禁止だった。

幼稚園のころ、よく預けられていた同級生の家の近くに、看板もあるようなないような、薄暗い駄菓子屋があった。
硝子と木枠でできた引き戸をガラガラと開けると、右側に黒目の見えない婆さんがいる。友人が慣れた手つきで、親から渡された小銭を婆さんに渡す。しわしわの手が透明のビニール袋を握る。「一本引きな」と婆さんが言う。青や赤やオレンジの着色料がべったりついた糸引き飴だ。なぜか、いつも円錐形の赤い苺味ばかり当たった。
飴から伸びる凧糸を、口から垂らしながら舐めていた。子どもには理不尽に大きくて、口のなかによだれがいっぱいになる。じゃりじゃりとした砂糖の粒が、頬の粘膜をよぼよぼにした。
母が迎えに来る前に、舌の色が変わっていないか、トイレの鏡で確認した。たしか、あの家はボットン便所だった。

母はお菓子も、自分でつくりたがった。
夜中のケーキ作りが、ストレスメーターが限界になったサインだ。普段使わない吊り戸棚の最上段を開け閉めするのに忙しい。ブリキのケーキ型やらが落ちる音がする。
大暴れするハンディーブレンダーと、大きなボウルを押さえつける係の父。そのたびに面倒くさいとぼやいていたけれど、案外、仲の良い夫婦だったのかもしれない。
自慢は、でっぷりしたチョコレートケーキだ。中に挟むクリームが絶品で、めずらしく配合を教えてくれたことがある。生クリームと、クリームチーズを、1:1だという。ちなみに、つくったことはない。

母の料理は、どれも美味しかった。食べるたびに、あらゆる料理のレシピを教えてほしいとせがんだ。几帳面な母にはなれないけれど、だらしがないなりに味くらいは引き継がねば、みたいな使命感が芽生えたのだ。
けれど母は、断固として拒んだ。

「大人になったら、嫌というほど料理を作る羽目になるから、今、わざわざ料理なんてする必要ない」

いつも、こう返されるのだった。

母はよく、学生時代は家事ばかりさせられて、勉強したかったのにできなかった、と愚痴をこぼしていた。だから、わたしが台所をうろついていると、追い払いたかったのかもしれない。あのころは、こんなに早く母が死ぬとは思っていなかったから。

ある日、他所の家では子どもに家事を手伝わせていることを、授業参観で母が聞きつけた。中学二年。わたしは、突然の台所デビューを果たす。
まず、野菜の下処理から始めさせられた。

「左手が猫の手になっていない」
「右手は包丁のみねに人差し指を添える」

監視官の罵声が飛ぶたびに、手が止まる。まな板の上の人参が、みるみる不揃いになっていった。シンクには、剥きすぎた分厚い皮の山。切り終えた野菜より多い。

大人になった怠慢なわたしだけれど、たしかに、ほぼ毎日自炊をして暮らしている。料理がすきかと聞かれたら、嫌いではない。けれど、やらないで済むに越したことはない。そんな曖昧な距離感でいる。
「おふくろの味」も、ほとんど覚えていない。強いて言うなら、牛脛肉のシチューがすきだった、くらいの記憶だ。

兄の同級生で、宝飾店を営むミンくんの家から、謎のでかい牛肉の塊をもらったときだけにつくられる、通称「黒いシチュー」。
とにかく圧力鍋でしゅーしゅー加熱し、軟骨がむちゅんとした歯応えになるまで何時間でもぐつぐつ煮込む。圧力が限界までかかると、ピーと叫ぶ。それが怖い。母のちいさな堪忍袋の尾が切れたようだ。
そうして出来上がったシチューは、黒い。ひたすら黒い。あの色は、たぶん黒胡椒だ。野菜はすっかり溶け、辛うじて牛肉片だけが残っていた。粘度の高い黒い液体を口に含むと、黒胡椒の辛さがぱちぱち舌で弾ける。喉が熱くなる。ざらりと痛い。傲慢な味だ。

庭に生えていたローリエの木から、握りやすい太さの枝を切ってきて、シチューやカレーをかき混ぜる棒にしていたことも思い出す。ローリエは乾燥した葉だけでなく、枝も同じ匂いがする。ところで、あの棒は洗っていたのだろうか。秘伝のタレみたいなものだったのか。

幼馴染に、「あのシチュー、またつくらないの?」と、何度も聞かれていたくらいだから、きっとおいしかったはずだ。
でも、わたしは肝心の味が思い出せない。肉の塊を前にしても、あの味を再現できない。
覚えているのは、母の妙なこだわりと、舌に残った刺激だ。

代わりに、わたしには別の「おふくろの味」がある。
アンガールズの田中さんのお母さまが、昔テレビで紹介していたミートソースだ。あらゆるきのこと、味噌と、梅干しを入れるらしい。
テレビ越しに受け継いだ他人の母の味を、もう十年以上つくり続けている。そのレシピも、実はお母さまのオリジナルではなく、「鍋を買ったときについてきたもの」だという。
母の味なんて、そんなもんだ。

子どものころに、わたしは母の味を味わい尽くしてしまったのだろう。
母の料理の味は思い出せないのに、あの糸引き飴を口に含んだときのざらざらとした舌触りだけは、やけにはっきり覚えている。

「昔食べた味がすき」なんていうのは、幻想だ。
沖縄育ちの母がつくる味噌汁は、いつも鰹だし一択だった。でも大人になってみれば、北海道産の昆布だしのほうがすきなのだ。パリッとした白いシャツの似合う母と、ぐうたらな娘は、生きているころからずっと平行線だ。

大人になると、母がレシピを説明できなかった理由も、なんとなくわかってくる。毎日の料理には、ちゃんとした分量なんてない。冷蔵庫にあるものを、なんとなく鍋に入れ、なんとなく味を決める。わたしも、そうだ。気分が味になる。

結局、今日も黒いシチューではなく、ミートソースパスタをつくる。きのこだけじゃなくて、茄子も入れた。わたしは味噌と梅干しだけでなく、醤油とウスターソースをさらなる隠し味に足す。そして今日も、黒胡椒を入れすぎる。気づけば、誰のレシピでもない、なにかになっている。

母は正しかった。大人になったわたしは、料理をすることにどうしようもなく飽きてしまっている日がある。包丁を持つたびに、恨めしい。あのとき教えてくれていたら、今ごろ「黒いシチュー」のひとつくらい、つくれていたのか。

鍋のなかのミートソースは赤から、ぐつぐつ言って煉瓦色になっていく。黒くはならない。
皿に盛り、パスタを口に運ぶ。ふわっと粗挽きの黒胡椒が香る。

母の味を覚えていなくても、きっと大丈夫。


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