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せんべい缶のなかのカルティエ

昔から、誕生日には決まって、隣の市にある海鮮レストランへ行く。
スタッフに「今日誕生日です」と伝えると、バースデーソングと写真撮影、ちいさなケーキをもらえる店だ。わたしは昔からそれが大嫌いで、家族に絶対にやめてくれと毎年口が酸っぱくなるほど言うのに、また今年も忘れられている。

今日は誕生日だから、ランチセットにデザートもつけた。ねっとりとしたブラウニーに、トッピングの生クリームを、さらにその上に乗っているミントを避けるようにして絡め、口に入れる。昔は直径30cmほどのお皿いっぱいに盛られていたのに、今は細かくダイス状に刻まれ、ココットにちょびっとよそわれている。でも、濃厚なチョコレートの味は、相変わらずだ。
むちゃっとした甘さを流し込むように、アイスミルクティーをひとくち含む。ストローがなくなっている。

馴染みある洋楽が流れている。
席から、青い水槽が見える。両の鋏を縛られているロブスターたちは重なり合い、だいたいの個体がただ焼かれるのをじっと待っているだけだ。一匹、やけに隣の水槽に行こうとアグレッシブにうごめく奴がいる。そいつのことが気になって仕方がない。

円卓では、家族連れが店員にハッピーバースデーを歌われている。ベビーベッドに収まっている子の誕生日を祝っているのか。あの子もそのうち、わたしみたいに捻くれちゃうんだ。ここは代々、そういう店なのだ。

斜向かいに座る父に話を振る。

「わたしが高校生のころ使ってた四角い腕時計、覚えてる?」

父が、卓上のバスケットからガムシロップをふたつ取る。アイスコーヒーにひとつ入れ、ひとつ鞄にしまう。また手を伸ばし、今度はコーヒーポーションをひとつ取る。絶対溢すぞ。案の定、父の手元でミルクがちいさくぱちょんと跳ねる。ペーパーナプキンを渡す。

「カルティエだろ?」

高校に入学したばかりのころ、腕時計を母にねだったことがある。
すると母は、「ちょっとおいで」と自分の部屋へわたしを呼び出した。母の部屋といっても、壁一面の箪笥とクローゼットがあるだけの、服だけが収納された部屋だ。洗濯物でいっぱいで、少し埃っぽい。部屋の真ん中に、ターコイズブルーの塩化ビニール製の座面が破れたスツールがぽつんとある。張り替えをされることなく、時代遅れの紫と白と黒のマーブル柄のひらひらしたシフォンカーディガンが巻きつけられている。
母が、桐箪笥の上に隠してあるつもりの、お歳暮でもらったせんべいのカンカンを引っ張り出してきた。銀色のなんてことない金属の缶。せんべいの詰め合わせが入っていたやつだ。

「どれでもすきなものを選んでいいよ」

缶を開けると、腕時計が乱雑に重なり合っていた。母好みの、華奢で装飾的なものが多かった。アールデコ調の模様が施されたもの。文字盤の周囲にラインストーンがぐるりと並んでいるもの。時間を見るというより、アクセサリーとしてつけるための時計だ。電池が切れていたり、石が欠けていたり、メッキの剥げた留め具が鈍く光る。もう、母のお気に入りではなくなった仮死状態の残党だ。

そのなかに一際、うるさくない時計があった。
正方形の文字盤の、銀色の時計。ローマ数字。ぐるっと一周、金色で縁取られている。側面には、時間を合わせるためのちいさな青い突起。針は、目を凝らして見なければ黒が青みを帯びているとはわからない。ちいさな金色の丸いビスが均等に打たれている。
装飾は控えめなのに、存在感がある。ほかの時計たちが、主張するために光っているとしたら、その時計だけは、ただ、そこにあるだけだった。わたしに関心がないのがいい。

「これがいい」

わたしがそう言うと、母が、にやりとする。

「やっぱり、それにするんだ」

なにが、やっぱりなのか、わからなかった。
腕時計は不思議としっくりきた。ベルトの鎧のような細長い長方形の金属たちが、左手首にぴたっと吸いつく。冷たい金属が、体温で馴染んでいく。
電車通学。ブレザーの制服。誰ひとり知らない人たち。慣れない高校生活がはじまって、腕時計の重さだけを味方にした。文字盤を指でなぞり、青い突起を爪で掻く。居心地の悪い時間が早く過ぎるように、秒針を見つめる。装備だった。
でも、その年の秋、なくしてしまった。
体育のあと、ジャージから制服に着替え、ジャケットの左ポケットに手を入れる。だが、あるはずの腕時計がなかった。絶対に入れた記憶がある。鞄をひっくり返す。机のなかを書き出す。床を見る。体操服のポケットを探る。クラスメイトに「知らない?」と聞く。でも見つからない。

家へ帰って事情を話すと、母は慰めるでもなく、叱るでもなかった。

「そりゃ、そうかもね」

物をなくしたり壊したりすると、烈火のごとく怒る母が、だ。この時計にだけ、どうも妙な含みがある。
母が、名残の暈けた白い梨を剥いて皿によそう。爪楊枝も刺さっている。ひとつ食むと、水っぽい梨がしゃくしゃく鳴く。

「あの時計はね、お父さんと新婚旅行で香港に行ったとき、闇市で買ったカルティエの時計のイミテーションなのよ」

カルティエ。ホンコン。イミテーション。目がチカチカする。
当時のわたしは、カルティエなんてブランドを知る由もない。ただ、缶のなかでいちばん格好いいと思って選んだだけだ。

「盗んだ人は、本物だと思ったのかもしれないね」

母はそう言って笑った。
そんなわけあるか。高校生が、カルティエを知っているわけがない。
でも、それから、ずっとあの時計が忘れられない。

父のアップルパイをひとくちもらう。なんの変哲もないアップルパイという味。ほんのり温かい。昔から父はこうやって、自分が口をつける前に、先にわたしに食べさせてくれる。

「あれ、本当はわたしの時計だったのに。勝手に取ってって、なくして、ひどいなあ」
「え、お父さんのだったの」

父が軽く笑う。

「あの時計、新婚旅行で香港の闇市で買ったんでしょ」
「違うよ」

どういうこと。わたしが今までずっと信じていた、ドラマチックな腕時計の夢物語は、どこへ行った。

「あれはね、通販カタログかなんかで見て、かっこ良くて自分で買ったやつ。いくらもしないよ」
「カルティエだって知ってたの?」
「いや、全然知らなかった。ただ、いいなと思って。無骨でさ。あとで、あれがカルティエのサントスガルべって知ったんだよ」

こんな近くに、自分とまったく同じ感性の人間がいたなんて。いや、わたしの半分はこの人からできているのだけれど。
糊の利いた白いシャツを纏う母とは対照的に、年がら年中、煤けた青いジーパンと長袖のチェック柄のシャツを制服かのように着続ける父。長年、町工場で働いていたのもあって、どうせ油まみれになるからと、いつでも汚れてもいい格好をしていた。それもあってか、父は高価なものを好まない。そんな父が腕時計を欲しがるなんて思ってもみなかった。ましてや「かっこいいから」なんて理由でお金を使う人だったなんて。

それにしても、母はなぜ、あんな嘘をついたのか。
ただ通販で買った安物の時計より、香港の闇市で買ったカルティエのイミテーションのほうが、ずっと面白いからだろうか。

たしかに母は、そういう人だった。大真面目に突然、謎の演出家になる。
夕飯の支度が面倒になって買い食いに行ったときは、サンドを頬張るわたしと兄に、急にクイズを出してきた。

「ケンタッキーのポテトは、なんで美味しいと思う?当たったら、千円あげるよ」
「どうせ当たらないよ。ケチなお母さんがお金くれるなんて言うんだから、考えたって無駄無駄」

勝算がない勝負はしない兄。考えてもわからない答えを探すわたし。ただの出来事を、そのままでは終わらせない母。
事実、両親は新婚旅行で香港へ行っている。けれど、サントスガルべは1987年に誕生したモデルだから、時系列は合わない。
あの嘘を、確かめる術はもうない。

今もときどき、カルティエのオンラインショップを覗く。
サントスガルべはもう廃盤になっていて、もっとも近いモデルは「サントス ドゥ カルティエ」のようだ。文字盤を囲む金色のパーツの形が、僅かに違う。

『すべての時計』のページのなかから、あの時計を探す。
せんべい缶のなかに雑然と埋もれていたときのように、たくさんの腕時計のなかにサントスがある。

わたしは偽物のカルティエを数ヶ月、身につけ、母の物語を信じた。画面に映る値段を見るたび、ときめきの対価を知る。16歳のわたしが、無邪気に左袖を振っている。
本物は、銀色の缶ではなく、赤い箱に、ひとつだけ入っているらしい。

水槽の底にいる仲間たちの上に乗り、どこかへ行こうともがく、あのロブスターは、スタッフの女性にトングで捕まれ、元の水槽に戻された。


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