母は美人なのか
「お前のお母さん、美人だな」
母を見たクラスメイトが、廊下でわたしに声をかけてきた。
あれは中学三年のころだ。母は三者面談の教室がわからず、その辺にいる生徒に適当に声をかけたらしい。
あの日も、漆黒の前髪を大きなカーラーで立ち上げ、毛先は外巻きでくるりとしていた。軽やかなのに隙のない香り、パリッと折り線の入った白い七部丈のパンツ。清潔感の塊のような女だった。
「ふーん」と気のない返事を見舞う。
クラスメイトは、なにか悪いことを言ってしまったかのような不安げな表情を浮かべ、こちらを伺う。万年反抗期だったわたしは、母親を褒められても本意ではない。ふんとそっぽを向き、足早にその場を立ち去った。
そもそも、わたしにとって母は、これっぽっちも似ていない異質な存在だった。なにがどうなって、この女からわたしが生まれ出たのか不思議で仕方がない。顔だって兄のほうが母に似ているし、母が用意する服はどれも気に食わない。オレンジなんてどう考えたってすきじゃないのに、無理やり着せようとする。
挙句、「どうして、こんな乱暴な言葉を使うのかしら」なんて、いけしゃあしゃあと言うのだ。
帰宅すると、すぐに口うるさくあれやこれやと聞き出したがる母。だから一緒にいたくない。
すぐに台所に向かえばいいのに、このときばかりはと、わたしを離さない。その話を遮るように、それとなく先の「美人」のくだりを伝える。ようやく黙る母。
おや、心なしか上機嫌。これはしてやったりだ。
あれはわたし史上、稀に見る親孝行だった。
大人になったらわかる。大人にならなくたってわかる。
「美人」なんて、そうそう人から言ってもらえる言葉じゃないのだ。
大人になった今、胸がぎゅうぅとなる。
わたしは生まれてからずっと、母のことを目の敵にしていた。
母からの着信音は長年、帝国のマーチ(ダース・ベイダーのテーマ)にしていたし、母の漆黒のボブヘアーを、ダース・ベイダーだと密かに思っていた。それが本人にバレたときは、特大のゲンコツをくらった。
母が用意した服を着なかっただけで、「罰」と称してひとり家に置いていかれたりする。些細なことでも思い通りにならないと癇癪を起こす母が、だいきらいだった。なにかっていうと、いつも当たり散らす矛先を探している。
ちなみに、置いてきぼりになった休日は、母がいない開放感で存分に満たされていた。禁止されていたテレビも見放題だし、一日中ぐうたら過ごせる。誰もなにも言わない。なんと自由であろう。このときから、わたしは一刻も早く自立してやると固くこころに誓った。
母に、何度も言った。
「あなたとわたしは違う。別人だ。いい加減、それを受け入れて」
それでも、母は頑固だった。息絶えるその瞬間まで、わたしのことを二番目の私にした。わたしが二十歳のときだ。
くそ、書いてたらしょっぱい水が垂れてくる。
母は、「おはよう、今日も綺麗だね」なんて、おべっか言ってくれる人がいなかった。
わたしも言うわけがなかったし、父はお喋りのくせに肝心なことをなにひとつ言わない。兄は最初から頭数にない。
母は、よく喋る人を嫌う。テレビを見ながら感想を言ったり、紅白歌合戦で流行りの歌を一緒になって歌うもんなら、「うるさい」と喚き散らす。「歌が上手ね」とか、「あのドレス、あなたにも似合いそう」なんて言われたことがない。
だから、誰も母を褒めなかった。
母は、若いころそれなりにモテたらしい。街を歩けばナンパされるわ、新婚旅行ですら、同じツアーに参加していた医者から手紙を手渡されるほどに。「あのときついて行ってれば」なんてよく言っていたけれど、堅物な母にはそんなことできやしない。
ああ、母が薄情な女だったら。癌も早期に見つかり、今も生きていたろうに。
馬鹿な女。
母は、いつだって完璧を愛す。
すべての服にアイロンがけをしないと箪笥に入れられない。
外出前は完璧なコーディネートが見つかるまで、服を着ては脱ぎを繰り返し、泥棒に入られたかのように部屋を散らかす(それを父は『ファッションショー』と呼ぶ)。その『ファッションショー』に付き合わされるのは、決まってわたしだ。「もうなんでもいいんじゃない」と言うと、「もう出かけない」とキレ散らかす。
カラオケでも例外はない。馬鹿真面目に合唱のように歌うものだから、妹に揶揄われる。
出かける直前、車の中で赤いマニキュアを塗る。よれて、不機嫌になる。
あの夏のはじまり。すれ違っただけのクラスメイトの瞳には、古びた校舎のなかで母が輝いていただろう。
ツンとした横顔。年齢の割に、白くきめ細やかな肌。小高い頬。真っ赤な口紅を塗った唇には、きゅっと上がった両の口角。お決まりの、シミひとつない真っ白を纏い、颯爽と歩く母からはニナ リッチのレールデュタンがほのかに香っていたはずだ。完成され、そのまま時が止まった匂い。母のおしろいみたいな。
母は誰よりも完璧でいたかった。それが、母のすべてだった。
母は白が、わたしは黒がすき。どこもかしこも似ていない母とわたしだけれど、あの黒髪だけは、母らしさのなかできらいじゃなかった。
大人になってから、ずっと母はいない。
嫌いな色を着ることもない。出かける場所は、自分で決める。着信は鳴らない。
それが、気づけば何度も服を着替え、ベッドの上に積もらせる。帰宅後、これをすべて片付けなければ寝られないと考えると、出かけるのもほとほと嫌になる。
母の完璧さが及ばない世界で大人になったわたしは、母の「香水二箇条」だけを守っている。
出かける直前にはつけない。人に不快感を与えないよう、直接肌が出ている場所にはつけない。母の美は細部に宿るのだ。
薄暗い脱衣所。今日も腹、背中、膝の裏に、三度だけ香水を落とす。
あのとき、母はどんな顔をしていたのか。
鏡に映った女は、誰だ。
今でも、母をさして綺麗だとは思わないけれど、「わたしに似て美人だ」ってことにしておいたげる。
感謝してよね。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします!いただいたチップは書籍費に使わせていただきます📚