馬は嘘をつかない。第18回「お馬の親父Wが教えてくれたこと」
※第1回:1983年、ミスターシービーの衝撃
https://note.com/masudaya01/n/n8beb00becc52
第2回:1984年・毎日王冠――「やっぱり三冠馬だ」と思った日
https://note.com/masudaya01/n/n447b8d60439e
第3回:天皇賞(秋)ミスターシービーという到達点
https://note.com/masudaya01/n/nf4286bade4ca
第4回:ミスターシービーが負けた日
https://note.com/masudaya01/n/n5b39150a34f8
第5回:ミホシンザンという抵抗
https://note.com/masudaya01/n/n70424c1322c4
第6回:勝ったのは、騎手だった
https://note.com/masudaya01/n/n85d05c374b7e
第7回:サクラスターオーという異端
https://note.com/masudaya01/n/ncb4220df7bf1
第8回:二頭の葦毛 ― 1988年
https://note.com/masudaya01/n/n02d59a99df2c
第9回:二頭の葦毛‐ 昭和最後の決戦
https://note.com/masudaya01/n/n7d6f7aad1571
第10回:1989年、競馬は物語になってしまった
https://note.com/masudaya01/n/nba4c4aa9f0c3
第11回:1990年 ― オグリキャップ、最後の戦い
https://note.com/masudaya01/n/n36565555d9c1
第12回:子供が生まれ、一口馬主になった年
https://note.com/masudaya01/n/nb10da38d5b6f
第13回:最初に当たった種牡馬の話
https://note.com/masudaya01/n/ncda1d0e42388
第14回:クラシックロードという名の罠
https://note.com/masudaya01/n/n389612e757ea
第15回:時代が変わったことに、気づいていなかった年
https://note.com/masudaya01/n/n8ba5b5e28d85
第16回:変わらなかったから、別の馬を選んだ年
https://note.com/masudaya01/n/nad157708857d
第17回:ヒダカブライアンという、儚い夢
https://note.com/masudaya01/n/nd0e9d4227dfb
第18回:お馬の親父Wが教えてくれたこと
https://note.com/masudaya01/n/naf55c98bbf52
第19回:血統を“見たつもり”になっていた頃
https://note.com/masudaya01/n/n88ece84a1649
第20回「牧場ツアーという名の分岐点」
https://note.com/masudaya01/n/nfa73d69e87a4
第21回|1998年、ユニオンで夢を買った頃 — サンデーサイレンス/ブライアンズタイムの時代
https://note.com/masudaya01/n/nc8fdd5a2d153
第22回|1999年、持ち込み馬に夢を見た頃(デヒアとコジーン)
https://note.com/masudaya01/n/n50f1f607b769
※本稿は、当時の筆者個人の体験と印象を記録したものであり、特定の個人・団体を批判する意図はありません。
1996年は、愛馬ヒダカブライアンがクラシックを狙っていた時期だった。
その年のヒダカブリダーズユニオンのラインナップの中で、俺が選んだのがシャルード産駒、母スパングルス95である。
選んだ理由は単純だ。
ナリタブライアンの兄、ビワハヤヒデの産駒だったからだ。ブライアンズタイム産駒に続いて選んだ血統としては、いかにも俺らしい。
この頃の俺は、少しだけ血統的に知恵がついた気になっていたのだと思う(苦笑)。
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