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祖父・志賀直哉の足跡をたどる関西旅②

現代アートのコレクターであり、「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉のお孫さんでもある山田裕さんの収集生活や思い入れのある作品、祖父である志賀との思い出話などについてご紹介するこの連載。

第四回目は、志賀が奈良で出会い、親交を深めた写真家・入江泰吉にまつわるお話です。

もくじ
・いにしえの「奈良大和路」を伝承する写真家・入江泰吉
・志賀を中心とした「天平の会」で芸術家らと交流
・山田さんがトークイベント「入江泰吉を語り継ぐ」に登壇
・東大寺の旧境内にある、風情豊かな入江泰吉旧居

<取材協力>
入江泰吉旧居

いにしえの「奈良大和路」を伝承する写真家・入江泰吉


 去る2025年2月、山田さんは奈良市で一般公開されている「入江泰吉旧居」で開催されたトークイベント「入江泰吉を語り継ぐ」に登壇されました。実は前回の記事で志賀直哉旧居をたずねたのも、このイベントに出ることがきっかけだったのです。

 イベントの模様をお伝えする前に、まずは入江泰吉の経歴や人となりについてご紹介します。

 入江は、「奈良大和路」の仏像や風景、伝統行事、万葉の花などを撮影した写真家です。奈良市に生まれ、幼い頃から絵を描くのが好きだった彼は、画家を目指すも家族からの反対で断念し、当時まだまだ広まっていなかった写真の技術を学び始めました。26歳の頃には大阪に写真店を構え、広告写真や伝統芸能「文楽」の撮影などの多彩な仕事も手がけていましたが、大阪大空襲で自宅兼店舗が全焼してしまいます。

すべてを失った入江は40歳で家族と共に奈良へと移り、たまたま入った古本屋で亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』という本に出会い、古代史や仏教信仰に興味を惹かれます。そして古寺の巡礼を続けつつ、終戦を迎えます。そんなある日、彼は東大寺三月堂の前で、白布に包まれた四天王像が疎開から戻ってきたのを偶然目撃します。入江はその監視員と僧侶との会話から「仏像が米国に接収される」との情報を聞きつけ、貴重な文化財を写真に記録すると決意し、以後、奈良大和路の風景や仏像、行事などの撮影に専念したのです。

入江泰吉旧居に展示された旧国鉄の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の広告写真。

入江が半世紀以上にわたって撮影した写真は、およそ8万点にも及びます。仏像の写真はその彫像としての美を収めるだけではなく、仏教の教えを形にした「偶像」としての理想美に迫るため、厳粛な礼拝の気持ちを込めながら撮影を行いました。
大和路の写真は電柱や電線など現代的なものを排除し、古代から続く悠久の景色を写しとることを追求。たとえば川沿いの風景は、コンクリートの護岸が雪に覆い隠される日を待って撮影する、という徹底ぶりでした。

 また入江の代表作に東大寺の仏教行事「二月堂お水取り」に関する写真があります。入江は20数年間にわたってその撮影を続けましたが、本来行事は非公開で、内部の人も写真撮影を禁じられています。このため現在、初めてお水取りに籠もる僧侶は、入江の写真を見て参考にすることもあるのだそうです。

 このほか入江の作品は旧国鉄の観光キャンペーンなど奈良にまつわる広告にも数多く使用されていました。ですから奈良や仏像に関心のある方なら、きっと一度は入江の写真を見たことがあるのではないでしょうか。

 現在、
作品は入江泰吉記念奈良市写真美術館に展示されているほか、写真集や、過去に発行された特集雑誌などでも見ることができます。

入江が全作品や愛蔵品を奈良市に寄贈したことから開館した「入江泰吉写真美術館」。
入江作品の常設展示や、新進作家を含む多様な時代の写真の紹介も。設計は黒川紀章によるもの。

「天平の会」で芸術家らと交流


先述の通り、入江は大阪大空襲により、大阪から傷心の思いで故郷の奈良に戻ってきた経緯があります。20歳年上の文豪・志賀直哉とはその直後に、幼友達である東大寺観音院の上司海雲師を通じて知り合いました。

 その時、志賀は13年間住んでいた奈良から東京に居を移した後でしたが、行きつけの歯科医にかかるため、奈良の上司氏の宿坊にたびたび滞在しており、入江が志賀に会ったのもそのタイミングだったとみられています。

 入江の自伝によれば、彼は初対面の際、志賀の穏やかで気品に満ちた風貌に心惹かれたといいます。さらに志賀を撮影した時には、その静けさや調和を感じさせる風格の中にも、「瞬時ではあるが、まるで戒壇院の広目天に感じたと同じような厳しい眼差しが閃いた」とも記しています。

中央が志賀直哉。向かって左隣が入江泰吉、右側が上司海雲師。
(「入江泰吉記念奈良市写真美術館」提供)

 入江は、志賀の自宅において文化人が集う場であった「高畑サロン」を受け継ぐような形で開かれた観音院の「天平の会」において、画家・杉本健吉、歌人の会津八一、陶芸家の河合卯之助らさまざまな芸術家たちとの交流を深め、随筆家・白洲正子、文芸評論家・小林秀雄とも親しくなりました。入江が初の写真集を出したのは、小林秀雄から出版社を紹介されたことがきっかけでしたが、両者の出会いは志賀との交流によって生まれたものです。

志賀は随筆『奈良』の中で、古都奈良の魅力を「名画の残欠が美しいように美しい」とつづり、入江はその感動に共鳴するように、大和路に残る古代の気配を求めて撮影を続けました。

 入江は自伝に「私たちは戦争の惨禍という不幸に遭遇した。しかし、そのことによって、上司さんや志賀先生をはじめ多くの知識人に巡り会うことができ、計り知れない幸せを得たのである」と記しています。

山田さんがトークイベント「入江泰吉を語り継ぐ」に登壇


 昭和のはじめに育まれた入江と志賀のご縁は、令和の今もなお、山田さんが入江泰吉旧居との交流を深めることで、受け継がれています。
 イベント「入江泰吉を語り継ぐ」では、旧居の事業コーディネーターで奈良市観光大使でもある倉橋みどりさんを聞き手に、山田さんが「孫から見た志賀直哉の思い出」や「入江泰吉との関係」についてお話しされました。

当日は雪が降る中、二十名近い方が集まり、和やかな雰囲気の中での開催に。
皆さんメモをとるなど熱心に聞き入り、質問も飛び交うホットなひとときでした。

 そこで語られた驚きの事実なのですが、山田さんは学生時代、入江泰吉に弟子入りする話があったそうです。

 山田さんは学生時代から写真が趣味で、自ら現像やプリントも行っていました。「将来写真関係の仕事をしたい」と考えていたところ、祖父の志賀からそのような話が持ちかけられたのですが、山田さんは「入江泰吉の作品と、自分のストリートスナップとでは次元が違う」と思い、その話が実現することはありませんでした。

 山田さんは現在も写真を趣味とし、イラストレーションやタイポグラフィも得意で、繊細なアートセンスの持ち主です。山田さんがもし入江に弟子入りしていたら、どのような写真を撮影していたでしょう。

旧居の離れにある入江泰吉の暗室にて。使い勝手をよくするために設置された棚は入江の自作。

トークの中では、山田さんが登場する志賀の随筆が「やや盛られていた」という、孫だけが気づいた知られざる事実も公開されました。

志賀の「赤い風船」という作品です。内容は、子どもの頃の山田さんが、母の田鶴子さんと一緒にフランス映画「赤い風船」を見た際、主人公が大切にしていた赤い風船が割られてしまうシーンで大声で泣き出し、それを母と祖父・志賀にからかわれた、というもので、随筆では以下のような続きが書かれています。

「私はその翌々日、銀座に出たので、露店で映画の風船と同じ位に大きくなる赤い風船を買って来た。帰ると、偶然、また田鶴子と裕が来たので、脹らましてやったら、それを抛り上げたり、蹴鞠についたりしていた。裕は田鶴子の長男で、この春から幼稚園に通い出した児である」

(志賀直哉随筆集「赤い風船」より

しかし実は、山田 さんは子どもの頃から風船が大の苦手。風船で遊んだことは皆無だったのだそう。さすがは小説の神様。読者がこの随筆を読み、赤い風船で遊ぶかわいい男の子をイメージしてほっこりした気持ちになれるように…とのサービス精神だったのかもしれませんね!

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東大寺の旧境内にある、風情豊かな入江泰吉旧居


入江泰吉旧居は東大寺の旧境内の水門町にあり、昔ながらの土塀や古い家が連なる風情たっぷりの町並み。入江は少年時代の一時期もこの町で暮らしました。

 入江が戦後から亡くなるまで暮らしたこの家は、興福寺の僧侶の住まいである塔頭(たっちゅう)を移築したものと考えられています。入江はここで作品の構想を練り、暗室で現像を行うなどの仕事をし、読書、絵画、彫刻などにも勤しみました。またここには志賀直哉をはじめ多くの文化人も来訪しました。

建物の高低差をうまく利用した造り。
下の川岸から眺めると2階建てのように見えますが、実際には平屋建てというトリックが!


 旧居は現在も入江が住んでいた昔のままの雰囲気が保たれています。倉橋さんは旧居の保存に関する話し合いの中で、修繕や説明表示も必要最低限にとどめたいと考えたそうです。
 このため、本当に自宅にお邪魔したような、入江が今にも「ようこそ、いらっしゃい」と出てきてくれるような雰囲気を感じられるのです。

美術や歴史、仏教などの本がぎっしりと並ぶ応接間。ここで志賀と語らったひとときも。


 また受付のデザインは、先に一般公開されていた志賀直哉旧居の受付を参考にしているそうです

こちらがその、壁をくり抜いてカウンターを設置した受付です。


 山田さんも大好きだという入江のアトリエは、斜面に張り出すような設計で、庭の花々や、川の景色を眺めることができます。

 入江の助手をしていた写真家・桑原英文によれば、桑原がプリントのチェックを受ける際にここに入ると、入江はいつも机で絵を描くか彫刻をしていたそうです。読書や絵画、彫刻は入江の趣味であると同時に、その作品に重要なインスピレーションをもたらしていました。

「数十年間あの書斎の机で本を読み、文を書き、庭を眺めながらランニングシャツ一枚で絵を描き、汗を流しながら木仏を掘らないと(あの)写真は撮れまい」と桑原はのちに『別冊太陽 入江泰吉のすべて』(平凡社)に書いています。

アトリエ。弟子の桑原は、「入江泰吉の写真制作は現場ではなく、
あの部屋ですでに始まっていたように思う」とも記しています。
アトリエに続く和室にも本がたくさん。

入江泰吉旧居では、入江ゆかりのスポットや万葉の花を巡る散歩や、俳句づくりの講座など多彩なイベントも開催されていますので、ぜひ足を運んでみてください。

以上、祖父・志賀直哉の足跡をたどる関西旅②でした!
次回もどうぞお楽しみに。

編集協力:最華鷹市

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※山田さんのプロフィールや活動についてはこちらの動画でも詳しく解説されています。気になる方はぜひ!
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・山田裕(やまだゆう)さんプロフィール:1951年東京都杉並区生まれ、自由が丘在住。母方の祖父は志賀直哉、父方の曾祖父は大久保利通の甥で鉱山学者の山田直矢。学習院大学理学部物理学科卒業。総合エンジニアリング会社日揮を経て、日揮・実吉奨学会を退職後、志賀直哉についての発信をしながら、現代アートを収集。志賀ゆかりの地である千葉県我孫子市の白樺文学館に遺品を寄贈している。

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