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『暗夜行路』が、再び我孫子で開かれた日

現代アートのコレクターであり、「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉のお孫さんでもある山田裕さん。この連載では、その収集生活や思い入れのある作品、祖父である志賀直哉との思い出話などについてご紹介します。

第八回目は、山田さんが実行委員長を務めたアートフェスティバル「白樺芸術祭ABIKO」についてのお話しです。

白樺派文人たちと、現代アーティストが響き合う「白樺芸術祭ABIKO」の実行委員長として参画

ポスターの絵は、以前我孫子で滞在制作した画家・時任海斗さんの作品が起用されました。

千葉県我孫子市は、志賀直哉や武者小路実篤ら白樺派の文人・芸術家たちが滞在し、創作に励んだ地として知られています。

2025年11月15日から12月28日まで千葉県我孫子市の駅前を中心に開催された 白樺芸術祭ABIKOは、その精神を現代に受け継ぎ、白樺派の足跡と現代の若手アーティストをつなぐ新たな文化芸術の祭典。

我孫子駅南口階段に、フジロックフェスティバルやNFLなどでも活躍するアーティストHOLHYさんによる大型壁画が登場。


我孫子の歴史と創造性を再発見しながら、過去と未来が交差する物語をこの地に育み、次世代へとつなげる試みとして、我孫子市の市制施行55周年を記念し、市民・大学・行政・企業(産学官民)が連携して開催されました。

山田さんはその実行委員長として参画し、志賀直哉の孫であり現代アートコレクターでもあるという視点から、芸術祭のコンテンツ作りや見せ方について、委員会メンバーと協議を重ねてきました。

祖父の代表作「暗夜行路」の上映会を開催

映画「暗夜行路」のポスター。

芸術祭のプログラムの中でも、静かで深い余韻を残したのが、12月10日に行われた映画『暗夜行路』の上映会でした。
『暗夜行路』は、志賀直哉が25年という歳月をかけて完成させた、唯一の長編小説。大正4年(1915)から12年(1923)まで、志賀が我孫子市に暮らし、この地で書き継がれた作品です。

会場は、我孫子駅前の公共施設・けやきプラザ内のホール。

映画『暗夜行路』はDVD化されておらず、上映はフィルム映像によるものでしたが、ホールにはフィルム映写機の設備はなく、東京都八王子市から映写専門業者の方2名が、映写機2台を携えて準備してくれました。

本番前には山田さんも映写室を見学されました。

映写室にて、実行委員会のメンバーと。

「『暗夜行路』は2時間24分の映画で5本のフィルムロールからなっており、2台の映写機を交互に使いながら、フィルムを約30分ごとに移行します。
映写担当の方は、移行するタイミングフィルムに刻まれた小さな印をみながら交換作業をするのですが、見ている方は映写が切り変わったことに全く気づきません。これには驚きました」と山田さん。

上映会には多くの方が来場し、関係者席以外はほぼ満席でした。
映されたモノクロ映像は大変美しいもので、俳優さんたちの美しさや演技も素晴らしいものでした。本当に貴重な体験ができたと思っています。映写室では『ニューシネマパラダイス』のような気分も味わえて最高でした!」  

大の映画好きでもあった志賀直哉の素顔

トーク終了後の撮影タイムにて。

上映後は、 山田さんのミニトークも企画され、筆者が聞き手を務めました。ミニトークの冒頭、山田さんは会場にこう語りかけました。
「暗夜行路の原作を読んだことがある方、いらっしゃいますか? 長編ですし、なかなか手に取りにくい作品ですよね。でも、この映画は、物語の概要を知る入口としてとても良かったと思います。ぜひ、これをきっかけに原作にも触れてもらえたら嬉しいです

志賀直哉と映画との関係にも話が及びました。山田さんによれば、志賀は大変な映画好きで、どこに住んでいても近くの映画館に足繁く通い、それは晩年まで続いていたとのこと。

映画評論家・貴田庄さんの著書をひもときながら、志賀が映画についてコメントする存在、いわば当時の“インフルエンサー”的役割を果たしていたこともわかりました。

また映画監督の小津安二郎が20歳年上の志賀を深く敬愛していたこと、『暗夜行路』の映画化を何度も相談しながら、最終的には断念したこと。そして、文芸映画を数多く手がけた豊田四郎監督が、強い敬意と覚悟をもって映画化に挑んだことも明かされました。

映画のワンシーン。左が池部良です。

さらに主演の池部良と志賀直哉の信頼関係があったからこそ、この作品の映画化が実現したそうです。
そんなエピソードの一つひとつが、映画の奥行きを増していきました。


芸術祭ワンデーイベントで広がる「白樺」の現在形

市内の高校書道部によるパフォーマンスも大盛り上がり!

11月30日には、白樺芸術祭のワンデーイベントが開催されました。
我孫子駅前の観光案内所、公民館、レンタルスペース、駅前に続くストリートにわたって、物販・飲食テントやワークショップ、講座、講演、パフォーマンス、コンサートなどが行われ、まち全体が、文化と表現でゆるやかにつながる一日となりました。

山田さんと、我孫子市学芸員の稲村隆さんとの講演も。
東京都世田谷区「ギャラリーセントアイヴス」代表・井坂浩一郎さんによる特別講演では、我孫子に暮らし白樺派と親交のあったバーナードリーチの生涯について語られました。

100年前、この地に集った白樺派の人々がそうであったように、
「文化芸術について語り合い、感じ合い、持ち寄る」ことで生まれる空気。
それが、今の我孫子にも確かに息づいていることを、多くの来場者が体感した時間だったように思います。

白樺芸術祭と姉妹イベント関係にある「SHIBUYA AWARDS」のみなさんによるトークも。
全国各地の芸術家が我孫子で語り合う様子に、白樺派文人たちが導いてくれたご縁を感じました。

なお芸術祭の会期中、市内二か所の会場において、市内在住の写真家 本城直季 さんの写真展も開催されました。

旧井上家住宅の土蔵における展示。

日常の風景を、まるでジオラマのように切り取った作品群は、見慣れたはずの世界を、少しだけ違う角度から立ち上がらせます。
会場となった市の文化財でもある旧井上家住宅の土蔵、市民施設・アビスタのミニハウスのような展示空間——場所そのものも含めて、作品体験になる展示でした。

志賀直哉の作品が、静かに生き続けるために


「暗夜行路」上映会トークの最後に、山田さんはこう語りました。
「祖父は遺言に、『名誉は求めないが、作品の小さな断片でも後の世代に残ってくれたら嬉しい』と書いていました。その遺言を受けて、僕は祖父の作品を残す活動を続けているんです」

作品の研究は研究者に委ねつつ、孫だからこそ語れる記憶や、土地とのつながりを手渡していく。その姿勢は、白樺芸術祭という“場”そのものとも重なって見えました。

会期中は「志賀直哉」のキャラクターを含む人気ゲーム「文豪とアルケミスト」のパネル展示も。祖父の作品が広まるきっかけとして、こうした新たなメディアの登場も嬉しい、と山田さん。

奇しくも2024年、その『暗夜行路』の草稿(下書き)が、我孫子市内の個人宅から新たに発見されました。ノートに鉛筆で書かれ、何度も推敲された跡が残る草稿は、白樺文学館で2026年3月1日まで展示されています。

山田さんは後日、同志社大学の 生井知子 先生による講演にも参加し、草稿からどのように作品が形づくられていったのか、研究者の視点からの興味深い話を聞いたといいます。最後に祖父・志賀直哉と祖母・康子の関係についても話題になり、山田さんが「孫の目から見た二人の姿」についてお話したことで、人としての志賀直哉の輪郭が、さらにくっきりと立ち上がる瞬間がありました。
講演後には白樺文学館へ足を運び、展示中の草稿について学芸員から直接解説も受けたそうです。

白樺派の文人たちによって100年前に芽吹いた文化は、形を変えながら、今も続いています。
『暗夜行路』の上映会、草稿をはじめとするさまざまな展示、ワンデーイベント、そして写真展。それらが折り重なったこの時間は、我孫子の現在地を、静かに、しかし確かに照らしていました。

ご来場、ご参加の皆さま、ありがとうございました!

写真:中村祥一
編集協力:最華鷹市

<山田さんのほかの記事>
現代アートコレクター山田裕さん①
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祖父・志賀直哉の足跡をたどる関西旅①
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祖父・志賀直哉の足跡をたどる関西旅③
山田家と杉並区・荻外荘公園
『プラチナファミリー』出演とその舞台裏!

※山田さんのプロフィールや活動についてはこちらの動画でも詳しく解説されています。気になる方はぜひ!
「稲村雑談特別版②華麗なる一族!!山田家とは?!」
稲村雑談番外編山田裕・稲村隆「孫が語る志賀直哉像」(前編)
稲村雑談番外編山田裕・稲村隆「孫が語る志賀直哉像」(後編)
阿川佐和子 × 山田裕対談 MC 稲村隆

・山田裕(やまだゆう)さんプロフィール:1951年東京都杉並区生まれ、自由が丘在住。母方の祖父は志賀直哉、父方の曾祖父は大久保利通の甥で鉱山学者の山田直矢。学習院大学理学部物理学科卒業。総合エンジニアリング会社日揮を経て、日揮・実吉奨学会を退職後、志賀直哉についての発信をしながら、現代アートを収集。志賀家、山田家に関わる遺品を、志賀ゆかりの地である千葉県我孫子市の白樺文学館と杉並区立郷土博物館に寄贈している。

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