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たぬきがのん気に暮らせる国、ニッポン

 今日は夏至。本格的な夏の始まりだ。
 日本スポーツ界の選手やサポーターの善良さ(ゴミの回収や路上応援の際の交通ルールの遵守など「場」に対する振る舞い)が話題になる中、今日行われたサッカーFIFAワールドカップのチュニジア戦は日本が勝利した。

 けれども暑さのピークはまだ先。
 雨量は少ない気がするけれど、今年はどこか懐かしい梅雨の再来を感じる。そして今日は朝からやたらと風が強い。

 夏至は一年で最も昼が長く、夜が短い日だ。
 言い換えれば太陽の恩恵を一年で一番多く享受できる日(天気次第)。
 アースデイ(4月22日)や夏至にはキャンドルナイトで過ごしてみたり、全国のタワーや施設が一斉消灯するライトダウンキャンペーン、いわゆる「節電アクション」が実施される。

 これは誰でも、自宅に居ながらでも、できる取り組みである。

 メガソーラーは結局のところ、現代人の暮らしぶりのために、人が好むサービス提供のために建設されるという側面もある。今日くらいは自分の生活になくても良い電力消費やサービスを見直してみても良いんじゃないか。

 例えば今の時代なら、今日だけはAIを使わずに生きてみる、とか。


生駒山系・竜田川流域に暮らす

 先日、奈良県西部に位置する生駒郡平群町のメガソーラー建設の差し止めについて、二審は反対する住民側の逆転勝訴となった。これを受けて住民側は奈良県知事に上告しないよう求める書状も提出した。
 少しホッとした。
 無惨に切り拓かれた山からは、一年半の間に三度の土砂流出事故があり、メガソーラーが稼働すれば、高電圧の送電線の下を児童が通学しなければならないという側面もあった。

 ハゲ山の植生が回復し、地盤を支えてくれるようになるまで何年かかるだろう。結局、人工擁壁で覆う土木工事が必要なんて話にもなりそうで怖い。
 オマケに許可を出したのは奈良県なんだから、後の一切のことは税金でやってくださいなんて話にもなりそうな気がしている。徴収されている森林税にしたって、そんな目的の為ではないだろうに。

 このご時世だから念の為に断っておくが、植生を回復しても生駒山系は熊が暮らせる森にはならない。森に厚みがなさ過ぎる。そもそも人里との距離が近過ぎるのだ。
 本来、熊と人の双方が安心して生きていくためには、熊が来ない人間領域が必要であるのと同じく、人が入っていかない熊領域も必要なのだから。
 食べ物だけの問題だけではないはずだ。

 生駒山系、竜田川流域、これはモロに地元の話。
 私は平群町民ではないけれど、同じ流域を大切に思っている。

彼らの居場所

 竜田川のもう少し上流域、同じ生駒山系の中で暮らしていて感じるのは、特にここ数年、野生動物の居場所に激しい混乱が生じているのではないか、ということだ。
 うまく説明できないが、気配が変化している、と思う。
 これは子供の頃からずっと森のそばで木々のざわめきを聞き、鳥の声を目覚ましに生活しているに過ぎない者の単なる感覚的なものだけれど。

 森のある領域が切り拓かれれば、そこに居た彼らは別の場所に移るしかない。ただでさえ人が増え狭くなってゆく野生動物の生息環境に、さらに他所から野生動物が移動してくれば、空間的にも食べ物的にも競合が起こる。

 例えば、のほほんとした日本在来種のホンドタヌキと、気性の荒い外来種アライグマなら、たぬきの方が淘汰されるだろう。おそらくアライグマ相手には、彼らの「化学ばけがく」は通用しない。
 実際、ここ十数年はたぬきを見かけていない。それはたぬきの活動時間に私が外に居ないだけだと思いたい。

アライグマ
たぬき、どこ行った?

話は別の流域にシフトする

 ところで、同じく奈良県の生駒市高山町の話もしておきたい。
 こちらは竜田川流域ではなく、お隣・富雄川の源流域である。
 大阪・京都・奈良の三県が隣接するエリアでもあり、金剛生駒国定公園や保護樹木等を除いてベッドタウンとして殆ど開発され尽くされている生駒において、今なお豊かな里山環境が残る。
 しかし、この領域が今、大規模開発計画に晒されている。

 特に気になるのは、絶滅危惧種に指定されるサシバの営巣が確認された第二工区に、新たにデータセンターの建設が計画されていることだ。
 データセンターとはつまり、莫大な電力消費者である。
 それはつまり、生駒市周辺のどこかにはメガソーラーが必要だという話だと解釈しても的外れではないように思う。

 平群町がダメなら、別の候補地を。
 最も都合が良いのは高山町の山を切り拓いてメガソーラーを建設することだろう。送電線が長いほど、発電した電力ロスも大きくなる。それなら最も消費電力の大きなエリアに隣接する形で建設するのが合理的だ。

 これはあくまで想像に過ぎないが、もしそうなれば、大和川の支流でもある富雄川の源流域が、まだ辛うじて残されている里山原風景と生態系が、諸共失われてしまう可能性が極めて高い。

   *

 これらは「ほど良いまち、流域と暮らし、環境哲学」を掲げて書く立場としても、同じ流域に暮らす者としても触れておきたい話題だった。

書き手として

 昨日あらためて、『環境哲学とネイチャージャーナリング』と題した記事を書いたのは、そういった時事的な話題とは全く別の流れからだ。

 今年3月の終わり頃にメンバーシップを立ち上げたものの、私の中で微妙に方向性が定まっておらず、メンバーになってくれた方に対してずっと申し訳ない想いを抱いている。仕切り直しという訳でもないけれど、書き手としてのスタンスをあらためて言葉にして書き下ろした。

 その流れで、私のメンバーシップのプラン名がなぜ「たぬき」なのか、という話もこちらにひっそりと書き置いた。ネイチャーライティングの筆を取る上でも、(個人的に)たぬきは根源的なものかもしれない。
 この文章が少しずつ人目に触れることを祈る。

リアルに描かれる「たぬき」

 私は基本的に自分の記事には自分で撮影した写真を使用している。
 なぜならその記事を有料化したり、メンバーシップ特典にしたり、コンテストに応募することも視野に入れているからだ。

 ただ、私の手元には野生タヌキの写真が無い。
 そのため今回、たぬき関連の記事にはnote『みんなのフォトギャラリー』でお見かけして一目惚れした、たぬき絵師「どんぐり子(たぬき絵)」さんのイラストを使わせていただいた。
(だから、もちろんこの記事はオープンにしておく)

どんぐり子さんの絵がフィッシング詐欺サイトに悪用されていたそうです。
以下、ご本人からの注意喚起

物理的にも心理的にもクリエイターの意欲を削ぐ由々しき事態です。
この記事でみんなのフォトギャラリーの絵を使わせていただいた期間は短かったですが、作品を守る方が大事です。絵が掲載されていた記事は取り下げられていますが、以下のリンクは残します。

 『なぜたぬきなのか』という記事には、画家タヌキとモデルたぬきを。

 この記事のTOP画像には、キノコに遭遇するたぬきを。

 そしてもう一つここで引き合いに出したいのは、「どんぐり子(たぬき絵)」さんが人に贈るために緑の背景に四匹のタヌキを描いた話である。

緑といえばタヌキ。

「なぜ絵を描くのか」わかった話|どんぐり子(たぬき絵)さん

 そりゃそうだ。もう物心ついた時から染み付いている。

 で、きつねが赤でしょ。
 あれ……なんで赤? あ、稲荷神社の赤い鳥居かあ〜
 じゃあ、たぬきはなんで緑?

 そんな風にワーッと色々溢れかえってきたところに、

草むらから数匹のタヌキが顔を出して見守っている。
……(中略)……
タヌキが森に溶け込んでいる感じを出したい。

「なぜ絵を描くのか」わかった話|どんぐり子(たぬき絵)さん

 それやあぁぁ〜!
 と、手元にある(架空の)ボタンをバンバン叩きながら、私も画面のこちら側からフワッフワのタヌキたちが生まれゆくメイキングシーンを眺めた。

 身近なところで、またそんな風にたぬきたちに草むらからひょっこり顔を出してほしい。まるでリアルな未来絵図を目の当たりにした気分だった。

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