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設計者でなく発注者の問題


同じ建築家でも。。。

THE MEIBIA MIYAZAKIで感じたこと

THE MEIBIA MIYAZAKI_エントランス
THE MEIBIA MIYAZAKI_ロビー
THE MEIBIA MIYAZAKI_客室
THE MEIBIA MIYAZAKI_ブックラウンジ
THE MEIBIA MIYAZAKI_ラウンジのドリンク内(オールインクルーシブ)

宮崎で宿泊したTHE MEIBIA MIYAZAKI(旧ガーデンテラス宮崎)を前にすると、有名建築家の設計による公共施設をめぐる議論の多くがどれほど本質からズレたものかが見えてくる。
設計者には同じ「隈研吾」という名前が付いていても、民間のホテル(MEIBIA)では空間が整い・体験が成立し、静かに"回っている"。
一方で行政の世界では、比較的短いスパンで同氏の設計による各地の公共施設の劣化や膨大な修繕費がニュースになり、責任の所在が曖昧なまま炎上している。違いは木材かどうかでも、設計者の人格・スキルでもない。発注者が、経営感覚を持っているのか、経済合理性をベースにしたプロジェクトとすることを前提にしているかどうかである。

THE MEIBIA MIYAZAKIとは

隈研吾建築都市設計事務所の紹介によれば、旧ガーデンテラス宮崎(現THE MEIBIA)は工場跡地を中庭型ホテルとして再生したものとされている。
「竹」をテーマに外壁・インテリアに竹を用い、周辺住宅に配慮して2階建てとしている(竣工2012年、延べ面積4,562㎡)。更に2024年には新館の整備や名称変更が行われ、新館は客室18室の増設、中庭への宿泊者専用温水プール・ジャグジー整備など"体験価値のブラッシュアップ"が行われている。

MEIBIAでは、設計の説明が最初から「何を表現したいか(≒意匠))」だけで閉じず、オールインクルーシブで「どんな体験をどう成立させるか(≒コンテンツ)」に踏み込んでいる。ここに民間事業者としての発注者の意図が見て取れる。

経年は味わいor劣化?

実際に宿泊してみると、竹のルーバーには経年変化が見られるが、「劣化」とは全く異なる状況にある。清掃・維持管理が行き届き、周囲の植栽等の外構との調和も良好な水準で保たれており、竣工直後では決して出せないそこの場が醸成してきた「味」になっている。また、竹を含めた劣化が容易に想定される木材等は建築上必須の構造・屋根・外壁等として使用していない。
MEIBIAではこれらの素材と時間の経過に伴う侘び寂びに近い空気感、洗練された意匠、何より高質で丁寧なサービス等、全体の体験価値が高いクオリティで提供されている。「この空間にいること」自体が心地よいとき、適切に管理された素材の経年変化は「味わい」になる。「この空間にいること」に価値を感じず、適切な管理もなされず放置されたまま時間を浪費してきた(≒愛されてこなかった)とき、同じ経年変化は単なる「劣化」になる。

「劣化」が報道された公共施設

公共施設の場合は、しばしば指摘しているように「建設すること」がゴールになりやすい。「建設すること」に向けては一般財源だけでなく補助金・交付金や起債に依存してでもイニシャルコストを徹底的にかき集め、庁内の人員・組織等も最大限に投入して、身の丈以上のリソースをかける。しかし、「そこがどのような場で誰にどのようなサービスをどのグレードで提供するのか」やそもそも「誰がどう経営するのか」がセットアップされていないことが大半である。更にいえばランニングコスト・維持管理運営体制が事前に検討され、十分に確保されている例などはほとんどないだろう。

那珂川町馬頭広重美術館

栃木県那珂川町の馬頭広重美術館は2000年に開館し、隈研吾の代表作の一つとして知られる。地元産の八溝杉を用いた繊細なルーバーが特徴的な建築である。歌川広重の肉筆画を収蔵する美術館として「広重の浮世絵に見られる日本の原風景」を建築で表現したとされる。

ふるさとチョイス_GCF

現在、開館から24年が経過し老朽化が進んでいる。報道によれば大規模改修には300百万円規模がかかる見込みであり、町はふるさと納税やクラウドファンディングで資金を集めようと奔走していたが、残念ながらクラウドファンディングでは目標額を10,000千円としていたものの期間内には1,796千円/93人しか集まることはなかった。つまり、この美術館に「自分の金」を出してでも応援したい人は100名もいなかったことになる。これが愛されていないハコモノの実態である。

那珂川町の人口は約14千人。2025年度の当初予算は一般会計総額9,680百万円(うち町税1,812百万円)の財政規模から見れば、300百万円は決して小さな金額ではないし、はっきり言って(町税の1/6に及ぶ大規模改修費の捻出は)完全に無理ゲーの世界である。この改修費をどう捻出するかで、町は頭を悩ませている。

馬頭広重美術館の開館は2000年で、総務省が公共施設等総合管理計画の策定を要請したのは2014年であることを考えても、当時はまだ行政に「公共施設マネジメント」という概念は一般的ではなく、維持管理運営コストの重要さやLCCの概念なども浸透していなかった。その意味で、当時の発注者を現在の基準で一方的に批判することはできない。

だが、2025年の今、同じ言い訳は通用しない。LCCという概念は広く知られ、維持管理を見据えた設計・発注が求められることは(民間では)常識・大前提となっているはずだ。
それでもなお、全国各地で同じ構造の失敗が繰り返されるのは、発注者としての行政が「知っているがやらない」からorそれを超越した「何らかの不純な動機」があるからor「今が良ければ(今をやり過ごせば)揉めなくて済む」といったプロ意識の欠如した思考回路・行動原理があるからである。

富岡市役所

富岡市役所は2018年に完成し、総工費は4,000百万円規模と報じられている。世界遺産「富岡製糸場」のあるまちにふさわしい庁舎として整備された。「シルクの街」にちなんだ白いファサード、地元の木材を使ったルーバー、市民が集う広場。表面上のザ・行政の掲げる方向性としてはそれらしい言葉が連ねられている。

しかし完成からわずか7年で外装の劣化が問題となった。市の説明では、木材自体の腐食は確認されず、軒裏金具の錆膨張で水切りが塞がれ、雨染みが生じたとされている。
富岡市の人口は約46千人。4,000百万円の庁舎を建てた直後に劣化が報じられれば、(この修繕費の市負担はないとはいえ)市民からの視線が厳しくなるのは当然である。
コンセプトとして「市民と共に進化する安全安心な100年庁舎」を掲げながら7年でこのような事態に陥るのは、なんとも皮肉な現実である。

高尾山口駅

東京都八王子市の高尾山口駅は(京王電鉄の駅であり、行政の保有する建築物ではないが)2015年にリニューアルされ、杉材を多用した和のデザインが施された。約3,000千人/年が訪れる高尾山の玄関口として「山に溶け込む駅」をコンセプトにしており、竣工直後の2016年度にはグッドデザイン賞を受賞している。

しかし利用者から「柱の黒ずみが目立つ」「劣化が早いのでは」という声が上がり、かなりの速度でカビが発生していることが指摘されている。
グッドデザイン賞を受賞しながらも、実態としてまともなメンテナンスがされない・することが困難・想定を大きく上回るランニングコストが要求される意匠・収まりでは本末転倒と言われても仕方ないだろう。

八雲庁舎

こちらについては、実際の維持管理ベースで発生した問題ではなく、物価高騰等の影響により庁舎の建設に関する入札が2度不調になり、白紙撤回したものである。これも基本設計(70,000千円)・実施設計(120,000千円)をかけており、この費用が無駄になったのではないかと報道されている。
木下斉さんがnoteやYouTubeで解説されているので、詳細はそちらを確認いただきたいが、坪単価が3,420千円だとのこと。。。
図面にあるような巨大な大屋根も含めて、この意匠・坪単価ではとても維持管理運営コストが捻出できないだろう。

前述の事例も考えると、この設計段階で入札不調や町長の抗体などの害物的な要因があったとはいえ、立ち止まることができたのは不幸中の幸いなのかもしれない。

「木が悪い」わけではない・だけではない

木だけに責任転嫁?

これらはメンテナンス性の悪い(雨がかりのある)部分に木材を使用したり、腐食剤との相性の悪い木を採用したことが「物理的な要因」であることは間違いない。「木が悪い」と短絡的に言ってしまえば一瞬で気持ちよく終われるかもしれないが、その結論は(もちろん必要条件ではあるのだが)表層的な課題解決でしかなく、次の失敗の準備にしかならない。
全国各地で素材を変えても、設計者を変えても、同じ地雷を踏む・踏み続けている。上記の事例はかなり顕著な事例ではあるがどれも行政では「あるある」ネタでしかない。なぜなら地雷は「発注者としての行政の思考回路・行動原理」の中に埋まっているからである。

高槻市のブロック塀事故(事件)でも

2018年の大阪北部地震では、小学校プールの目隠し用に設置されたブロック塀が倒壊し、小学4年性の女子児童1名が死亡する事故が発生した。
これを受けて全国の自治体がブロック塀の緊急点検を行い、「ブロック塀だけ」の応急措置を実施していった。
しかし、本来ここで目を向けるべきは「なぜこの事故が発生したのか」である。高槻市の事故報告書等でも記されているとおり、このブロックは「学校プールが周辺から覗かれるかもしれないから」と設置されたものであり、その後の建築基準法に基づく12条点検等でも危険性が指摘されていた。しかし、高槻市は真剣に対応することもなく放置・風化させ、このような事故を引き起こしたのである。「不作為による事件」とも言える事態である。

2018年台風21号による被害_高槻市の学校体育館(写真:日韓建設工業新聞)

そして、これがブロック塀だけの問題でないことは、2018年の台風21号で同市の学校体育館の軒天が崩落したことでも明らかである。この時は偶然にも影響範囲に人がいなかったから人的な被害が発生しなかったが、維持管理・メンテナンスをおろそかにしていることの代償はいつ襲ってくるかわからないし、その被害は甚大なものになる。特に市民の生命・財産を傷つけるようなことがあったら、それは永遠に取り返しのつかないものになってしまう。
何より、他人事だからこのような事件が全国各地で後を絶たないことを忘れてはならない。もし、あの通学路や体育館を自分やその家族が毎日利用するとしたら、その危険性を認知していたら同じような「放置」をしていただろうか。あるいはこうしたリスクを助長しかねない意匠を優先したメンテナンスに問題がある設計を許容していただろうか。

公共施設が壊れる根本的な課題

公共施設が壊れる根本的な原因は、行政が一般的に揶揄される「経営感覚がない」「竣工がゴール」だけではない。これに加えて、破壊力の強い毒として偉い人・有名な人に対する無垢すぎる盲信・ミーハー心も輪をかける。
「あの人は有名だから安心」「大企業なら間違いない」という根拠のない思考回路・行動原理である。
また、政治に関わる(一部の)首長や議員はいまだに昭和100年のお花畑の世界にいるので、「私が大先生にお願いして我がまちにもこんな立派な公共施設が」と(メンテナンス性やコストは度外視して)見栄えだけに価値観を置いた「政治決定」をしてしまう。
象徴的な造形、語れる物語、写真映え、記念式典のための"分かりやすい成果"。そして極めつけは、「みんなの夢」をかき集め、矛盾する要望まで精査することなくごちゃ混ぜに盛り込み、補助金・交付金・起債でイニシャルを突破してでも"とにかく大きく立派に作る"ことで「やった感」を最大化する衝動である。

こうした発注者の経営感覚の欠如した要望≒欲望に、受注者としての設計事務所はプロとして先鋭的な意匠・他ではやらない実験的な収まり・特殊な構造計算を要求される構造等で応えるから、そこにはお互いの悪い意味での対等・信頼の関係、Win-Winの構図が生じる。

発注者としての行政と民間の違い

行政は「象徴」、民間は「サービスレベル」を求める

公共施設の意思決定が象徴(≒意匠・見栄え・規模に全振りしたどデカいハコモノ)に傾きやすい理由は、単に政治が悪いからではない。(一部の経営感覚を持った自治体は別だが、一般的な)行政と民間の「求めるもの」が違うからである。

行政の世界で"勝ち"の瞬間として語られやすいのは、竣工式典や引き渡しである。「目に見える形ができた」「自分たちのものになった」事実である。謎の「やった感」で高揚してしまうが、ここに「有名建築家」「大企業」「権威ある委員」等の看板、行政用語で言うところの「格式」が乗ると、勝ちは更に(行政の閉じた社会では)高い価値のあるものに昇華されていく。象徴が短期的な政治成果として機能し、(どれほどの因果関係が存在するかはそのまちの民度にもよるだろうが)「集票装置」に化していく。

だが建築物は竣工がゴールではなく、本来は竣工がスタート地点である。
竣工した瞬間から光熱水費が発生し、清掃もしなければいけないし、法令に基づくものも含めて点検と修繕等の行為が物理的に必要になる。そしてこれらの大半は多少のマネジメントが働くとはいえ固定費として建築物が存在する限り永遠についてまわる。現在から将来にかけては人件費・物価・燃料費等が急増し、関連する委託費・修繕費等も増加していく。ここを後述するサービスによる売り上げを睨みながら回すのが経営である。

行政は、整備することを"成果"に据えるが、運営は"成果されない当たり前のこと"にしか見なさない。きちんと維持管理運営していても(当たり前のことだからそうなのだが)拍手されることはないが、その段階でエラーが発生したときに(そもそものハコモノに原因があったとしても)初めて炎上する。これが行政の構造である。

一方で民間は真逆である。民間にとって竣工はスタートにすぎない。ホテルなら、適正な単価で高い稼働率を維持し続けることが勝利条件である。これは、期待したサービスレベルが毎日提供できていることが前提になる。客室の清潔さ、動線の快適さ、音や香りの環境、設備・備品等の安定稼働、スタッフのオペレーション・挨拶、施設のメンテナンス・必要やニーズに応じた施設への投資。これらが少しでも崩れたり提供できなくなると、客は静かに離れていく。客が去れば稼働率が低下し、稼働率を保つために単価を下げて無理やり集客しようとする。客単価を落とせばキャッシュフローが悪化し、投資余力が削られ、経営を維持するためにはサービスレベルを落としていくしかなくなる。この行政ではあるあるの負のスパイラルに陥らないよう民間は日々、ヒリヒリした市場の中で生きている。だから「象徴」ではなく「サービスレベル」でしか勝てないし、そこにフォーカスが当たる。ここが決定的に違う。
目指すものが違うから、発注の仕方はもちろん要求水準書が異なってくるし、選ぶ相手も基本的には変わってくる。仮に同じ設計者であったとしても「何を設計してもらうのか」が異なるので、アウトプットの収斂の仕方は全く違うものになってくる。つまり、同じ建築家が関わっても、プロの設計者としての仕事の仕方も変わってくるので結果が「それぞれのクライアントが欲するもの」になるのは当然である。

民間のLCCはリアルな経営の数字

行政でも建築物の企画から設計・工事・維持管理運営・解体に至るまでの一連のコストであるLCC(Life Cycle Cost)を考えましょうという言葉は、こうした一連のプロジェクトで出ることが多くなった。だが、仮にLCCを算定しても、その多くは設計事務所・コンサル等が同規模・類似施設等の実績値等から割り返した「机上の概算」でしかない。更にこの参考資料では人件費・物価高騰の影響などは考慮されないのが一般的である。
また、地方自治法上は公共施設の建設にあたっては工事請負契約やイニシャルコストに関連する予算のみが議決事項であって、後年度に経常的に発生し続ける固定費としての維持管理運営費は、この時点では誰の審査を受けることもない。
※PFI法に基づくPFI、DBO、リース等の維持管理運営まで含めた契約を行う場合には、(契約期間が15〜20年程度に留まるため大規模改修や解体費用が計上されることはほとんどないが、)債務負担行為が関連する契約の根拠となるために議決が必要になる。
そうした意味でも将来のコストをキャッシュとして確定するためには、前述のように(相当の工夫をしない限り)大規模改修・追加投資・解体等のコストが含まれることがないが、維持管理運営まで含めた発注方法・契約をすることが有効である。このことによって、契約もある程度安定させることができ、同時に民間事業者にとっても参入の障壁を低くすることができる。

民間のLCCは参考資料ではなく、経営の視点から算出された規律である。だから民間は最初から「日々発生する光熱水費等を含めた運営コスト」だけでなく「将来の更新投資」を"予定された支出"として扱うし、税務上のこともあるが減価償却費を適切に扱っていく。
支出を予見する短絡的・近視眼的なものに留まらず、適正なサービスを提供しながら資金ショートすることなく関連する支出を「払える構造」にキープしていくこと(、更に言えば事業を拡大していくための原資を少しずつ内部留保していくこと)が持続可能性につながっていく。

民間のプロジェクトでは、運営収益から一定割合を更新投資に回す発想が当たり前である。ホテルなら客室・設備・内装等のサービスに直結する部分の更新だけでなく、建築物全体にかかる防水・外壁・空調・電気等の改修や更新をしていかなければいけない。行政では壊れたから・傷んだからを根拠とする「そのとき考える」事後保全で「元のレベルに戻す」ことが一般的であるが、民間はこれらを「最初から織り込む」予防保全であると同時に、「時代にあったレベルにブラッシュアップ」をしていく。
こうした経費を織り込まなければ、いずれサービスレベルが落ち、売上が落ちることで前述のような負のスパイラルが発生し、経済合理性を失った瞬間に持続可能性も消滅してしまう。だから最初からLCCベースでの事業計画を作成し、適切にマネジメントしていく。ここに"経営感覚"の核心がある。

行政においても総務省が「地方公会計の整備」を標榜し、財務4表を作成するよう自治体に求め、形式上は減価償却費を算出したり固定資産台帳の作成は行なっている。しかし、減価償却費がそのまま更新投資相当分として基金に計上されることもなければ、固定資産台帳やバランスシートが議会の予算審査の対象になることもない(決算に至っては単年度会計・現金主義ベースの「認定」でしかなく、仮に不認定となっても何ら制度的なペナルティ等が発生するわけではない)。
基金として積む仕組みがないので、モノを言わない公共施設・インフラの更新経費は後回しにされ、単年度会計・現金主義のお小遣い帳の世界では短絡的な人気取りや前述のようなどデカいハコモノ整備のためのイニシャルコストとして貴重な一般財源の取り合いに終始してしまう。
こうした構造的な要素によっても、ただでさえ無理ゲーのようなどデカく必要以上に維持管理運営コストがかかる公共施設では適切な維持管理運営が行われず劣化が進み、自治体全体の経営を圧迫していく。今日まで全国の自治体が何百回ではなく何十万回も通ってきた「同じ道」を自ら歩むことで自滅していく。それを助長するのが発注者が経営感覚を持たずに発注してしまった、維持管理できない有名建築家の設計による公共施設である。

ミーハー心と大企業信仰

「有名だったらいい」「大企業だったら間違いない」。
この論理が公共施設で強くなる理由は単純で行政的な思考回路・行動原理の
世界ではリスクヘッジに便利だからである。
首長(や一部の議員)にとって反対や批判への盾になる。「あの有名建築家が設計した」「大手が施工している」「権威ある先生方が認めた」。これらの他人事は自らの支援者への"説明"になってしまう。だがその説明は、本来問われるべき説明には全くなっていない。
本当に説明すべきことは「そのプロジェクトで何を為すのか≒ビジョン」とそれを実現するために「誰が・何を・どのような頻度・収支で提供するのか≒コンテンツ」、更には「LCCベースにおける財政上の負担等の与条件」である。有名建築家であることや大企業である名前が保証するのは、せいぜい"期待感"と"語りやすさ"だけでしかなく、発注者としてその根拠のない「期待感」や「語りやすさ」を盲信するから、「みんなの夢」をかき集めた経済合理性のない発注をしてしまうから、有名建築家・大企業はプロとしてそれを3次元の世界に置換するのである。

民間でも今回のMEIBIAのように有名設計者を起用することはある。だが民間は、名前で意思決定を完了させず、MEIBIAにおいても隈研吾設計であることは空間の豊かさを具現化するための道具であり、集客や客単価向上のための広告宣伝費になっている。同時に、有名建築家に設計を委託したからといって、経済合理性のキャップが外れることはありえない。結局、事業の根幹を成すのはキャッシュフローであり、そのためには当たり前だが収入・支出の構造を徹底的にフルコストベースで追求するし、民間は発注者としてそこから逃げられない。だから、管理できないような木材による仕上げや膨大なランニングコストが生じることが容易に想像される収まりなどは経営者として極限まで排除していく。

行政では(民間では余程のことがない限りできない方法論として)イニシャルコストを補助金・交付金・起債で"調達"できてしまう。ここで「名前で正当化して走る」誘惑が生まれてしまう。
どんなに小さな自治体であっても「補助金をきちんと確保しますから」と有名建築家に頼み込むことができてしまう。(更に過疎指定された自治体では過疎債を充当してしまえば、一般会計上の負担はゼロでどんな大きなハコモノでも整備することができてしまう。)
「金を持っていないはずのミーハー」たる行政が発注者として推し活できてしまうのは、このような構造による面もある。

見栄え最優先

アウトプットとしての建築物の「見栄え」は(昭和100年の世界で生きているエリアに行けば行くほど)政治的な破壊力を持つ。
(本当は全く違うが、)「おらがまち」が優れていることを対外的にアピールしたり、議会とも「まちの総力を結集した一大事業」として共通認識を作りやすい。地元テレビ・地元新聞を中心としたメディアでも瞬間風速的なハコモノ整備として多数取り上げられる。
発注者としての行政が「やってる感」を出し、安易な思考回路・行動原理で「短期の成果」を求めるほど、また有権者もそれを良しとし続ければ見栄えが最優先されてくる。

日本の近代化の過程でいずれの「まち」が共通して陥ったように、ごくありふれた建物が、機械的に、割り付けられた路地を埋めてしまった経緯があります。
日本の「まち」はなぜか20年ぐらいで建て替えがなされています。構造が木造からさらに堅牢な鉄骨、鉄筋コンクリートになってもこのサイクルはほとんど変わっていないのが現状です。
物の豊かさだけでなく、心の豊かさも求める時代となり、単に機能性のみの追求の建築から、デザインにも配慮した建築物が社会的に求められるようになりました。
戦後2回目の建て替え時期を迎え、単なる建て替えから、都市再開発のプログラムまで組み込まれ始めたこの頃、1988年(昭和63年)にアートポリス事業が始まりました。

熊本アートポリス_経緯、背景

1998年にはじまった熊本アートポリスは、建築・構造物・景観整備等を対象に環境デザインの質の向上を図る取り組みとして位置づけられており、国際交流基金も内外の優れた建築家を起用する画期的なプロジェクトとして紹介している。筆者自身も1990年代に大学の建築学科に所属していたことから当時、幾つかのアートポリス「作品」を見学に熊本へ行ったことがある。

熊本アートポリスから「意匠・構造」の面から優れた建築が数多く生まれ、伊東豊雄による「八代市立博物館・未来の森ミュージアム」、妹島和世による「熊本県営保田窪第一団地」など、新建築等の建築雑誌を牽引し、建築史に残る作品群であるだろうし、これらが熊本の文化的資産となっていることも間違いないだろう。
熊本県全体を「建築の美術館」として見た場合、建築関係者を中心に多くの人がこれらの「作品を鑑賞」するために熊本県を訪れている点では、観光振興や経済的な効果もそれなりに発生しているだろう。

デザインの質を高めること自体は否定されるべきではないが、アートポリスでは美術作品としてのプライオリティが高いことも影響してなのか、先鋭的な意匠やチャレンジングな構造を用いたものが多く、膨大なイニシャルコストだけでなく、それに比例したランニングコストが発生している。
また、何よりも「物理的な美術作品」の中に機能を入れる形、ハコが優先する形のものが多く、コンテンツが弱かったりそもそも警察署など「事務所」であるはずのものに華美な装飾が施されているものもある。
アート作品としての建築が巨大すぎるから、絵画・彫刻とは比較とならない膨大な維持管理費が必要になるし、いざというときに資産として売却することも叶わない。
これらも結局、アートポリスを企画した人たち、そしてそのコンセプトに呼応した「発注者」が望んだ世界であり、そこに作品を提供した建築家はプロの「アーティスト」として、発注者の要望に応えたにすぎない。
(にしても、趣旨に書かれているように「20年くらいで建て替えがなされています」はこの時代であっても流石に言い過ぎw)

また、デザインの質を高めることと経営の規律を持つことは相反関係のある二項対立ではない。THE MEIBIAはデザインの質が高く、かつ経営として成立していることからも、優れたデザインと健全な経営は両立するはずだ。更に言えば健全な経営があるからこそ、デザインの質を維持・向上させる投資ができる。
問題はデザインを言い訳にして、経営の規律を放棄することである。「芸術性が高いから維持管理が難しいのは仕方ない」「象徴性があるからコストがかかるのは当然」。こうした短絡的な言い訳が、発注者としての行政の責任を曖昧にしてしまう。

熊本アートポリスにおいてプロジェクトとして認定されている120件(2026.1現在)のうち、ほぼ全てのものが公共施設・インフラであることが象徴的で、それが何を意味しているのかも考える必要がある。

「見栄え」が本当の意味で価値になるのは、経済合理性が担保されていることが前提になる。民間で見栄えを価値にするために、経済合理性を犠牲にすることはあり得ない5 公共を壊す第三の毒:「みんなの夢」の総取りは未来の毎日を破壊する。

「みんなの夢」のかき集めと不選別

行政で公共施設整備(だけではないが、何らかのこと)をしようとすると必ず「みんなの声」は聞いたのかと幹部職や議会から問われる。
しかし、こうした「みんな」の要望は多岐にわたり必ず矛盾する。静かに過ごしたい人と賑わいを求める人。駐車場が欲しい人と緑地が欲しい人。図書館を拡充したい人とイベントを増やしたい人。子育て機能を入れたい人と高齢者機能を増やしたい人。
市民ワークショップや有識者委員会等で「何が欲しいですか」を聞き、それをコンサルがそれらしく全部入れて全部入りになる。全部入りは施設面積を増大させ、関連する設備・什器備品を増やしていく。
タチの悪いのは、ただでさえイニシャル・ランニングコストが膨張しやすい著名建築家が関わっている案件でも「要望合戦」が行われ、それらしいプランへと転化し「よくまとめてくれた、さすが大先生!」となってしまう。
上記noteに詳細を記しているのでここでは割愛するが、本来は消費者としての市民の声はマーケティングとして把握すべきだが、何をアウトプットにするのかは経営者としてのシビアに削ぎ落としたり、その本質を斟酌しながら行政が経営感覚をベースに判断するものだ。

もちろん、民間はそうしたことを当たり前のように実施する。(実際に客になるかもわからない・出資等をしてリスクを取るわけでもない「誰かの声」を、経済合理性や自らのビジネスモデルにハマらないものまで全て取り入れる義理はない。削らなければ経済合理性を喪失して、その事業が死ぬから、会社にも甚大なダメージを与えるからである。

結局、ここでも発注者としての行政の問題が大きいのであり、「大先生」はその道のプロとしてのスキルを行使しているだけで、何も悪いことはしていない。

発注者の問題を「建築家問題」にすり替えるな

「加担者」であっても原因者ではない

著名建築家によるメンテナンスできない公共施設の炎上問題は、建築家「だけ」が吊し上げられる。
「見栄え」の良い公共施設を設計した著名建築家の名前は見えるだろうし、設計時点から竣工までは財産の総合調整権を持つ首長、自治体の意思決定機関である議会、地元企業・ローカルメディア等の多方面にわたる人々が諸手を挙げて賛同していたはずだ。
同時に「手柄」を我が物としようとする人たちも多数存在していたはずだ。

にも関わらず、いざこのような不都合な真実(・予見されたいた未来)が顕在化すると、そうした人々は自己保身のためなのだろうか、「こんなはずではなかった」「裏切られた」とその設計者と自分たちを切り離し被害者ヅラして「修繕コストを要求する」等の反撃に出る。

その設計者を選定した主体は発注者としての行政であるし、その設計を承認したのも行政、工事請負費を含む一連の予算(や規模が大きい場合には工事請負契約)を議決したのは議会である。
発注者としての行政が、誰かがどこかで「それではいけない」とストップをかけていたら、少なくともMEIBIAのように要求水準書で経済合理性を追求してメンテナンス性まで考慮したものを支持していたら、これらの問題は絶対に発生していなかったはずだ。

この問題の原因者は「発注者としての行政」である。行政は決して被害者ではないので、被害者ヅラをすること自体が間違っている。
一方で著名建築家は発注者の意向をプロとして具現化させたにすぎない。どんなに悪く言っても原因者ではなく「加担者」でしかない。
(もちろん設計に関わる以上、要求水準がそうした低レベルのものだったとしても、プロとして将来の悲惨な姿を示唆することもなく「そのままビジネスライク」で終わりにしてしまうのは、自治体を喰い物にするコンサルと同程度でしかないので、そこは反省・改善すべきポイントがあるだろう。)

発注者が決めるべきこと

ハコモノはサービスを提供するための物理要素の一つにすぎない。この当たり前を忘れてはならないし、ミーハー心と見栄と夢の総取りを優先して経済合理性を無視してはいけない。貴重な市民の一般財源だけでなく補助金・交付金・起債にも手を染めて「今しかない」「せっかくの財源」「大きく作ろう」「全部入れよう」。この瞬間、発注者は経営者ではなく事件の首謀者・原因者に堕ちていく。そこに著名建築家がビジネスとして加担して前述のような悲惨な現実が顕在化していく。

行政が発注者として決めるべきことは、「自分の金だったらやるのか」という当たり前の感覚を持ち、「何のためにやるのか」と「それを実現するためのコンテンツ」を精査し、経済合理性も含めた様々な与条件を定めていくことである。つまり身の丈にあった・自分たちらしいプロジェクトにしていくことである。

ただでさえ「金がない」と騒ぎ、財政調整基金の取り崩しと短絡的・表面的なハコモノ・インフラの更新経費のカットや様々な事業・サービスの休止で「その場を取り繕っている」行政に、借入や他人からの借金で豪邸を建てる余裕はないはずだ。(そもそも、民間ベース・市民ベースで考えれば、そんな金融機関もいなければお人好しの他人もいない。)
ハコモノは公共サービスを提供するための物理要素なひとつにすぎない。求めるサービスの内容・質を定義し、どのようなオペレーションを行うのか・誰がやるのかを先付けし、その維持管理運営と必要な投資を可能にする財源や収支計画をセットアップし要求水準書としてまとめ、発注者として設計者を決めていく。
MEIBIAをはじめとする民間施設・事業では、こうしたことが先に定義されたうえで設計者が具体的な設計をしていく。だからMEIBIAは(オールインクルーシブであることを考慮しても)宿泊単価がそれなりの金額に設定されているのだろう。

繰り返しになるが、設計事務所が悪いのではなく「発注者としての行政」が首謀者であり原因者である。
そして、それを証明するのが同一人物である隈研吾が設計した一連の公共施設とMEIBIAの差である。
(MEIBIAを体験してしまうと、隈さんはやっぱり設計者としては相当優れているんだと思う。)

自分たちで「変えていく」

「有名だったらいい」「大企業だったら間違いない」「見栄え最優先」「みんなの夢を全部載せて巨大化」。この幼稚な論理を全国の自治体が発注者として断ち切れない限り、次の改修費や劣化に関する炎上も必ず発生する。
逆に言えば、発注者として、更には「まちの経営者」としてこうしたオママゴトの世界を断ち切ることができれば、公共施設やインフラの問題にも光明が差すかもしれない。

エヴァンゲリオン新劇場版:Q @カラー

ごめん。これは君の望む幸せではなかった。ガフの扉は僕が閉じる。

エヴァンゲリオン新劇場版:Q_カヲルくんのセリフ

エヴァの世界じゃないんだから、槍で世界を一気に書き換えてしまうことはできないけれど、自分たちの「覚悟・決断・決断」で少なくとも本noteで記したような「そもそものあるあるネタ」は根絶できるはずだ。
(大前提としてコンサル・監査法人等に丸投げするのではなく、洗練されてなくても良いので自分たちで「何をしたいのか」決めていく必要がある。)

余談

THE MEIBIA MIYAZAKI_ブックラウンジ_隈さんの作品集

MEIBIAのブックラウンジにはご自身の作品集が山ほど陳列されてるw

お知らせ

2025年度PPP入門講座記録集

過去最高の544名(入門講座終了時点)のお申し込みをいただいた2025年度のPPP入門講座。せっかくなので音声データを文字に起こして文章として読める状態に整理し、AmazonのKindle版・ペーパーバック版として販売(2025.12.21発売)をしています。
全18コマ=60分×3コマ×6日のうち、ゲスト講師分の1コマを除いた全17コマの議事録を取りまとめた記録集です。
公共施設を取り巻く本当の背景から、教科書型のザ・公共施設マネジメントやザ・PPP/PFIではなぜ立ち行かないのか、指定管理者制度が実は非常に柔軟な方法論であること、随意契約保証型の民間提案制度の可能性、今後のPPP/PFIの主流になるであろう事業パートナー方式、更にはいくつかの自治体で見えてきたNext PPP/PFIの世界。
PFI法とは何か?事業手法比較表やVFMの算定といったこととは一線を画す、合同会社まちみらいの社是である「現場重視・実践至上主義」に基づく内容となっています。
延べ約410,000字に及ぶ膨大なボリュームとなっています。
2025年現在のPPP/PFIの立ち位置と様々な自治体・民間事業者の生き方が見える一冊となっています。

PPP/PFI実践コラム集:デッドストック編

こちらもAmazonのKindle版・ペーパーバック版PPP/PFIや公共施設マネジメントの実務・実践に特化したコラム集。
本著は、まちみらいの社是である「現場重視・実践至上主義」の考え方と豊富な実践経験に基づいたコラム集であり、VFM、事業手法比較表等の教科書的な話は一切排除し、「どのように非合理的な行政を取り巻く社会」でプロジェクトを構築・実践していくのか、理念や理想論ではなく、経験知に基づいたヒント集である。
まちみらい公式noteや各種執筆等で記した内容も、2025年現在にリライトするとともに、そこでは書ききれなかった多様な想いを散りばめたデッドストック集。
「覚悟・決断・行動」、求められているのは決してテクニカルなことではありません。
プロとしてどう生きていくのか、行政職員はもとより、民間事業者の皆さまや、自分のまちで何かしたい市民の皆さまにもオススメです。

2026年度見積受付中

現在、2026年度のまちみらいとしてのアドバイザー業務・個別案件等の見積を受付中です。
受託できる数には物理的な制約がありますので
・既契約のところ
・早くお問い合わせをいただいたところ
・モリモリパックで検討いただけるところ
・やる気のあるところ
から順に対応させていただきます。

ぜひお気軽にお問い合わせを。

2025年度PPP入門講座

約10年間にわたって毎年定期的に実施してきたPPP入門講座。
本年度も2025年6月27日まで全6回、会場・オンライン合わせて過去最高の533名(終了時)にご参加いただき大変ご好評をいただきました。
全6回(各回_60分×3コマ)にわたって、弊社の基本理念である「現場重視・実践至上主義」に基づいた生々しいリアルな姿を事例を通じて学んでいくものですが、教科書的な「PFI法に基づくPFIとは」「VFMの算定方法」「事業手法比較表」等の話は一切ありません。
最近、類似の「PPP入門編」のセミナー・勉強会があちこちで開かれているようですが、それらとは一線を画す超オリジナリティ溢れたものになっています。
今回は更に内容をブラッシュアップして、能登地震・八潮市の道路陥没事故・Next PPP/PFIや事業パートナー方式なども交えながらPPP/PFIを解説しています。
来年度の開催時まではアーカイブ配信をご覧いただけますので、今からでもぜひお申し込みください。

※詳細はリンク「まちみらい公式HP」をご覧ください。

noteプレミアムへの移行

2025年1月からまちみらい公式noteは「noteプレミアム」に移行しました。(単純に今まで知らなかっただけ。。。)
noteにコメントも受け付けています。双方向型になっていけるようコメントにはレスを入れていきます。記事の「いいね!」も積極的にお願いします。
また、最下段にあるように「投げ銭」は絶賛募集中ですw

実践!PPP/PFIを成功させる本

2023年11月17日に2冊目の単著「実践!PPP/PFIを成功させる本」が出版されました。「実践に特化した内容・コラム形式・読み切れるボリューム」の書籍となっています。ぜひご購入ください。

PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本

2021年に発売した初の単著。2025年5月現在7刷となっており、多くの方に読んでいただいています。「実践!PPP/PFIを成功させる本」と合わせて読んでいただくとより理解が深まります。

まちみらい案内

まちみらいでは現場重視・実践至上主義を掲げ自治体の公共施設マネジメント、PPP/PFI、自治体経営、まちづくりのサポートや民間事業者のプロジェクト構築支援などを行っています。
現在、2026年度以降の業務の見積依頼受付中です。

投げ銭募集中

まちみらい公式note、世の中の流れに乗ってサブスク型や単発の有料化も選択肢となりますが、せっかく多くの方にご覧いただき、様々な反応もいただいてますので、無料をできる限り継続していきたいと思います。
https://www.help-note.com/hc/ja/articles/360009035473-記事をサポートする
そんななかで「投げ銭」については大歓迎ですので、「いいね」と感じていただいたら積極的に「投げ銭」をお願いします。


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