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古田割徹とコバエ(3.1千文字)

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古田割徹とコバエ

v2.10

【注釈】本記事/本稿はフィクションであり、実在の人物・団体・権利とは一切関係がありません。たとえ、記述の中に実在のものと同じ名前が出てくることがあっても、それらはすべて作者のインナースペース的投影、あるいは別の世界線の出来事、あるいはこの世界線であったとしても作者専属の守護霊の発言として表現されたものです。つまり、すべての文章には(と作者専属の守護霊が言っている)が省略されているものとします。したがって、断じて、現実の人物・団体・権利を侵害するものではなく、断じて、誹謗中傷や名誉毀損を意図するものでもなく、断じて、読者の心の平穏を乱すものでもなく、断じて、宇宙の調和を揺るがすものでもありません。よって、本コンテンツの無断複製・転載は固くお断りするとともに、そして当然に、作者は自由に内容を変更できるものとします。

1. 古田割徹

古田割徹は、こだわりとおる、と読む。彼は軽度のADHD傾向と、生活上はかなり重く出るASD特性を持っている。制度上は大きな支援の対象にはならず、健常者として生活する側に置かれている。注意は散りやすい一方で、いったん気になったものには強く引き寄せられる。感覚の向き方にも偏りがあり、気になるものは小さくても、部屋の中で大きな音を立てるように残る。その特性は、部屋の片づき方や、物の置き方や、気になりはじめたものへの反応に出ることがあった。

古田割は、以前からコバエを嫌っていた。ただ、昔から強く気にしていたわけではない。以前の彼の家は、すぐにゴミ屋敷のように散らかった。床には紙袋や段ボールが置かれ、台所にも物が残り、片づいていない状態が日常の中にあった。だから、よほど不潔な状態にならない限り、コバエにも無関心だった。小さな虫が飛んでいても、ああ、いるな、と思うだけで、すぐに何かをすることは少なかった。

2. リフォーム後

その感覚が変わったのは、家をリフォームしてからだった。断捨離をして、不要なものを処分し、部屋は以前より片づいた。さらに家の気密性も高まった。外から入るものが少なくなり、部屋の中も整ったことで、前なら紛れていた小さな異物が目立つようになった。

コバエが一匹飛んでいるだけで、古田割は気になって仕方がなくなった。どこから入ったのか、どこかに発生源があるのか、見えないところで増えているのではないかと考えてしまう。散らかった部屋では背景の一部だったものが、整った部屋では異物として浮き上がって見えた。

古田割は対策をはじめた。生ごみは室内に置かず、冷凍庫に入れるようにした。排水溝も見るようにした。コバエをとる、とりもちのようなトラップも置いた。ほかにも気になった対策を試し、発生源をつくらないようにしていた。

3. コバエの発生

ある日のこと、最近の古田割の部屋に、またコバエが発生した。そんなはずはない、と彼は思った。生ごみを室内に残さないようにしている。窓も以前よりきちんと閉めている。排水溝にも気をつけている。発生源を断つための手順は、自分なりに組んでいるはずだった。

それでも、台所の周辺でコバエが飛んでいた。古田割は殺虫剤を使って駆逐しようとした。飛んでいる虫を追いかけ、シンクの近くやゴミ箱の周辺に噴きつけた。それから窓を大きく開けた。薬剤のにおいを逃がすためでもあり、生き残ったコバエを外に逃がすためでもあった。彼はいろいろしたが、原因はそこではなかった。

シンクの排水溝の網にたまった生ごみを、彼は一度、網からこそいで取っていた。すぐに捨てるつもりで、網目の袋に入れ、乾燥させてから冷凍庫に入れようと思っていた。濡れた生ごみをそのまま冷凍庫に入れることに抵抗があったから、少し乾かそうとした。それは、彼の特性に沿った判断だった。濡れたものをそのまましまうことへの抵抗があり、清潔に処理したいというこだわりがあり、ひとつの工程を挟めば納得できるという感覚があった。

ところが、そのまま失念していた。袋に入れられた生ごみは、台所の片隅に放置されていた。古田割の目には入っていたはずだった。しかし、目に入ることと、処理すべき未完了の用件として意識に戻ることは、彼の中では同じではなかった。注意は別の対象へ移り、袋は背景に沈んだ。そこがコバエの温床になっていた。

4. 見落とし

古田割は、その袋を見つめた。対策をしているつもりだった。管理しているつもりだった。発生源を断っているつもりだった。しかし実際には、自分で発生源を用意していた。きれいにしようとして、かえって原因をつくっていた。

古田割は、自分がつくったコバエの温床を見て、ああ、またこれか、と思った。しまった、という感じではなかった。自分を叱る声も、そこにはもうあまり残っていなかった。

以前なら違っていた。次からは絶対にしない、と誓っただろう。誓いを破らないために、自分を少し痛めつけるような罰を与えたこともあった。反省というより、罰則つきの契約だった。けれども、その時代は終わっていた。自分にASDとADHDの傾向があると知ったとき、古田割の中で、根のほうにあった何かが静かに向きを変えた。ああ、自分のせいではなかったのか。そう思えたことは、彼を少しだけ助けた。原因がわかったから、もう自分を責めるのはやめよう。そういう結論が、言葉になる前に、体の奥で先に決まっていた。

それでも、温床になった袋を見れば、なるほど、と思うしかなかった。こんなものがここにあれば、それはこうなる。理屈は簡単だった。生ごみがあり、湿り気があり、時間があり、注意が戻ってこなかった。結果としてコバエが出た。ただそれだけのことだった。

ただそれだけのことなのに、何かは少しだけ宙に残った。失敗感ではない。自己叱責でもない。原因がわかってよかったという安堵と、見ればわかる当然の結果を見た納得と、その二つのあいだに、細い糸のような疼きがあった。古田割は、ときどきいつも何かを欠かしていた。何かを途中に置き、あとになってそれに気づく。自分にできる限りの注意を向けても、生活はだいたい同じ比率で、同じような結果を返してくる。虫が飛ぶ。袋が残る。水がぬめる。忘れていたものが、ある日、小さな羽をつけて戻ってくる。

その見落としは、彼の特性の中で起きていた。清潔にしたかったから手順を増やした。濡れた生ごみをそのまま冷凍庫に入れたくなかったから、乾燥という工程を挟んだ。けれども、工程を増やすことは、未完了のものを生活の中に残すことでもあった。注意がそこへ戻らなければ、その手順は宙づりになる。古田割の台所には、処理されるはずだったものが、処理待ちのまま置かれていた。

古田割は袋を処分し、排水溝を洗い、シンクを洗った。制度上は大きな支援の対象にはならず、健常者として生活する側に置かれている彼にとって、こういう失敗は説明しにくい。それは、本人の中では注意や感覚の癖と地続きだった。忘れることだけが問題なのではない。気になる対象が強く浮かび上がること、納得するために工程を増やすこと、増えた工程が生活の途中で切れること、それらが同じ部屋の中で起きていた。

毎日、何かが気になる。コップの水滴、排水溝の影、床に落ちた小さな紙片、置いたまま名前を失った袋。何かが欠けていて、何かが残っている。気持ちもまた同じところを回る。責めるためではなく、解決するためでもなく、ただ気づいてしまうものとして戻ってくる。今日も古田割の部屋では、いろいろな形をしたコバエたちが飛んでいる。

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